<四>
川を渡って少し行ったところに、子供が一人道端に蹲っているのが見えた。
悠青たちに気付いて立ち上がった子供は十代半ばくらいの少年で、左肩に黒猫が一匹乗っかっている。
その猫も同じようにじっとこっちを凝視していて、八咫烏の知り合いだろうかと悠青は視線を上げた。
「おおタマ。丁度良い所におった」
「たまって、さっき言ってた人ですか?」
悠青の問いかけに八咫烏は「いかにも」と答える。
近くで見ると肩に居る黒猫と少年は雰囲気がどことなく似ていて、特に似ているのは金色に輝く瞳だ。少年の方も瞳孔がやや縦長で猫にそっくりだった。
次に目が行ったのはパーカーに大きく書かれた『猫』の文字。
加えて猫の耳と尻尾がついたリュックを背負っていて、猫好きであることを前面に押し出している。
パーカーの上には波の浮世絵を模した法被を羽織っており、年の割に粋な装いであるが、大人一歩手前の可愛い子供らしさが同居する顔立ちと、笑顔も少なくやや素っ気なさを感じる少年にその装いは良く似合っていた。
悠青はここではたと疑問が浮かび、少年と猫を交互に指差す。
「えっと……どっちがタマさん?」
八咫烏のように言葉を喋る猫だったとしたら、本命は少年ではなく猫の方かもしれない。名前からしても十分あり得そうだ。
悠青の質問に少年は僅かに眉を動かし、八咫烏を見る。
「ちゃんと説明してないの?」
「ん? あー、エンのやつも深くは触れんかったでのぅ。もう会うこともないなら説明する必要もないと思ったのだろうよ」
「ふーん」
少年はすんなり納得した様子で悠青を見た。
「ボクが玉磨瑪。閻煌様に何か頼まれてきたんだよね? なに?」
これには八咫烏が簡潔に説明した。
「――と、いうわけなのだが。悠青の浄化と現世に帰すのを手伝えとあやつに頼まれた。やってくれるな?」
説明を聞きながらじっくり品定めするかのような玉磨瑪の視線に少し居心地の悪さを感じる。
「……分かった。今からあなたを祓うけど、深淵に落ちる前に何をしていたか教えて」
そう改めて聞くとゾッとするなと思いながら悠青は困った顔をして打ち明ける。
「いやそれが、覚えてないんだ。人と会っていたことまでは覚えてるんだけど……」
「思い出せるはずだよ。もっと意識を集中させて――」
玉磨瑪の瞳に覗き込まれていると、頭にかかっていた靄のようなものが晴れていく気がして、悠青は言われた通り自分の行動を改めて思い返してみることにした。
* * *
れんかの相談を受けた日から翌週のこと。
悠青はれんかに気がある例の男――坂下と会うことになった。
折角だからと坂下に促され適当に昼食を取りながら話をした。
伝えたいことを伝え、れんかと席を立った悠青に坂下は食い下がり、やや強引に引き留めると連絡先の交換を求めてきた。
「れんかの彼氏ならオレも友達になりたい。それくらいいいだろ?」
どうにかボロを出さずに丸く収まったと思ったのだが、やけに悠青につっかかってくる。
れんかもこの男に困ってはいても、友人としての関係は続けていきたいのか強く拒絶する素振りを見せなかった。
連絡先を交換するまで引き下がらないだろうと判断した悠青は、仕方なく交換に応じた。
それからだ。坂下から遊びの誘いが頻繁に来るようになったのは。
ブロックすることも考えたが、そのせいでれんかに矛先が向いては意味がない。
どうにかしなければと思っていた矢先、坂下はあろうことか悠青の大学にまで押しかけて来たのだ。
こうも堂々と待ち伏せされては断りにくい。周りの目から逃れるようにして坂下を連れ出すしかなかった。
やって来たのは坂下の行きつけだというカラオケ店――。
悠青はドリンクバーでアイスを乗せたオリジナルフロートを作り、坂下と指定した個室に入った。
「また会えて良かった。嫌われてると思ってたから嬉しいよ。れんかに聞いてるんでしょ? オレのこと」
こっちが否定も肯定もせず適当に受け流しても、坂下は気にせずにこやかに話し続ける。
カラオケ店にいるのにほとんど歌わずにお喋りばかりだ。
悠青も歌には興味がなく気にしないが、個室に入った意味あるのかと少し疑問に感じた。
今度はメロンソーダフロートにしようかと飲み物のおかわりを考え始めた矢先……、
「悠青さんってれんかと付き合う前も恋人いた? いないわけないよなー。悠青さんかっこいいし」
褒め言葉もこの男が言うと胡散臭さしかない。
お世辞にも聞こえず、おかわりは諦めて無視して帰りたい衝動に駆られた。
そのことが顔に出ていたのか、坂下は顔を引き攣らせて言った。
「なんか無理に誘ったみたいで悪かったね。……これあげるから機嫌直してよ」
仲良くなりたいと言うわりに今度はあっさり身を引こうとする坂下。
悠青の前に置いたのは包み紙にくるまれた一つの飴玉だった。
子供扱いされたことにさすがの悠青も今度ばかりは反論したが、悠青の怒気を宥めるように坂下は慌てて捲し立てる。
「違うんだって。聞いてくれ。これはただの飴じゃない。れんかから悠青さんに渡してくれって頼まれたんだよ」
『どうして彼女がわざわざ飴なんかを?』と聞く前に坂下はそそくさと退散してしまい、呆気に取られた悠青は残された飴玉をただ見つめるばかりだった。
* * *
「支払いは彼がしてくれてて、飲み物も奢ってもらったままだからそこは申し訳ないと思ったんだ。で、そのあと直ぐに帰宅したはずなんだけど……」
大まかに話し終えた悠青に、玉磨瑪の眼が鋭く光る。
「貰った飴玉はどうしたの?」
「え……えーっと、どうしたかな……。ああそうだ、確か帰る途中で口に入れた気が……」
「食いおったのか!」
八咫烏の咎める声にぎこちなく頷く。
「ちょっと糖分欲しくなって……。れんかさんからだって言われたから、捨てるのも悪いと思って……駄目だった?」
普通のミルク味のキャンデーだったと今になって思い出す。
玉磨瑪は深く溜息を吐き出すと幾つか質問を投げかけてきた。
「記憶が途切れたのは家の中?」
「うん、多分……帰宅したことは何となく思い出したから」
「飴は全部舐め切った?」
「……と、思う。そのあと喉が渇いて冷蔵庫に……あれ? 冷蔵庫開けようとしたところで意識が途切れたのか?」
思っただけで開けた記憶がない。
眉を寄せて額を揉んでいると、「多分だけど」と前置きをして玉磨瑪が結論を口にした。
「その飴に何か仕込まれてたんだ。たった一粒の飴をわざわざ男を介して渡してくるなんて変だし。個室で、しかもそれだけしつこかった男が飴を渡してそそくさ帰るなんて怪しさしかないよ」
「女からというのはおぬしに受け取って貰うための方便だったのかもしれんのぅ」
第三者から聞くと全くその通りで、悠青は自分の軽率さに腹が立つやら恥ずかしいやら……。
「たま……めくんだっけ。凄い落ち着いてるよね。子供なのに達観してるっていうか……」
今の自分はその真逆であることを自ら露呈しているようで、言ってちょっと後悔した。
しかし、そんな悠青の心情を吹き飛ばすような言葉を玉磨瑪は口にする。
「ボクは悠青の五倍は生きてるから気にしなくていいよ」
「……はい?」
「いくつだっけ……多分、百歳くらい?」
「………」
暫く開いた口が塞がらなかった。
玉磨瑪も冗談を言うタイプには見えない。この世界では普通のことなのだろう。
いやしかし、彼がすごーく年上であったとしても己の不甲斐なさが消えるわけではない。項垂れていると、頭の上で八咫烏がパシパシと肩を叩いて来る。
「まあ起きてしまったもんは仕方あるまい。次から用心すればよい話よ。それより、その飴玉の出所が気になるのぅ」
これには玉磨瑪も同意する。
「人間を深淵に落とす飴玉なんて聞いたことないけど、厄介なものが仕込まれていたのは間違いないと思う」
ずっと悠青を観察していた玉磨瑪が不意に手を伸ばすと、悠青の心臓辺りに触れた。
途端に浮遊感を覚えた悠青。自分が空を飛んでいってしまうような感覚に、咄嗟に目の前にある小さな肩を強く掴む――。
「怖がらなくて大丈夫。穢れを祓っただけだから。どう? 少し軽くなったんじゃない?」
玉磨瑪にそう言われて我に返ると、足元で“ご主人様を傷つけるな”と威嚇するように鳴く黒猫に悠青は慌てて掴んでいた華奢な肩を離す。
「ご、ごめん。……確かにちょっと、楽になったかも……」
といっても緊張が解けたような感覚に近く、明確に違いがあるわけではない。
それを察したのか八咫烏が補足する。
「おぬしは自我がしっかりあったからのぅ。然程実感はないかもしれんな」
自我を失うほど穢れに取り込まれていたらどうなっていたのか……想像するのも恐ろしい。
悠青は頭を振って想像を打ち消す。
「えっと、これで帰れるってこと?」
「うん。出口まで案内するからついてきて」
玉磨瑪のあとをついて行くと、賑やかな街中へと入っていく。
歩いているのは人間ではなく異形のあやかしたち。人間に近い見た目の者もいるが、尻尾があったり魚の鱗が皮膚に浮き出ていたりと、やはり人間とは何処か違っていた。
この光景に少し驚きはしたが、色々あり過ぎて慣れてしまった悠青は前を歩く玉磨瑪を冷静に観察することができた。
彼の眼は猫っぽかったが、それ以外は普通の人間に見える。
こっちの視線に気付いたのか、玉磨瑪の肩に乗った黒猫が悠青を振り向き、じーっと見据えて来た。
――んん? 俺、もしかして警戒されてる?
さっきも威嚇するように鳴かれたし、どうもこの猫には良く思われていないようだ。
――そりゃそうか。ご主人様の肩をいきなり掴んだりしたら怒るよな。
ごめんなと、顔の前で手を立てて謝ると、プイと顔を前に戻す猫。
機嫌を直してくれたかは分からないが、一先ず許された気がして悠青はホッと息を吐いた。
そして少し歩調を速めて玉磨瑪に近付き、隣に並んだところで気になっていたことを尋ねてみた。
「玉磨瑪くんも、実はあやかしなの?」
一度視線を寄こしただけで玉磨瑪は歩調を緩めないまま答える。
「そのようなものだよ。ボクたちは元々人間だから」
「元々? “ボクたち”って……」
色々と疑問が浮かんだところで不意に道を逸れた玉磨瑪に、悠青も慌てて足の向きを変えて追いかける。
見えてきたのはここ一帯で一番大きな屋敷。中から楽し気な声が玄関先まで漏れてきていた。
表には“営業中”の札が出ていて、何かの店なのだと分かる。
「ここで待ってて」
そう言い残して屋敷の中に入っていく玉磨瑪を見送り、頭にいる八咫烏に尋ねる。
「ここってどういう店なんですか?」
「ここは猫屋敷がやっとる甘味処“猫甘亭”。略して“ねこかん”というやつもおるのぅ」
「へぇ……猫屋敷? 猫カフェみたいなところなのかな」
――隠世の甘味……ちょっと、いやかなり気になる……。
甘い物に目がない悠青を余所に、八咫烏は首を傾げる。
「ねこかふえ? ……ああ、現世の猫が接待する店のことか。それとはちと違うわい。猫屋敷ってのは属名で、猫憑きの者たちをまとめてそう呼ぶのだ。まあ猫が多くいることに違いはないがのぅ」
「猫つきって?」
「……まあどうせ忘れるからよいか」
八咫烏の小さな呟きに聞き返そうとするも、それよりも早く答えが返ってきた。
「そのままの意味よ。猫に憑かれた人間。人ならざるモノに憑かれた人間を吾らは“憑人”と呼んでおる」
「つくって、とり憑かれてるって意味!? じゃあ玉磨瑪くんは猫の憑人で、八咫烏さん……はどう見ても違いますね」
「おう、理解が早くて助かる」
「じゃあ、閻煌さんは――」
と、尋ねたところで玉磨瑪が戻って来て、答えを聞けずに話が他へ移る。
「現世に行くこと伝えて来た。八咫烏はどうするの?」
「吾はエンの元へ戻る。――悠青よ、もう迷い込むでないぞ。おぬしはどうも引っ張られやすいきらいがある。またおかしなモノを口にして落ちてきたら今度こそ死ぬかもしれんぞ」
「ちょ、脅かさないでくださいよっ。でも、肝に銘じます。ありがとう」
「なんのなんの」
そう言って頭の上から飛び立つ八咫烏に手を振ってお別れし、悠青は息を吐く。
深淵からここまで、長いようであっという間だったなと思う。
そう思えたのもずっと八咫烏が気さくに接してくれていたからだ。
お蔭で今は何を見聞きしても不安はない。
「いつかお礼したいけど、無理だよな……」
それは幽霊となって肉体から離れるということで、死を意味していた。
今回は例外中の例外、偶然起きたことだとしっかり理解しなくてはならない。
――でも、いつか死んだとき会えるかも? それまでは折角救ってもらった命だし、天寿を全うしないとな。




