↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三日月書店、本からのお客様。――利益は一切ございません。  作者: もちむぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/17

第十章 働く側の意見

第十章 働く側の意見


「続編って、出るんですかね」


 その夜の客は、挨拶のあと、いきなりそう尋ねた。


 黒いジャージを着た、若い男だった。

 片手には一冊の本。

 もう片方の手で、少し浮いた寝癖を押さえている。


 藤井は表紙を見て、顔を上げた。


「悠斗?」


「はい」


「宵待保育園の?」


「そうです」


「読んだ。俺、それ好き」


 悠斗は少し驚いた顔をした。

 それから、本を持ち直した。


「ありがとうございます」


「続編、出てほしいなあ」


「……そうですか」


 返事が、思ったより暗かった。


 佐伯が隣へ来た。


「ご希望ではないんですか」


「いや。園が続くのは、いいんですけど」


 悠斗は表紙へ目を落とした。


「また何か起きるのかなって」


     *


「作者って、どこにいるんですかね」


「もちむぎ?」


「はい。一度、話をしたいんですけど」


「何て?」


「あなたが一晩、やってみてくださいって」


 藤井は笑った。

 悠斗は笑っていなかった。


「六年、働いてなかった人間ですよ。俺。復帰先があそこって、段階を飛ばしすぎじゃないですか」


「でも、向いてたじゃん」


「結果を知ってる側の言い方ですよね、それ」


「……そうだね」


 佐伯が、表紙から顔を上げた。


「こちら、私はまだ読んでいなくて。夜間の保育園で働かれるお話ですよね」


「そう。最初、働きに出るまでがまた面白いんだよ」


「俺の社会復帰、面白かったですか」


 藤井は本へ目を落とした。


「応援はしてた」


「応援だけじゃ手は増えないんですよ」


 悠斗は自分の両手を見せた。


「二本ですから。俺の腕」


「七人もいますものね」


 佐伯は真面目に頷いた。


「新人の方に、初めから負担が偏るのは困りますね」


「そうなんです。俺が慌ててるところ、作者は絶対楽しく書いてるでしょう」


「読んでるほうも、結構楽しかった」


「でしょうね」


 藤井は口元を押さえた。


「それから、借用書」


「三千万の?」


「金額、すぐ出てきますね」


「あれ、忘れられないから」


 佐伯の顔が変わった。


「三千万円?」


「はい」


「保育園のお仕事で、ですか?」


「そこは読んで。佐伯さん、最初から読んだほうがいい」


「読む側は、それで済むんですよね」


 悠斗が言った。


「俺は、読み終わっても金額が減るわけじゃないんですけど」


 佐伯は表紙を見直した。

 さっきより、慎重な持ち方になっていた。


「続編で、ゼロをひとつ減らしてくれませんかね。誤植でしたって」


「借用書の誤植は、大問題でしょ」


「俺の人生には、かなり助かる訂正です」


 今度は、佐伯も少し笑った。


 悠斗はため息をついて、寝癖を押さえた。


「乗り越えたからよかった、で済ませないでほしいんですよ。働く側の意見も、聞いてください」


     *


「続編で、どういう話ならいいの?」


 藤井が聞くと、悠斗はすぐ答えた。


「全員来て、全員無事に帰る話です」


「事件は?」


「いりません」


 早かった。


「何か、目標とか」


「朝です」


「朝」


「無事に朝になれば、いいんです」


 佐伯が口元を緩めた。


「一日の終わりが、きちんと来ることですね」


「はい。親御さんに、今日も無事でしたって渡せれば」


 悠斗はそこで、ふと本を見た。


「……まあ、何もない日でも、結構いろいろあるんですけど」


「例えば?」


「きゅうが、キュウリをもらう仕組みを勝手に作ろうとするとか」


 藤井は笑った。


「やりそう」


「十秒できたから一本、二十秒なら二本って。こっちは、息を整えろって言ってるのに」


「……何を十秒、ですか?」


 佐伯が、少し遅れて尋ねた。


「池で、顔を水につけるんです」


 悠斗は、自分の顔の前へ手をやった。


「縁をつかんで。俺も、すぐ届くところにいますけど」


「できるようになったんだ」


 藤井が身を乗り出した。


「はい」


 その返事には、さっきの暗さがなかった。


「前は、近づくのも怖がってたんで。今は自分から入るんです」


 悠斗は少し間を置いて、付け足した。


「調子に乗るから、休憩はさせますけど」


 藤井は佐伯を見た。

 佐伯も、静かに笑っていた。


「いい話じゃん」


「いや、大事件ではないですよ」


「そういう話も、読みたいよ」


 悠斗は口を閉じた。

 少し考え、それから、寝癖を押さえた。


「……それで一冊になるなら、ありがたいんですけどね」


     *


 話は、少しずつ長くなった。


 こはくが悠斗に化けると、耳と尻尾を同時にしまうのが難しいこと。

 めめは見えにくいものを、近づいて確かめるようになったこと。

 大河の小さな声が、きゅうに届いたこと。


「大声で言えた、じゃないんだ?」


「はい。声は小さいまま。でも、ちゃんと届いたんです」


 悠斗は、当然のことのように言った。


「聞いてほしい相手に届けば、いいので」


 藤井は頷いた。


 悠斗の持っている本には、もう書かれていない話だった。

 ページをめくらなくても、次々に出てくる。


「……先生の姿になる、というのは?」


 佐伯が尋ねた。


「化けるんです。俺に」


「お芝居で?」


「いや、本当に。顔も、声も」


 佐伯が藤井を見た。

 藤井は嬉しそうに頷いた。


「こはくって、悠斗のこと、よく見てるんだね」


「寝癖まで真似しなくていいと思うんですけど」


「直せば?」


「……朝、言われます」


 悠斗はまた頭へ手をやった。

 押さえた髪は、手を離すと少し戻った。


 佐伯が、笑いを隠すように本を持ち直した。


「お好きなんでしょうね。先生の姿が」


「そうだと、いいんですけど」


 悠斗は視線をそらした。


「最近は小吉も、自分の布団を選ぶ日が増えて」


「そばにいなくても、平気になった?」


「いえ。夜中に起きたら、いるかって聞くんです」


 藤井は、悠斗の顔を見た。


「何て答えるの?」


「いるよ、って」


 返事に迷いがなかった。


 佐伯は本を閉じた。


「それなら、安心して眠れますね」


「だといいんですけど」


 悠斗はそう言ってから、少し笑った。


「昨日も、自分の布団だったんで」


     *


「悠斗君、そろそろ帰りますよ」


「え?」


 悠斗が声のする方を振り返った。


 藤井も、そちらへ顔を向けた。


 銀縁の眼鏡をかけた男が、通路の端に立っていた。

 片手には、児童書が一冊。

 今までずっとそこで本を見ていたような、落ち着いた立ち姿だった。


 佐伯も、自然に頭を下げかけた。


 途中で、止まった。


「……いらっしゃいませ?」


「こんばんは」


 男は穏やかに会釈をした。


 悠斗が、ゆっくり振り返った。


「園長。いつからいたんですか」


「続編って、出るんですかね、というお話から」


「最初からじゃないですか!」


 悠斗が声を上げた。


 佐伯は、ゆっくり入口のほうを見た。

 それから園長を見た。


「お連れ様がいらしたとは気づかず、大変失礼を」


「いいえ。どうぞ、お気になさらず」


 藤井はその横で、笑っていた。


「本当にそうなんだ。いつの間にか、いるんだね」


「感心してないで、教えてくださいよ」


「俺も気づかなかったから」


 藤井は佐伯を見た。

 佐伯は、かすかに首を横へ振った。


 どちらも、通路を誰かが歩いてきた覚えはなかった。


「宵待保育園の、夜久です」


「佐伯です。こちらは藤井さん」


「どうも」


 藤井は、まだ笑いながら頭を下げた。


 夜久園長は何も気にした様子もなく、手にしていた本を戻した。


「お邪魔してしまいましたね」


「いえ。お話、楽しかったです」


 佐伯が答えた。


「続編について、ご相談にいらしたそうで」


 悠斗の肩が、少し動いた。


「相談というか。先に言っておいたほうがいいかなって」


「何をです?」


「何か起こすなら、せめて事前に教えてほしいと」


「作者の方に?」


「はい」


 夜久園長は、少し考えた。


「ことちゃんのお話は、先に聞かないことが多いようですが」


「それとこれとは、別です」


 藤井が笑った。


 悠斗は本を棚へ戻した。

 佐伯に背表紙の位置を教えてもらい、隣の本とそろえる。


「また来てもいいですか」


「うん。何も起きてないときに」


「そのほうがいいです」


 悠斗は、今夜いちばんはっきり頷いた。


     *


 夜久園長は、悠斗を先に通路へ向かわせた。


 それから藤井へ顔を向けた。

 眼鏡の奥の目が、一度、藤井の目を見た。


「藤井さんも、早くお帰りになった方がいいですよ」


 藤井は壁時計を見た。


「……もう、そんな時間か」


 園長は、柔らかく微笑んだ。


 佐伯にも会釈をし、悠斗のあとを追った。


 通路の角で、黒いジャージが振り返る。


「じゃあ、また」


「またね」


 藤井が手を上げた。


 悠斗の姿が棚の向こうへ消える。

 園長も、それに続いた。


 店内が静かになった。


 佐伯は、二人が消えた棚を見た。


「……結局、お二人とも、普通の方ではないんですね」


「悠斗は半妖。お母さんが雪女なんだよ」


「雪女」


「うん。園長は、ぬらりひょん」


「ぬらりひょん」


 佐伯は同じ言葉を繰り返し、もう一度通路を見た。


「それで、いつの間にか」


「そうそう。最初からいたっていうの、らしいよねえ」


 藤井は楽しそうだった。


「読んでて知ってても、全然分からなかった。いやあ、初めて妖怪見たわ」


「……半妖の方も、いらしたんですよね」


「そうだね。二人も会えた。あ、佐伯さん、それ読むなら先に言っておくけど」


 藤井は佐伯の持つ本を指した。


「園児も、全員妖怪だから」


「先に教えていただきたかったですねえ」


 ようやく、佐伯も笑った。


 藤井は椅子へ戻り、自分の本を開いた。


「早く帰ったほうがいいって言われたけど、あと一章だけ」


 佐伯は返事をしかけ、少し止まった。


 早く帰ったほうがいい。

 園長は、藤井にそう言った。


「佐伯さんも読む?」


「……ええ。まず、こちらから」


 佐伯は『宵待保育園』の最初のページを開いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。