第十二章 行き先未定
第十二章 行き先未定
「ところで、本を出たあとは、どちらへ?」
佐伯が尋ねると、リディアは棚を見渡した。
「これだけあれば、どこかあるでしょう」
「何が?」
藤井が顔を上げる。
「引っ越し先」
セラフィーヌが、そっとリディアの袖へ触れた。
「ほかのお話へ入れるかどうかも、分からないわ」
「入れた場合に備えて、選んでおくの」
「そう……」
セラフィーヌは手を離した。
止める言葉が見つからなかったらしい。
藤井は佐伯を見た。
「入れるのかな」
「さあ。ただ、本を選んでいただくことには、差し支えございませんので」
佐伯はリディアに向き直った。
「どのようなお話をお探しでしょうか」
「泣かなくてよくて、靴があって、自由に庭へ出られるところ」
佐伯は、少し考えた。
「……ジャンルから伺っても?」
*
最初に向かったのは、ミステリーの棚だった。
「ここ、きれいな家が多いわね」
リディアが一冊を抜いた。
表紙には湖畔の洋館が描かれている。
「ああ、それ面白いよ」
藤井が言った。
「どんな話?」
「親戚が集まって、遺産のことで揉めて」
「うちと大して変わらないじゃない」
「でも、そのあと事件が起きて」
リディアが裏表紙を読んだ。
「殺されるの?」
「人による」
「どの人?」
「それ言うと、読む楽しみが」
「住むほうの安全を考えて」
藤井は口を閉じた。
セラフィーヌが、あらすじをのぞき込む。
「嵐で、橋が落ちるそうよ」
「駄目ね。庭に出られるどころか、敷地から出られない」
リディアは本を戻した。
「しかも、こういう家だと、私、最初に悲鳴を上げる役になりそう」
「似合いそうだけど」
「ほらね」
睨まれた。
佐伯が、棚の一段下を示した。
「こちらは、日常の謎を解くお話です。殺人事件ではありませんよ」
「それなら――」
リディアが手を伸ばす。
セラフィーヌは隣で裏表紙を読み始めた。
「商店街で、なくなった片方の靴を……」
手が戻った。
「靴から離れたいの」
*
冒険小説の棚では、剣を持った少女が表紙に立っていた。
リディアは感心したように頷いた。
「この子、動きやすそう」
「旅する話だよ。仲間と、世界の果てまで」
「馬車?」
「歩いたり、船に乗ったり」
「歩くの」
「うん」
「どのくらい」
藤井は、並んだ巻数を見た。
セラフィーヌも見た。
端から端まで、視線を動かす。
「……長い旅なのね」
「却下」
リディアは即答した。
「靴、丈夫そうだよ」
「丈夫な靴が必要な距離を、歩きたくない」
藤井は本を戻した。
次は、海辺の小さな喫茶店を舞台にした小説だった。
「これは?」
「いいわね。お茶もある」
リディアがあらすじを読む。
佐伯が隣から説明した。
「喫茶店を引き継いだ主人公が、不慣れなお仕事を覚えていくお話です」
「私が、お茶を出すほう?」
「こちらの主人公は、そうですね」
「飲むほうがいいんだけど」
「お客さんとして入れば?」
藤井が言うと、リディアは考えた。
セラフィーヌも真剣に表紙を見る。
「でも、この服では、少し目立ってしまうかもしれないわ」
「じゃあ、着替える」
「着替えを持ってきてないでしょう」
「取りに帰って」
リディアは、途中で止まった。
藤井も黙った。
佐伯は、そっと喫茶店の本を受け取った。
*
「主人公じゃなくてよくない?」
藤井が言うと、リディアは振り返った。
「何が?」
「ほかの本に行ってまで、真ん中にいようとしなくても。泊まり客とか、近所の人とか」
「そうね」
リディアは頷いた。
「三食出て、部屋があって、何もしなくていい人」
「その人の話、俺はあんまり読みたくないな」
「読まなくていいわよ。私が楽なら」
藤井はセラフィーヌを見た。
「いつも、こんな感じ?」
「ええと……」
「困った顔しないで。悪役なんだから、そこは悪く言いなさいよ」
「でも、私には、別に」
セラフィーヌは首を振った。
「さっきから、私の歩く速さに合わせてくださっているし」
リディアの顔が、すっと変わった。
「ドレスの裾が長いから、転ばれたら面倒なだけ」
「ええ。気をつけます」
「いい子じゃん」
藤井が言った。
「それ、やめて」
すぐに返ってきた。
「今、ちょっと歩くのを待っただけで、次の巻までいい子でいろってことになるのよ」
「そこまでは言ってないよ」
「作者なら、する」
セラフィーヌが何か言いかけて、やめた。
「するでしょう?」
「……そうね」
藤井は笑った。
今度はセラフィーヌも、少し笑った。
*
一周して戻ると、藤井の椅子が空いていた。
リディアが見た。
藤井は先に座った。
「早いわね」
「学んだから」
佐伯が、二人の本を元の棚へ戻す。
リディアは、その表紙を見ていた。
「で、どう?」
藤井が尋ねた。
「行き先」
「保留」
「本出は?」
「保留」
セラフィーヌが、胸元で両手を重ねた。
「では、今夜はお戻りになるのね」
「着替えもないし」
「ええ」
「靴も、歩き回る用じゃないし」
リディアはドレスの裾を少し持ち上げた。
細い靴の先が、のぞいた。
藤井は頷いた。
「両方、あるうちにね」
「……それ、あまり笑えないんだけど」
「ごめん」
セラフィーヌが、自分の足元へ目を落とした。
「あの。隠す靴は、履いていらっしゃらないものにするわ。できるなら」
「いいわね。いちばん窮屈なやつ、教える」
「はい」
「どこに隠すかも、あとで教えて」
「……分かりました」
藤井は表紙のセラフィーヌを見た。
この悪役は、ほかの人と組ませたら、仕事にならないかもしれない。
「ところで」
リディアが佐伯を見た。
「ここ、また来てもいいのよね」
「ええ。どうぞ」
「文句を言いに?」
「お話を伺うくらいでしたら」
「毎晩でも?」
藤井が顔を上げた。
「読む時間は、ちょうだいね」
「合間にする」
「合間、あるかな」
「私が息を吸ってるとき」
「短いよ」
佐伯が笑った。
リディアも、今夜はよく笑っていた。
「じゃあ、今日は帰る」
言い方は、少しも殊勝ではなかった。
「次に何かあったら、また来るから」
「靴の続報、待ってる」
「楽しみにしないで」
リディアはセラフィーヌの腕へ手をかけ、通路を歩き始めた。
「帰ったら、殿下には何て?」
セラフィーヌが小さく尋ねる。
「本を見に行ってたって」
「嘘では、ないわね」
「でしょう」
声が、棚の向こうへ遠ざかる。
藤井は膝の本を開いた。
ちょうど、リディアが殿下へ微笑みかける場面だった。
少し読み、顔を上げる。
「佐伯さん」
「はい」
「俺、次からこの子が微笑んでも、何考えてるか気になっちゃう」
佐伯は表紙の少女を見た。
「では、次のご来店の際に、伺ってみては」
「聞かないほうがいいことって、あるよね」
藤井はそう言って、また続きを読んだ。




