5話
国内事案の数は、いつの間にか、官邸が無視できる範囲を超えていた。三浦は資料を眺めながら、眉をひそめる。
暴力性の強い患者対応、鎮静が効かない、薬物反応なし――発生間隔は短くなり、地域もばらばらだ。それでも官邸は、まだ静かだった。
「国内事案について、警察庁から説明をお願いします」
副長官補の声はいつも通り、抑揚がない。危機感はない。
「先週の対応事案は、三十件に達しました。単独事案として処理可能ですが、現場負荷は増しています」
「関連性は確認されていますか」
「現時点では、ありません」
三浦は資料に目を落とす。
関連がないのではない。**まだ見えていないだけ**だ。
厚労省の課長補佐も、声をあげる。
「医療現場からは、引き続き照会があります。ただ、症例のばらつきが大きく、共通の疾患像として整理できる段階ではありません」
三浦はその表現に、胸の奥がざわつくのを感じた。
整理できる段階ではない、とは、**整理できる材料がまだ揃っていない**ことを意味する。
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会議室の空気は平穏だ。
副長官補は書類に目を落としながら淡々と指示する。
「現行の枠組みで対応を継続。追加の情報収集をお願いします」
異論はない。
だが三浦は、椅子に座ったままじっと資料を見る。数字は確実に増えている。
増えているのに、誰も慌てていない。
「……もう、無理だ」
小声で三浦は呟く。
誰も聞いていない。聞いても、理解できないだろう。
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その日の夜、三浦は官邸の机で資料を時系列に並べ直していた。国内の事案、海外情報、医療機関からの照会。すべて点として存在するだけで、線は描けない。
画面の向こうの海外ニュースでは、医療施設の前で人々が入り乱れている映像が流れる。字幕にはこうあった。
*当局は複合的な要因で対応中とのこと*
複数の要因――整理できないときに便利な言葉だ。
三浦はため息をつく。
整理できない材料を前に、官邸は動かない。
でも、このままでは、国内も同じ轍を踏む。
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翌朝、国内医療機関からの追加照会が届く。文章は冷静だ。
*原因不明の興奮状態患者対応が再度発生。既往歴なし。*
原因不明――説明できない、ではない。**誰も把握できていない**。
三浦は、その言葉を何度も読み返した。
そして、はっきり思った。
**誰も整理できていないまま、事態は加速している。
官邸の静けさは、錯覚だ。**
三浦は資料を閉じた。
動かなくても、もう手遅れに近いことだけは、感じ取れる。




