<十一>
閻煌がやってきたのは、焔舞羅が示してくれた道通様が身を潜めていると思われる場所。
ここに来る前に一ヶ所見てきたが、そこの石祠は空っぽで何かが宿っている様子はなかった。
そして地図に記されていた二ヶ所目がここだ。
まったく人気のない廃屋を前に閻煌は周囲を見回した。
人の気配がないのは夜だからというわけではないようだ。
その理由は廃屋を覆い隠すように草木が生い茂り、人が踏み入った形跡がまったくないからだ。
しかも獣の気配も一切感じられない。
――酷い瘴気だ。一体いつから……。
これほどまでに膨れ上がってしまったのか。閻煌はこれを纏っている主の状態が気掛かりで眉を顰めた。
瘴気の気配を追うように廃屋の裏手に回り込むと、屋根の辺りが朽ちている古めかしい祠が目に留まった。
木でできたその祠は人目から避けるようにして佇んでおり、中を覗くと一つの石祠が鎮座しているのが見えた。
大切そうに仕舞われている石祠を見て、閻煌はそっと問いかける。
「そこにいるのは道通様で間違いないか?」
膝を折って目線をそれに合わせて暫く待ってみたが、返事は無い。
その代わりに石祠を覆っていた瘴気が渦を巻くように動き出し、こっちに迫ってきた。
濃い瘴気だ。しかし閻煌は避けるどころか、ただ片手をかざしただけでそれをいなす。
かざした手から四方に散る瘴気。閻煌の視線は尚も真っ直ぐ石祠を捉えて離さない。
「エン、そこにおるのか? ……なんだこの瘴気はっ!」
後方――それもかなり高い位置から八咫烏の声が降ってきた。
闇夜に紛れてその姿は見えないが、他に注意を向けている閻煌には関係ない。
返事をしない主に自ら近付こうと翼を動かす八咫烏だったが、瘴気が向かって来ていることに気付くと直ぐに距離を保ち、その場で旋回した。
「どうなっておる?」
「あいつが何も言わないなら少し待てってことだろ」
己の大きな両翼で八咫烏と共に飛来した瑳弥之丞が答えた。
吹き荒れる瘴気を翼で起こした風で防ぎながら、瑳弥之丞も閻煌の様子を上空で見守る。
閻煌はゆっくり立ち上がるとかざしていた手を一度握り込み、再びばっと開いて瘴気を押し返した。
その隙に短刀を抜き、指先を小さく斬って僅かな血を刀身に注ぎ、宙を斬る――。
それにより飛び散った血が瘴気を押さえ込むように一点に集まっていくと、のちに瘴気ごと消し去った。
これを見て上空の二人が地上に降りて来る。
「エン、無事か?」
「これが道通様か……」
八咫烏と瑳弥之丞の声が重なる。
閻煌は一拍置いて漸く二人に応えた。
「これをそう呼ぶに値するかどうか疑問だが……。そっちも“空”だったか」
「あ、ああ。お前に言われて行ってみたが、何かが居る様子はまったくなかった」
と、瑳弥之丞が答えるついでに報告も済まそうと続ける。
「あっちの人間の方だが、今もタマのやつが見張ってる。俺の結界を残してきたがそう長くは持たねえぞ」
「そうか。こちらも時間をかけるつもりはない」
閻煌が瑳弥之丞たちに連絡を入れた内容は、地図に記された濃い印の三ヶ所の内、彼らに最も近い一ヶ所の様子を見に行ってもらうことだった。
悠青のように何か異変があってはと危惧したのだが、直ぐにこっちに飛んできたふたりの様子から直ぐに要らぬ懸念だったと悟った。
「一時的でいい、石祠の浄化を頼む」
短刀を鞘に収めて二人に指示する閻煌に、八咫烏がすかさず口を開く。
「さっき言っておった“呼ぶに値するかどうか疑問”というのはどういうことだ? もしや、こやつはもう……」
視線を八咫烏に向けながら、閻煌はただ首を横に振るだけに留めた。
それを肯定と取った八咫烏は瞠目した。
「なっ……神にも等しい者が堕ちたというのか……。こやつの白蛇が今も主を助けてほしいと望んでおるのだ。人間の小僧を巻き込んでまで、なりふり構わず」
「神だからといって、何をしてもいいわけではない。お前も分かっているだろう……神もまた完璧ではないんだ」
閻煌はまた視線を石祠に戻して続きを紡ぐ。
「ただ、苦しみから解くことはできる。……少し手荒くはなるけどな」
浄化をしてみて、それでも無理なら消滅させるしかない。
それでも人に害を成すことを続けさせるよりはましだろうと、言われるまでもなく八咫烏も分かっていた。
「ヤタの旦那。ひとまず浄化だ」
瑳弥之丞に促されて、八咫烏は一度目を伏せて指示に応じた。
漆黒の翼を広げたふたりは、道通様が閉じこもっている石祠に風を起こす。
円を描くように石祠を風で包み込むと、そこに無数の羽根が溶け込み、次第に黒く覆い隠していく。
出来上がったのは浄化の力を持つ黒い球体。その中では今も風が吹き荒れ、浄化作業が刻々と進められている状態にある。
それが暫く続いたのち、次第に黒い球体が解けて来ると、本来の石祠が姿を現した。
「外側はどうにかなったが、本体までは無理そうだな」
瑳弥之丞の言うとおり、石祠に纏わりついていた瘴気は消えたが、道通様に宿る穢れまでは届いていない。
こうなることを想定していた閻煌は迷わず宙に指を走らせた。
「神門を開く。お前たちは悠青のところに戻って救出を」
そう指示しながら目の前に大きな鳥居を出現させると、閻煌の意思を汲み取るように神門の内にある凍てついた空気が石祠を一瞬にして攫っていく。
これを見て八咫烏が閻煌にせっつく。
「吾も行くぞ。おぬし一人で堕ち神の相手などさせられぬわ!」
慌てて主の後を追う八咫烏に、一人残された瑳弥之丞はやれやれと頭を振った。
「今のあいつに付き添いはいらねえだろ。俺より過保護かよ」
自分も過保護であることを自覚しているだけに、八咫烏の献身的で真っ直ぐな振る舞いを妬ましく思う反面、羨ましくもあり危なっかしいとも感じていた。
しかし今は余計なことを考えている場合ではない。
「まあ俺は俺で、こっちの憂いを晴らしに行くとするか」
再び空高く舞い上がった瑳弥之丞は、主の命に従い動き出す。
これはこれで献身的な振る舞いであることを、瑳弥之丞は頭の片隅で思考しては嘲笑して追い払った。




