事実だけを書く
祭りの支度が始まった頃、私はもう一つの仕事に取り組んでいた。――公爵領の記録を、王都の様式に合わせて整理し直すことだ。
王都からの「定期的な報告を求める」という一文は、ただの文言ではない。報告がなければ、次はもっと強い照会が来る。報告があれば、領の制度は「王都に認められたもの」として残る。
私は、市場の登録簿、水路の契約書、営業の届け出を、一つずつ、王都の様式に写し直した。日付、署名、印影。欠けているものがあれば、補うのではなく、「欠けている」と書く。
「先生、欠けているところを、そのまま書いていいのですか」
「ええ。事実だけを書くの。――事実を飾ると、後で必ず、誰かがその飾りを暴く。飾らない事実だけが、長く残る」
ペーターが、古い契約書の束を運んできた。
「先生、これ、水路の古い契約です。日付が、二通で違います」
「……どちらが本物か、調べましょう。印影と、紙の様式と、筆跡で」
調べれば調べるほど、領の記録には、古いほころびが見つかった。日付の食い違い、署名の欠落、印の押し忘れ。それらは、悪意ではなく、長年の「口約束の慣習」が残したものだった。
(悪意のないほころびも、記録としては、ほころびだ。――それを、どう直すかが、私の仕事)
私は、ほころびのある記録には、すべて「補足」の紙を付けた。いつ、誰が、どう確認したか。元の記録は書き換えず、補足だけを添える。そうすれば、後から見る人も、「ここが直された」と分かる。
「先生、これ、すごく手間がかかりますね」
「ええ。でも、手間をかけた記録だけが、信用される。――信用は、手間で買うものよ」
夕方、公爵が分室に来た。
「報告の進み具合はどうだ」
「市場の登録は、王都の様式に写し終えました。水路の契約は、ほころびの補足を付けています。――あと、祭りの水車の管理台帳も、作り始めています」
「祭りの水車か。……あれは、領の者にとって、特別なものだ。気をつけて扱えよ」
「はい。――特別なものほど、記録を丁寧に」
その夜、私は窓の外の市場を眺めた。祭りの提灯が、少しずつ増えている。市場の人々は、祭りを楽しみにしている。登録証を掲げた店、絹を並べるフォーゲルの店、綿の新柄を売るリーザの店。
(領は、変わりつつある。――私の記録が、その変化の、ほんの一部になっているのなら、それでいい)
私は、受理簿の次の頁に、こう書いた。
「事実だけを書く。それが、公証人の、最初で最後の約束である」
祭りの支度は、まだ続く。水車の音が、遠くで聞こえる。次の話は、祭りの水車から始まるのだろう。
(記録は、祭りでも、日常でも、同じ。――事実だけを、丁寧に、書いていく)




