<十>
現世に降り立った閻煌は静寂に包まれた境内を足早に進む。
拝殿を迂回し、見えてきた幣殿に上がると何をするでもなく突っ切って細い通路の奥にある本殿へと足を踏み入れた。
ここは焔舞羅が宮司を務める現世での炎ノ神社である。
通常、関係者以外は本殿に立ち入ることは許されていないのだが、神の類に憑かれた憑人、特に焔舞羅に近しい者はその限りではない。
それを分かっていて立ち入った閻煌は“近しい者”ということだ。
本殿の中はいくつもの蠟燭の炎だけが明かりの代わりを務めている。
最奥には扉が固く閉ざされた神座があり、正面に鎮座する御神体と御祭神を照らすようにその炎は燃えていた。
それらの前で、入口を背にして一人の男が静かに端座している。
閻煌が入出するとゆらゆらとゆらめいていた蝋燭の炎が少しだけ大きく波打つように動き、男の肩も僅かに反応を示した。
「おや。ここに来るなんて珍しい」
振り向かないまま男が言うと、閻煌は彼の後方、適切な距離を保ってその足を止めた。
「少し聞きたいことがあってきた」
「なにかな?」
「道通様についてだ。現世でなにか関連のある事象が起きていないか知りたい」
これに男は少し考えるように僅かに顔を上げると、腰を浮かせて身体の向きを変えた。
片側だけ蝋燭の光に照らされた焔舞羅の顔が浮かび上がり、同じ色合いの瞳が閻煌を見る。
「関係あるかは分からないけれど、少し前から神仏に奉仕する者たちが謎の病にかかっていてね。現在調査中なんだよ」
「謎の病?」
焔舞羅と同じ宮司や神主、巫女といった神に仕える者たちのことだ。
どうりで、ここに来た時から人の気配があまり感じられなかったわけだ。
「ああ。もし道通様と関係があるのならこちらとしても有難い。ひとまず君の話を聞こうか」
焔舞羅に座るように促され、その場で腰を下ろして今現世で起きていることを簡潔に話した。
閻煌の話を聞き終えた焔舞羅はそっと顎を撫でる。
「ふむ……その人間の青年を君はどう思っているのかな。ああ誤解しないでおくれ。ただあまりにも縁があるなと思ってね、聞いてみただけだから」
悠青のことを探っているといった口調ではなかったため、閻煌は肩を小さく竦めて気にしていない素振りを見せる。
「あれは人ならざるモノとの波長がよく合うようだ。こうも立て続けに隠世に来る人間などそうはいない。だから気にかけてやる必要がある。それだけだ」
素っ気なく聞こえる言葉だが、焔舞羅の双眸が何かを捉えるようにやや細められた。
それはほんの一瞬のことで、直ぐにいつもの笑みを浮かべる。
「なるほど。無垢なる魂に深淵や隠世をうろつかれては心配で仕方ないだろうね」
「心配……」
「ん?」
「……いや」
閻煌は首を振る。憑人としての役目を遂行しているだけであって心配という言葉が当て嵌まるのかわからず少しだけ引っかかった。
それよりも今は道通様だ。
「道通様の眷属である白蛇が助けを求めて悠青に接触したなら、彼を救い出す鍵は道通様にある」
「だろうね。事象に心当たりはないけれど、道通様の居場所ならいくつか心当たりがある。祠を転々とする御方だから少し厄介ではあるけれど、ある程度は絞り込めるはず。少し待っていなさい」
そう言って一度退室した焔舞羅は折り畳まれた一枚の古い和紙を持って戻ってきた。
「これは京都に祀られた神々の位置を示す地図のようなものでね」
四つに折られた紙は所々くすんでいたり紙自体擦れて薄くなっている。
年季の入ったそれを丁寧に床に広げて、側に蝋燭を灯しながら焔舞羅は説明を続ける。
「今はなにも記されていないけれど、私の力を当てると……」
紙面上に焔舞羅が手をかざすと、赤い印のようなものがあちらこちらに浮き出てきた。
「こうして任意の神々の居場所を炙り出すことができる。……うん、この中にいるね」
閻煌も古い地図を覗き込む。
いくつもある印の中で、特に赤の濃い印が三ヶ所。それを順番に指差す焔舞羅に閻煌は頷いた。
「どれも悠青が捕らわれた石祠に近い。助かった」
礼を言って早々に腰を上げると焔舞羅に手を掴まれた。
振り返って見下ろすと蝋燭の炎に揺れる橙赤色の瞳とぶつかる。
「なんだ?」
「……いや。気を付けて行っておいで」
掴んだ肌から何かを読み取ったのかあっさり手を離した焔舞羅に目を眇め、頷くだけの返事を返してその場を後にした。
* * *
竹林にある石祠を前に、瑳弥之丞は険しい表情を浮かべていた。
「いくつか壊れてるな……最近か?」
「そう。あれから五つほど砕けた」
答えた玉磨瑪の足元で、八咫烏が羽を広げて崩れた石祠を順番に見て回る。
「瘴気が膨張して内側から砕けたように見えるのぅ」
「でも砕ける前は瘴気はなかった」
玉磨瑪の言うとおり、砕けていない石祠らには瘴気は感じられない。
腕を組んでじっと石祠を観察していた瑳弥之丞が徐に歩み寄ると、石祠の残骸に大きな手を伸ばして触れた。
「……ああ、これは突然膨大な瘴気を投げ込まれて堪えられなくなったってところだろうな。だろ?」
問いかけた相手は三人の様子をずっと後ろで静かに眺めていた白蛇だった。
今は少しだけ縮んでおり、下の方は蜷局を巻いているので実際の長さは分からないが、顔を高い位置まで持ち上げた白蛇の目線は高身長の瑳弥之丞と同じ位置にある。
白蛇は声を出す代わりに胴体をくねらせた。
「いまいち何を言ってんのかわからないが……まあいい。お前が人間を閉じ込めたのはなんでだ?」
「……」
「誰か白蛇と話せるやついねえ?」
このままでは足踏み状態でまったく状況が変わらない。変わらないどころか悠青の身に危険が迫るだろう。
玉磨瑪は首を横に振り、八咫烏も手詰まりといった風に唸った。
「うーむ……蛇に憑かれた者はおらんはずだ。神と結びついておる白蛇ならばエンが対応できるやもしれぬが……」
「あいつが来るまで待つしかなさそうだな」
その時、また石祠の一つが派手な音を立てて破裂するように砕けた。
今回は少し離れた上段にある石祠だった。特に順番は決まっていないようで、次どれが砕けるか予想もつかない。
「小僧が砕けるのも時間の問題だぞ」
八咫烏の呟きに瑳弥之丞は溜息を吐く。
「それを言ってくれるなよ……。とりあえず出来ることをするさ」
言うと、瑳弥之丞の背中に大きな黒い翼が現れた。それは彼の肩甲骨の辺りから力強く伸びていた。
「なにをするつもりだ?」
「ひとまず風で破壊を防ぐ。できるかはやってみないとわからんけどな」
八咫烏に答えながら背中の翼を大きく一振りする瑳弥之丞。
石祠を吹き飛ばさないように加減された風は一帯を包むように吹き巻く。
瑳弥之丞が起こす風には強い浄化の力があり、結界としても機能するのだ。
「しかし瘴気は内側から来るのだろう。外側からでは防ぎようがないのではないか?」
「だからやってみないとわからないって言っただろ。一応石祠の隙間にも潜り込ませることはできるから、まあ一か八かだ」
瑳弥之丞の風操作能力は一級品で、ほんの僅かな隙間にも入り込み、その物自体を固く強化する。
言うなれば風の鎧といったところか。
「例え瘴気が投げ込まれても、砕けなきゃどうにかなるだろ」
「なんか雑」
ぼそりと告げた玉磨瑪に瑳弥之丞は片眉を上げた。
「うるさいよ。他に手がないんだからこれで勘弁しろ。――っと、言ったそばから来たな」
悠青が閉じ込められている手前の石祠がカタカタと震えだした。
内側から瘴気による攻撃を受けているのだろう。その膨張を押さえ込むように一層風を纏わりつかせる。
ガタガタと激しく揺れ動いていた石祠が、次第に落ち着きを取り戻していく……。
「おお。やったな、サビよ」
八咫烏の賛辞に瑳弥之丞は頷く。
しかしこんなことを繰り返していてもやはり状況は好転しない。
それから暫くして、閻煌からの知らせが漸く舞い込んできた。




