第十六章 記事の中の二人
第十六章 記事の中の二人
地域の広報誌は、入口近くの台に積まれていた。
無料で持ち帰れる、薄い冊子だった。
表紙には商店街の写真があり、その隅に、三日月書店の青い看板が写っている。
佐伯は一冊を取った。
新しい号だった。
昨日、ここにあったものとは表紙が違っていた。
「何か載ってる?」
藤井が隣へ来た。
「防犯についての特集のようです」
「この店も?」
「ええ」
佐伯は目次にあったページを開いた。
防犯設備の点検。
近隣店舗との連絡。
定期的な訓練。
その下に、店主への取材記事が載っていた。
取り組みのきっかけは、過去に起きた強盗事件だった。
*
藤井が、記事へ顔を近づけた。
「……ここだ」
佐伯も頷いた。
三日月書店。
閉店前の店内。
刃物を持った男。
昨日、二人が思い出したことが、印刷された文字で並んでいた。
店員一人が死亡し、客一人が重傷を負った。
佐伯は、その行で目を止めた。
藤井が何か言いかけた。
けれど、言わなかった。
「店員は」
佐伯は、自分で口を開いた。
「私、でしょうね」
藤井は答えなかった。
記事は続いていた。
事件を忘れないため、当時の報道や店の記録を保管しているという。
佐伯は冊子を持ったまま、カウンターを見た。
「……ファイル」
取材の資料。
地域の催しの記事。
この店のことが載った紙を、まとめて入れていた。
「奥に、あるはずです」
*
事務用品の棚に、背の厚いファイルがあった。
佐伯が引き出すと、藤井はカウンターの上を空けた。
二人で開く。
古い広告。
著者の来店記事。
商店街の催しの写真。
その途中に、新聞の切り抜きが挟まっていた。
佐伯は、ゆっくりページをめくった。
自分の名前があった。
佐伯修司。
名前の前に、死亡した店員、と書かれていた。
その下に、藤井航平の名前もあった。
病院へ搬送され、意識不明の重体だという。
年齢も、あのときの二人のものだった。
「……そっか」
佐伯は言った。
倒れた先が、どうしても思い出せなかった。
自分には、そのあとの記憶がなかったのだ。
藤井は切り抜きを見つめていた。
佐伯がページを戻そうとすると、その手の近くへ、藤井の指が伸びた。
「待って」
「はい」
「もう少し」
佐伯は手を止めた。
藤井は、佐伯の名前のある行を、もう一度読んだ。
*
「俺のほうは」
しばらくして、藤井が言った。
「このときは、生きてたんだ」
佐伯は頷いた。
「搬送されたと、ありますね」
「でも、今は」
二人は手元の切り抜きの日付を見た。
あの夜の翌日だった。
そこから今日まで、時間がたっている。
佐伯は、広報誌をもう一度開いた。
記事の最後まで、まだ読んでいなかった。
店主の言葉が、続いていた。
亡くなった店員を悼むこと。
事件を風化させないこと。
そして、負傷した客について。
家族の了承を得て近況を掲載していると断ったあと、取材の時点でも、入院が続いていると記されていた。
まだ意識は戻っていない。
佐伯は、藤井のほうへ冊子を動かした。
藤井は読んだ。
最後まで読み、それから取材日を確かめた。
今月の日付だった。
「……俺、生きてるんだ」
声が、少しかすれた。
佐伯は藤井を見た。
藤井も顔を上げた。
「そう、書かれています」
佐伯は答えた。
目の前には、いつもの藤井がいる。
夜になると本を選び、近すぎる距離で読み、面白いところがあると顔を上げる。
その人が、今も病院にいる。
二人とも、しばらく何も言えなかった。
*
「夜久園長」
佐伯が言うと、藤井も頷いた。
「帰ったほうがいいって」
「はい」
「あれ、そういう意味だったのかな」
藤井は、ゆっくり自分の手を見た。
佐伯には声をかけられなかった。
帰ったほうがいいとも、戻れますよとも。
どうすれば戻れるのかは、記事には書かれていない。
戻ったらすぐに目が覚めるのかも、分からない。
けれど、藤井は死んでいなかった。
少なくとも、今月の取材の時点では。
佐伯は広報誌へ目を落とした。
店主は、回復を待っていると語っていた。
藤井はもう一度、その短い記事を読んだ。
「家族、いるんだよね」
「ええ」
「思い出せてないこと、まだいっぱいあるな」
そう言って、カウンターへ手をついた。
佐伯も、ファイルの端へ手を置いた。
藤井が、そちらを見た。
「あのさ」
「はい」
「俺、佐伯さんに助けてもらったんだね」
佐伯は切り抜きを見た。
客を助けようとして負傷した、とある。
自分がしたことが、短くまとめられていた。
「間に合わなかったと、思っていました」
口にしてから、気づいた。
倒れたあと、藤井の姿を見ようとした。
助けられたのか、分からないままだった。
夜の店でまた会い、同じように過ごしていたから。
藤井も自分と同じなのだと、いつの間にか思っていた。
「俺、まだ生きてるって」
藤井が言った。
「うん。まだ、ちゃんとお礼も言えてないけど」
そこで一度、言葉を切った。
「ありがとう」
佐伯は頭を下げかけた。
いつもの癖だった。
途中でやめて、藤井を見た。
「……はい」
それだけ答えた。
*
藤井はファイルを閉じた。
広報誌は、閉じずにその上へ置いた。
「これ、もう少し見てていい?」
「もちろん」
佐伯はカウンターを空けた。
藤井が椅子を近くまで運んだ。
座って、冊子を手元へ寄せる。
佐伯は向かい側に立っていた。
何か言わなければと思い、言葉が見つからなかった。
帰らないんですか。
そう尋ねるには、まだ早い気がした。
いつものように、何を読んでいるんですかとも聞けなかった。
藤井が顔を上げた。
「佐伯さん」
「はい」
「ちょっと、ここにいて」
佐伯は頷いた。
「いますよ」
藤井はまた、記事に目を落とした。
佐伯はカウンターに手を置いたまま、その向かい側にいた。




