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消えない金

 争点一の審理は、会計官の報告から始まった。


 一の束が解かれ、四件の契約書の写しと、一件の抵当設定契約書が、裁定官の席に回覧される。会計官は照合報告書を手に、淡々と読み上げた。


「四件の契約書。いずれも、作成とされる日付と、実際に金が動いた日付が、一致しません。一昨年の改修費借入。契約書は三月付けですが、帳簿上の入金は五月末。契約書の様式は、その年の九月に公布されたものです。……ずれの向きは、五件とも同じです。作成日だけが、決まって過去へ寄っている。偶然では、揃いません」


 続いて、クランツの執事日誌の写しが開かれた。印の入手の記録。『形見分け』の名目で銀貨を渡した日付は、家の帳簿の備品費の頁の記載と、一日も違わない。


「帳簿と、日誌と、印の現物。三つの記録が、同じ日を指しております。金の流れの側からも、偽造の仕組みは確定したものと、私どもは判断いたします」


 裁定官の一人が、今年の抵当の一件について、重ねて問うた。


「抵当の金は、家に入って、何に使われた」

「帳簿の支出の頁にあります。入金の翌週、満期の迫った旧債の返済に、そのまま充てられています」

「つまり、焼けた倉庫を種に借りた金で、別の借金を返した、と」

「はい。家計の帳簿は、その順序まで、正直に書いています」


(あの帳簿を付けた人々は、嘘の契約書を作る側にいながら、帳簿だけは誤魔化さなかった。――いえ、誤魔化せなかったのだ。金は、毎日動く。動くものには、日付が要る。日付のあるところに、嘘は長く住めない)


 オルトは、家の代理人を見た。


「契約の効力について、家の見解は」

「書類が偽造である以上、契約は無効です。無効な契約に基づく返済義務もまた、存在しません。金は家に入ったかもしれませんが、それは契約の外の話――」


 傍聴席の、両替商の列がざわついた。ギルドの頭取が代理人の肩を叩き、立ち上がった。許可を得て、彼は言った。


「裁定官。聞き捨てなりません。我々は、公証人の印のある書類を信じて、金を出したのです。騙されたのは、こちらも同じ。その書類が無効だと言うのなら、なおのこと、出した金は返していただかねばならん。それが商いの道理でしょう」


 頭取は、懐から自分たちの帳面の写しを取り出した。


「我々の側の帳面でも、入金ならぬ出金の日付は、契約書の日付とは違っております。店の帳面は、店の命です。恥ずかしながら、こちらも検め直して、初めて気づきました。……書類の日付を、誰も、帳面と並べて見なかった。反省は、我々にもあります。ですが、金の行方まで帳面に残っている以上、話は単純なはずです」


(貸した側の帳面までが、同じ日を指している。借りた側と貸した側、敵同士になるはずの二冊が、記録の上では、同じ真実を語る。――この席の力は、そこにある)


(どちらの言い分にも、半分だけ正しさがある。――書類は嘘だった。けれど、金は本物だった)


 オルトは、証人席の私を見た。


「記録の作成者に聞く。アーレン。五件の書類で、実際に金が動いたという事実は、記録の上でどう扱われるべきか」

「書類と、金は、別に考えるべきだと思います」


 私は、対応表の一の欄を指した。


「契約書の日付は偽りです。様式も、印も、正式なものではありません。公証の効力は、認められません。――ですが、帳簿には入金の記録があり、その金が何に使われたかまで、頁を辿れば分かります。一昨年の借入の大半は、その前の借入の返済に消えています。今年の抵当の金も、入金の日付は帳簿にあります。……金の動きは、この席の誰の主張でもありません。帳簿に、最初から書いてある事実です」


「つまり」

「書類は無効でも、金の貸し借りは、消えません。貸した側には、出した金がある。借りた側には、受け取った金がある。その事実は、書類の嘘とは別に、記録に残っています」


 裁定官たちが、小声で言葉を交わした。オルトは議事録への記載を指示し、それから宣言した。


「争点一について、中間の確認を行う。四件の契約および抵当設定契約は、公証を経た契約としての効力を、認めない。一方、両替商ギルドが実際に支出し、ベルモント家が実際に受領した金については、貸借の事実として確定する。返済の扱いは、放棄も、全額の即時返済も、ここでは決めない。――金は、残る。消えるのは、嘘のほうだ」


(金は、残る。……公証人の席に七年座って、私が信じてきたことが、そのまま、裁定の言葉になった)


 頭取は深く頭を下げて座った。代理人は唇を引き結び、束を組み直している。カスパルは、動かなかった。ただ一度だけ、その手が膝の上で、静かに開かれたのを見た。


 休廷の間、私は廊下の窓際で水を飲んだ。ミナが、傍聴の人波を縫って駆け寄ってくる。


「セリナ。中庭の伝達、あんたの番になると、係の人の声が変わるのよ。『金は残る』って。……商人の旦那衆がね、何人も頷いてた。若い公証人の子たちは、必死で手帳に書いてた」

「……私の言葉が、ではないのよ。帳簿が言ったことだもの」

「あんたは昔からそう言うけどね」


 ミナは笑って、それから少しだけ真顔になった。


「局の若い子が言ってた。『アーレン先輩の三行、今は局の書式なんだ』って。あんたの断った記録が、今は皆の、断るための記録になってるのよ」


(断ることは、孤独な仕事だと思っていた。違ったのだ。断り方を、記録の形で残せば、次の誰かの背中を押す。それが、今日の席で起きていることだった)


 午後の席が再開されると、オルトは、閉じる前に一つ、と言った。


「一つ、付け加える。返済の扱いを決めるには、もう一つ、確定が要る。あの金は、誰の責任で返すのか。当主一家か。実行した執事長か。あるいは、その両方か。――次に、線を引くのは、人の責任である」


 私は、カスパルの席を見た。彼はもう、代理人の方を見てはいなかった。自分の膝の上に置かれた、自分の手を見ていた。その手で、彼は今日、何度も書類を組み直し、何度も開いては閉じたはずだ。


(次は、あの人の線の番である。――私の線は、もう引かれている。あとは、席がそれを確認するだけだ)

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