争点は、五つ
招集状が届いて三日目の朝、私は分室の大きな机に、五つの束を作っていた。
公開裁定で問われることは、招集状の別紙に、箇条書きで示されていた。一、偽造された契約四件および抵当設定契約一件の効力と、両替商ギルドへの返済の扱い。二、ベルモント当主一家および元執事長クランツの責任の範囲。三、婚約解消の確認。四、――そして、四番目と五番目の間に、私の領の名があった。四、当領における市場登録制度の運用実績に関する報告聴取。五、その他、本件に関連する記録の整備状況。
(裁判の席で、領の自慢話をするわけではない。監査院は見ているのだ。「記録を正しく付ける仕組みを作れば、偽造は防げるのか」を。――私の領は、その実験台として呼ばれる)
「先生、束の名前札、書き上がりました」
ハンナが、几帳面な字で争点番号を書いた札を並べる。ペーターは私の指示で、証拠の対応表を作っていた。争点ごとに、どの書類が、どの日付で、何を証明するか。一枚の大きな紙に、線が引かれ、束と束が結ばれていく。
「……先生、この表、地図みたいです」
「記録の地図よ。公開の席では、大勢の人が、初めてこの件に触れるの。一件ずつ順を追う余裕はないかもしれない。だから、誰が見ても辿れる地図が要るの」
昼前、グレゴールが様子を見に来て、対応表を覗き込み、しばらく黙っていた。
「館の帳面の検めの時も、思いましたが。……先生の仕事は、戦の支度に似ておりますな。静かで、抜かりがない」
「戦ではありません、グレゴールさん」
「承知しております。だからこそ、始末がよいのです」
(戦ではない。誰かを打ち負かすための席でもない。ただ、記録が記録として、最後まで辿り直される席だ)
休憩の茶を入れながら、ハンナがぽつりと言った。
「先生。公開の席って、傍聴の人が大勢来るんですよね。……先生のことが、知らない人たちの前で、色々と言われるんじゃないですか。あの私怨だとか、そういう」
「言われるでしょうね」
「平気なんですか」
「平気ではないわ。でもね、ハンナ。非公開の席の方が、私は怖い。誰も見ていない場所では、声の大きい者の話が通ってしまう。公開の席は、逆よ。大勢の目がある場所では、紙の上にないことは、かえって言いにくくなる」
ハンナは湯呑を両手で持ち、少し考えてから言った。
「じゃあ、公開って、記録の味方なんですね」
「そう。私たちは、最初からそのつもりで記録してきたのよ」
(怖さがないわけではない。けれど、この子たちにもう伝わっていることが、私には何よりの支度だった)
午後は、制度の報告の準備だった。登録簿の集計、係争の推移、市場の声の書き留め。ペーターが余白に集めた声は、既に四十件を超えていた。フォーゲル織物店の老店主は、頼みもしないのに自ら分室へ来て、こう言った。
「裁定の席で、領の話をするのなら、この老いの話も持っていってくだされ。六十年前の許可証一枚で、店を畳むところだった人間が、登録第一号になって、孫の代まで店を続ける算段がついた、と」
「……陳述書に、していただけますか。あなたの言葉で、署名を添えて」
「もちろんですとも。名前と日付のある紙なら、書きますとも」
老店主は笑って、ペンを取った。両村の村長からも、連名の書簡が届いていた。水の契約が、堰の番の揉め事をどう変えたか。二人の字で、交互に書かれた、少し不揃いな書簡だった。
(裁定の席に、私は一人で立つのではない。百十二件の登録と、この領の暮らしの全部を、背負って立つのだ)
夕方、レオンハルトが対応表を見に来た。五つの束と、大きな地図を、順番に確かめる。
「領主としての私の席も、用意されているそうだ。制度の聴取では、私からも話す」
「閣下が、ですか」
「制度を作ったのは、この領だ。領主が口を閉ざす理由はない。……それから、セリナ」
彼は束の一つ――三番目、婚約解消の確認書の束――を指で示した。
「この席で、お前とあの家との縁は、公にも終わる。……終わったら、話したいことがある」
「……用件、ですか」
「用件ではない。私の話だ。――答えは、急がない。裁定が終わって、お前がこの机に戻ってからでいい」
(用件ではない、この人の話。……心臓が、記録に残らない音を立てた)
「分かりました。裁定が終わったら、お聞きします」
「ああ。逃げるなよ」
「公証人は、書類からは逃げません」
「書類の話ではない」
そう言って、彼は少しだけ笑って出ていった。私はしばらく、扉の閉まる音を聞いていた。
夜、書記当番の衛兵が、王都からの定期便を届けてくれた。監査院関係の封書が二通、ミナからの私信が一通、そして、もう一通。
ミナの手紙によれば、公開裁定の傍聴の申し込みは、既に定員の何倍にもなっているという。両替商ギルドの人々、公証局の若い衆、それに、どこで聞きつけたのか、婚家に娘を持つ貴族の母たちまで。『「読まない書類に印を押さなかった公証人」の裁定だもの、王都中が気になってるわ。あんたの三行は、もうあんただけのものじゃないのよ』
(私怨で作り替えた、と疑われた三行が、今度は大勢の人の目で、検められる。……いいでしょう。それが、この三行の辿るべき道なのだ)最後の封書を見て、私は息を呑んだ。差出人は、ベルモント伯爵夫人。宛先は、領地公証官セリナ・アーレン。公的書式に則った、面会の申出書だった。
――裁定の席に先立ち、一度、お目にかかりたく存じます。面会の記録が取られることも、写しが監査院に及ぶことも、承知のうえで申し出ます。
署名は、夫人の自筆だった。名前と、日付のある、正式な書面。
(あの家からの書面に、初めて、自分の名前で署名した人がいる。……七年間、あの家で、名前のない走り書きしか見たことのなかった人に)
私は受理簿を開き、その申出を書き込んだ。面会の申出あり。書面による。記録への同意、明記。――書きながら、私の手は静かだった。
明日、返事を書こう。面会は受ける。記録の取れる場所で、こちらの書記を同席させて。あの日々、私を見送ったあの人が、自分の名前で何を言いに来るのか。それを、記録に残すために。




