制度の言葉
最後の審理の日、制度の束が、証拠の席の真ん中に置かれた。
争点五――記録の整備状況については、朝のうちに短く片が付いた。対応表と束の目録が回覧され、裁定官の一人が言った。「この一件で、監査院が日付の検め直しに要した手間は、通常の三分の一で済んだ。記録が辿れる形で残っていたからである」。五番目の争点は、争いではなく、確認で終わった。残るは、四番目。この席で唯一、誰の罪でもない話である。
「では、登録制度の聴取に入る。報告者、アーレン」
私は、登録簿の集計表を広げた。
「ヴァルデン領の市場登録制度は、その年の市場の係争から始まりました。六十年前の許可証一枚が、現に商いをしている者の権利と衝突した。原簿の種目欄は虫食いで読めず、代替わりの再登録は、誰の仕事とも決まっていなかった。――権利があるのかないのか、誰にも、すぐには答えられなかったのです」
私は経緯を辿った。老舗の店に先に事実を告げたこと。許可の再登録と、新規の登録を、同じ窓口で扱うことにしたこと。登録には、名と、日付と、種目と、区画を記し、写しを店と分室の双方に残すこと。
「登録は、現在、百十二件。登録の始まった月と比べ、市場と水の配分をめぐる係争の申立ては、三分の一以下に減りました。揉め事が消えたのではありません。揉めた時に、開く紙ができたのです」
次に、陳述書の代読が行われた。まず、フォーゲル織物店の老店主の書面である。
「――六十年前の許可証一枚で、店を畳むところだった人間が、登録第一号になって、孫の代まで店を続ける算段がついた。許可証は、壁に飾ってある。だが店を守っているのは、今は登録証のほうだ。名前と日付のある紙は、代替わりしても、色あせない」
傍聴席の商人の列が、深く頷いた。続いて、両村の村長の連名の書簡。二つの村の字が交互に並ぶ、不揃いな書面である。水の契約を結び直してから、堰の番の揉め事がなくなったこと。交代の表まで紙に残すようになったこと。
(あの不揃いな字が、王都の大審問室で読み上げられている。……領の人々の暮らしが、そのまま、国の席の言葉になっている)
裁定官の一人が、登録の負担について問うた。
「窓口の手続きが増えれば、商いの邪魔にもなろう。市場の側の受け止めは」
「初めは、面倒がられました。ですが、写しが店に残ることが、すぐに効きました。両替商から仕入れの信用を得るのに、登録証の写しを示す店が出てきたのです。……紙は、縛るためだけのものではありません。持ち歩ける信用にもなります。それに気づいてからは、登録は、勧める前に並ばれるようになりました」
(市場の人々は、制度の意味を、私より先に使いこなしていたのだ。作った者の想像の外側で、制度は育っていく。それでいい。それが、生きている仕組みというものだ)
別の裁定官が、問うた。
「制度の眼目は、どこにあると考える。登録を増やすことか」
「いいえ。登録の数ではありません」
私は、少し間を置いた。
「受理することと、同じ重さで、受理しないことを記録する。それが眼目です。この制度では、申出を断る時にも、理由と、日付と、担当の名を残します。断られた側は、その紙を持って帰ることができる。次に相談する場所で、その紙が話の出発点になる。――断ることが、追い返すことではなく、記録の始まりになる。それが、領で起きた変化だと思います」
「その作法は、どこから来た」
(来た、と言われれば。一人の公証人の、意地のようなものだったはずだ。だが今、それを私の意地と呼ぶ人は、この席にはいない)
「私の受理簿の、三行からです。申出があったこと。断った理由。私の名前と、日付。――あの三行は、監査の中で、局の正式な書式になりました。領の制度は、その書式を、市場の窓口に広げたものです」
領主の席から、レオンハルトが立った。制度の聴取における、領主としての発言である。
「一つ、申し添える。この制度は、領主の命令では回っていない。私が命じたのは、公証官を置くことだけだ。あとは、登録する人々自身が回している。分室の留守の間も、受理は止まらなかったと聞く。――制度とは、作った者がいなくても回るものだ。それが、偽造の仕組みとの違いである。あちらは、箱を開ける者がいなければ、回らなかった」
傍聴席の、貴族の母たちの列が、小さくざわめいた。婚家に娘を持つ人々である。自分の家にも、名前のない走り書きがあるのかもしれない。あるいは、娘の嫁ぎ先に。――今日の聴取は、領の制度の話であると同時に、王都のどの家の台所にも届く話だったのだ。
審問室が静まった。その静けさの中で、オルトは書記官に、何かを書き取らせた。それから、ゆっくりと言った。
「本席は、聴取のまとめとして、次の文案を議事録に残す。――『公証の申出については、受理しない場合も受理簿に記録し、その理由および担当公証人の名を明記すること。不受理の記録は、申出人に写しを交付すること』。この文案は、裁定の結論と併せ、公証局全体への勧告として付す」
(私の三行が、制度の言葉になった。……名前も出ない。私のものでも、もうない。誰の机の上でも使える、ただの作法として、残っていく)
私は書類袋の中で、刺繍の栞に指を触れた。水車とペン。制度を作った二人に、と贈られたものだ。だが今日の席で分かった。作ったのは、二人ではない。登録した百十二の店と、二つの村と、写しを受け取った一人ひとりだった。
聴取が終わり、束はすべて紐で結ばれた。六つの束。来た時と同じ形で、けれど中身の意味は、もう違っていた。
「以上で、審理はすべて終了する。最終の裁定は、明日の午前に言い渡す」
退出の列で、レオンハルトが隣に並んだ。
「あと、一日だな」
「はい。……明日で、全部、紙の上に決まります」
「決まったら、領へ戻る。約束どおりだ」
「はい」
(明日、裁定が出る。家の行く末も、制度の行く末も。――そして、この人の「用件ではない話」が、私を待っている。記録に残らない約束のほうは、明日、ようやく順番が来る)




