六つの束
質問書への回答は、五日かけて書き上げた。
登録制度の仕組み。始まった経緯。件数の推移と、係争の減り方。そして市場の声。フォーゲル織物店の老店主の陳述書、両村長の連名の書簡、青年の祝言の相談票の写しまで、私は添付資料として綴じた。最後の問い――「不正の申出を拒んだ経緯と、その記録の扱いについて」――への答えは、一頁で済んだ。受理簿の三行の写しと、その三行が公証局の正式な書式になった経緯。それだけだ。私の気持ちは、そこにも書かなかった。
(答えるべきことに、答える。残りは、紙の連なりが代わりに話す。――それが、私のやり方だ)
回答書は二通作った。一通は監査院へ。一通は、分室の書棚に残す。四冊の綴りの隣に置かれたそれは、この領の制度の、いわば出生記録だった。
裁定まで、あと五日。王都からは、証人たちの出頭確認が相次いで届いた。
公証局長は、局側の証人として列席する。クランツは、監査院の求めに応じ、裁定の席でも証言台に立つという。カスパルからは、短い書面が届いた。――『当日、席で会う。逃げない』。たった二行。だが、名前と日付のある、二行だった。
ミナの私信も添えられていた。傍聴席は抽選になり、外れた人々のために、監査院の中庭にも伝達の係が置かれるそうだ。『あんたの裁定、もはや「事件」じゃないの。王都の、公証人も商人も貴族の母も、自分の明日の話として聞きに来るのよ』
(私の三行は、私だけのものではなくなった。……それは、少し怖くて、少し誇らしい)
分室の日常は、裁定の準備の間も止まらなかった。その日は、ミーレ村の製粉所の親方が、真新しい届出の紙を持って現れた。裁定で私が留守にする間の、堰の番の交代表である。
「先生が王都にいる間も、水は紙のとおりに分けます。……あんたが戻るまで、揉め事なしで回してみせますよ。裁定とやらの席で、胸を張ってそう言えるようにな」
「ありがとうございます。……でも、親方。胸を張るのは、私ではなく、この領の皆さんです」
続いて、フェルト村の青年が祝言の日取りの届出を持ってきた。秋の吉日、両村の名が並ぶ届出である。受理印を押しながら、私は思った。
(私がいなくても、届出は出て、印が押され、暮らしが進んでいく。制度とは、そういうものだ。作った人間が席を外しても、回り続ける。それが、偽造の「仕組み」との、いちばんの違いなのだろう)
出立の前日、私は六つの束の最終点検をした。五つの争点の束と、制度の束。ペーターが作った対応表を広げ、一件ずつ、書類の名と日付を声に出して確かめる。ハンナが束の札を付け替え、グレゴールが書類袋の革紐の結び目を検める。
「……先生、抜けはありません。全部、地図のとおりです」
「ありがとう、二人とも」
「先生、あの、これ」
ハンナが、小さな布包みを差し出した。開くと、中には刺繍の栞が二本。水車と、ペンの意匠。リーザの店の品だという。
「市場の皆が、お金を出し合って。……一本は先生に、もう一本は、閣下にだそうです。『制度を作った二人に』って」
「……そう。ありがたく、いただくわ」
(作ったのは、私だけではない。この領の、名前を書くようになった人々全員だ。――そのことを、王都の席でこそ、伝えなければならない)
夜、公館の回廊で、レオンハルトと最終の打ち合わせをした。王都での日程、席の順序、制度の聴取での役割分担。話し終えて、彼は手元の書類を閉じた。
「持ち場は、決まったな」
「はい。私は証人と、制度の報告者として。閣下は、領主として」
「では、一つだけ、持ち場の外のことを言っておく」
彼は回廊の欄干に手をつき、市場の夜景を見下ろした。軒先の灯りが、一つずつ消えていく時間だった。
「裁定の席で、お前の記録は、いよいよ公のものになる。領の人間だけの先生ではなくなる。……それでも、お前の机はここにある。あの席がどう転ぼうと、だ」
「閣下」
「裁定が終わったら、話したいことがあると言ったな。……あれは、変わらない。終わったら、最初にこの領へ戻って、話す。それまで、互いに持ち場を守ろう」
私は頷いた。それから、ふと、思い切って言った。
「――分かりました、レオンハルト」
彼の手が、欄干の上で止まった。
名で呼んだのは、初めてだった。市場の係争の決着の日、「私の名で呼んでいい」と言われてから、ずいぶん経つ。言えたのは、持ち場の話の、すぐ後だった。
「……もう一度、言ってみろ」
「公証人は、同じ書類を二度は読みません」
「そうか」
彼は笑った。低く、短く。けれど、確かに笑った。
(書類ではない約束を、私はこの人と交わした。終わったら、話を聞く。――それは、記録には残らない。残らない約束を守れるかどうかは、私たち次第だ)
翌朝、馬車は夜明けとともに出た。今度は、護衛も、早馬の報せもない。ただの、裁定に臨む一行の旅だった。
門には、ハンナとペーターが見送りに立っていた。ペーターは分室の日誌を抱え、その場で新しい行を書き込んでみせた。――領地公証官、公開裁定のため王都へ出立す。分室は、通常どおり受理を続ける。
「帰ってきたら、原本と一緒に綴じますから」
「ええ。……留守の間の記録も、楽しみにしているわ」
ハンナは泣かなかった。代わりに、背筋を伸ばして、深くお辞儀をした。記録係の、精一杯の見送りだった。書類袋の中には、六つの束の目録と、ミナの便箋と、刺繍の栞が一本。もう一本は、レオンハルトの胸のポケットに収まっているはずだった。
領境の峠に差しかかったところで、後ろから早馬が追いついてきた。王都の公証局の使いである。今度はミナではなく、局長の封だった。
『最終の通知を転送する。公開裁定、第一声の証人は、アーレン。そちらの記録から、席は始まるそうだ。――順番を、間違えるな』
私は封を閉じ、峠の向こうを見た。王都は、まだ見えない。けれど、今度は、その街で何が待っているか、分かっている。
(順番は、間違えません。――最初の一通は、私の三行から。記録の並べ方は、私の仕事です)
馬車は、まっすぐに王都への道を下っていった。




