議事録のある面会
面会の朝、私は九時には分室の準備を終えていた。
議事録の帳面は新しいものを下ろし、表紙に日付と件名を記す。ペーターには同席と、原本類に一切手を触れさせない見張りを頼んだ。ハンナには、議事録の書き方を改めて言い聞かせる。
「発言は要約せず、そのまま書いて。私の言葉も、相手の言葉も。……それから、私が何か言い淀んでも、書く手を止めないで」
「止めません。……先生、緊張、してますか」
「しているわ。だから手順を決めてあるの。手順があれば、緊張していても仕事はできる」
(七年、顔を合わせてきた相手と、記録を挟んで向かい合う日が来るとは。人生は、本当に帳尻が合わない)
十時の少し前、カスパルは分室の扉を叩いた。
痩せていた。目の下の隈は、ミナの手紙のとおりだった。旅装の上着は立派な仕立てなのに、袖口がほつれている。伯爵家の嫡男のそんな姿を、私は初めて見た。
「……よく来たな、セリナ」
「公務中ですので、アーレン公証官とお呼びください。お掛けになって。書記のハンナとペーターが同席し、議事録を取ります。ご発言は、すべて記録されます」
彼は同席者を見て一瞬たじろぎ、それから自嘲気味に笑って座った。
「ずいぶんと、堅いな」
「面会は公務です。用件をどうぞ」
(この堅さが、今日の私の鎧だ。脱ぐわけにはいかない)
彼の用件は、三つあった。
一つ目。私の持つ三冊の綴り――彼は「家の書類」と呼んだ――の引き渡し。家で保管すべきものだ、と。
「お断りします。あれは私が公証人として作成した記録の控えで、管理は規則で私に義務づけられています。原本ではなく控えであること、作成者は私であること。――この二点は、議事録に明記してください、ハンナ」
「はいっ」
彼は不満げに口を動かしたが、それ以上のことは言わなかった。
二つ目。監査院への陳述について。「家の者は、あの印の不正を知らなかった。その一文を、あなたの口から言ってもらえないか」
「できません。私の知らないことを、事実として述べることはできません。……カスパル様、あなたはご存じないかもしれませんが、私の陳述書は既に受理されています。中身は、申出と不受理の事実だけです。誰かを庇う文も、陥れる文も、入っていません」
「……庇う文が入っていない。それが一番、堪えるんだがな」
(分かっている。事実だけが並んだ紙ほど、言い逃れの余地のないものはない。だから彼は、ここまで来たのだ)
三つ目に、彼はしばらく黙り、やがて思いがけないことを言った。
「……婚約の話だ。あれは、まだ取り消せる。母も、考え直している。お前が家に戻れば、両替商どもも、少しは矛を収める。お前の記録の信用が、家を救うんだ」
分室が、静まり返った。ハンナのペンの止まる音まで聞こえた気がした。
(婚約の、復活。七年を終わらせるのに半日もかからなかったのに、戻す話は、こうも簡単に口に乗るのか)
「カスパル様。それは、契約のご提案ですか」
「何?」
「条件と対価のあるお話に聞こえましたので。……ですが、私はもう、ベルモント家の人間ではありません。ヴァルデン領の領地公証官です。ご提案は、お受けできません」
彼は俯いた。怒るでもなく、責めるでもなく、ただ椅子の中で小さくなっていくようだった。
「……一つ、伺います。あの日、あなたは日付が偽りだと、知っていましたね」
沈黙が落ちた。やがて彼は、掠れた声で言った。
「知っていた。……だが、印のことは知らなかったんだ。死んだ公証人の印が使われていたなんて。俺が知っていたのは、『手続きを早める方法がある』と、それだけだった。実務はずっと、執事長のクランツに任せきりだった。先代の頃からの男で、母が全幅の信頼を置いていた。印の手配も、公証の段取りも、あの男が全部」
「クランツ氏は、その印を、どこから」
「遺族から預かったと、言っていたそうだ。『形見分けの際、公証人の道具一式を託された』と。……馬鹿な話だ。だが誰も、確かめなかった。書類さえ通れば、誰も中身を見なかったんだ。この家ではな」
(読まない家。――それが、あの家の病の名前だったのだ。悪意よりも、ずっと根深い病だ)
「……一つ、記録から申し上げます」
私は受理簿の写しを開いた。
「一昨年の春、クランツ氏が王都公証局に相談に来ています。用件は『新様式の公布日と、旧様式の扱いについて』。応対したのは、私です。あの時あなたがたの家は、新様式がいつから効力を持つかを、正確に知っていた。……知っていた上で、公布前の日付の書類に新様式を使った、ということです」
カスパルの顔から、最後の色が抜けた。
「……そこまで、残っているのか」
「記録は、相談の段階から残ります。それが公証局という場所です」
私は淡々と彼の言葉を復唱し、ハンナの議事録に漏れがないことを確かめた。
「今のも、書くのか」
「はい。面会は公務ですと、最初に申し上げました」
帰り際、彼は議事録の写しに、同席確認の署名をした。ペンを持つ手が、微かに震えていた。扉のところで、彼は振り返った。
「セリナ。……クランツが、三日前から邸に戻っていない。帰る時は必ず一報入れる男なんだ。懐には、家の印章箱を持ち出した形跡がある」
「……それも、記録します」
「ああ。好きにしろ。――もう、何を記録されても、変わらない気がするよ」
扉が閉まり、足音が遠ざかる。私はしばらく、議事録の文字を見つめていた。手が、震えていた。彼の手ではなく、私の手が。
(終わった。七年の婚約の、本当の終わり方は、こういうものだったのか)
扉が、静かに開いた。レオンハルトだった。彼は何も聞かず、窓際の椅子に腰を下ろし、私が受理簿に今日の面会を書き終えるまで、ずっと待っていた。その沈黙が、どんな言葉よりもありがたかった。
最後に、私は受理簿へ一行を書き足した。――執事長クランツ、邸を出たまま行方不明。家の印章箱、持ち出された形跡あり。
(印を持って消えた男。……この綻びは、まだ広がる)




