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任せきりには、しない

 カスパルの証言の日、伯爵夫人は審問室に現れなかった。


 審問の始まる前、廊下の端で、私はその意向が形になるのを見た。家令格の男が、封書を抱えて代理人のもとへ小走りに近づき、深く頭を下げて引き渡していたのである。家の中で起きていることが、廊下の端々にまで、滲み出ていた。


 代わりに届いたのは、家の法務代理人を通じた、一通の書面だった。証言の内容について、家の公式見解――「当主一家は不正を知らなかった」――を維持するよう求める、夫人の意向を記したものだという。


 だが証言が始まる前、カスパルは主席監査官に向かって、静かに言った。


「審問官。その書面は、家の見解として取り下げます。私の証言は、私の言葉で行います」

「……よろしいのですか、ベルモント氏」

「はい。――もう、誰の文面も読みません」


(代理人の顔が、青ざめた。……用意された台詞を捨てた嫡男の顔は、領都で会った時と、少しだけ違って見えた)


 宣誓の後、オルトはまず、日付の偽りについて問うた。


「書類の日付を遡らせる『手続き』が、家の中で慣例となっていた。そのことを、あなたは知っていましたか」

「知っていました。クランツに任せれば、面倒な書類も日付を整えて通ると。それが、この家の『段取り』なのだと」


「今年、あなたが公証人アーレンのもとへ持ち込んだ抵当設定契約書。その日付が偽りであることも」

「知っていました。……あの時、私は彼女に、知っていて押させようとした。それは、はっきり認めます」


「抵当の倉庫が、火災で焼失していたことは」

「報告は、受けていました。抵当がその倉庫だと、書類を読めば分かったはずです。……読まなかったのは、私です」


 線引きは、はっきりしていた。知っていたことについては、一つも言い逃れをしない。だが、印については、声の調子が変わった。


「印については、知りませんでした。死去した方の印だと、クランツがどこから手に入れたかも。――ですが審問官、それを『知らなかった』で終わらせるつもりはありません。知らないでいられたのは、私が実務の全部を、あの男に任せきりにしてきたからです。確認する手間を惜しんだのは、私です」


 オルトは、なお問いを重ねた。


「では、ご母堂は。家の財政と実務の実態を、どこまでご存じだったと、あなたは考えますか」

「……それは、母の口からお聞きください。今日の私は、私の知っていたことだけを話します。誰かの代わりに線を引くことも、私はもう、しません」

「ご自分の線は、引いた、と」

「はい。知っていて読まなかった。それが、私の線です」


 傍聴席の代理人が、たまらず声を上げた。


「ベルモント様。ご発言は、家の責任の範囲に直接関わります。再度、お考え直しを」

「考え直した結果だ」


 カスパルは振り返りもしなかった。


「母には、私から話します。この証言の写しも、私が持って帰る。……母も、書類を読まない人でした。それをいいことに、私も読まなかった。家の中で、読む仕事は全部、他人に押しつけてきたのです」


 オルトが、もう一つ問うた。


「あなたは先月、証人の勤める分室を、公式の面会として訪れている。何のためだったか、記録のために述べてください」

「……家の書類を取り戻すためです。それと、彼女の口から『家は知らなかった』と言わせるためだった」

「結果は」

「逆でした。彼女の記録は、家を救うためのものではなかった。真実を、そのまま置いておくためのものだった。……私には、それがなかった。だから今日、ここにいるのだと思います」


(読まない家の跡取りが。今日、証言台の上で、初めて「読んだ」のだ。――自分の家の、醜い記録を)


 オルトが、静かに続けた。


「あなたの証言は、家にとって不利に働く。それでも、続けるのですか」


 カスパルは、少しだけ間を置いた。


「この数日、私は家の帳簿を、最初から読みました。三日かかりました。……頁を繰るたびに、思った。これは、滅びる家の帳簿だと。延命の跡が、頁ごとに滲んでいる。止める役目は、跡取りの私にあったはずです。それをしなかった。だから、続けます」


 オルトが、クランツについても問うた。


「執事長クランツについては、どう考えます」

「あの男の罪は、あの男のものです。ですが、箱を渡したのは、この家の仕組みでした。仕組みの中では、人は楽な方へ流れます。……流れを作った側の責任を、流された側だけに負わせるのは、違うと思います」


「はい。一つ、申し上げます。両替商ギルドへの返済について。家の別邸と、北の所領を処分し、返済計画を立てました。計画書は、今日、監査院に提出します。偽りの書類で得た金は、偽りのままでは終わらせません」


 それから彼は、初めて証人席の方――私の方を見た。


「もう一つ、記録のために申し上げます。あの日、彼女が印を押さなかったのは、正しかった。あの時押されていたら、偽造の共犯として、彼女の名が残った。……彼女の原則が、この家の嘘を、初めて止めたのです」


 審問室が、静まり返った。書記官のペンだけが、彼の言葉を追い続けた。


(ありがとう、とは言えない。言えば、この場の意味が変わってしまう。――だから私は、証人席で、ただ小さく頭を下げた)


 証言の写しへの確認の署名を求められ、カスパルはペンを取った。その手は、震えていなかった。分室で議事録に署名した日の、あの震えとは、もう違っていた。


 証言が終わり、カスパルが席を立った時だった。彼は代理人の持つ書面の束とは別に、自分で重い木箱を抱え上げ、審問官の机の前に置いた。家計帳簿の、原本だった。


「提出の期限は、二十日後でしたね。――待たせる理由が、ありません。帳簿は、私が持ってきました。読まれるべきところは、全部、お読みください」


 蓋の開く音が、審問室に小さく響いた。二十日分の猶予を、自ら捨てた男の、最初の一歩だった。


 私は証人席で、その重そうな箱を見つめていた。読まれることを拒んできた家の帳簿が、今、持ち主自身の手で開かれようとしている。

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