<六>
「タマ。入るわよ? エンさんからなんだけど……。あら、彼は?」
部屋の襖を開けて顔を覗かせた珠甘。一緒にいたはずの悠青の姿が見えないことに首を傾げる。
玉磨瑪は肩を竦めて一言で答えた。
「消えた」
これに珠甘は目を丸くして「消えた?」とオウム返しする。
「どういうことなの? 彼……人間よね? 現世に戻ったのかしら」
「多分そう。引き戻されたんだと思う」
「やっぱり迷魂だったのね。穢れた感じしなかったし、タマが連れて来る相手ですもの、何か訳ありかなって思っていたのだけど。やっぱり彼が例の男の子なのね」
一人でつらつらと喋った後、玉磨瑪はこくりと頷くだけの返事を返す。
そして珠甘の用件を促した。
「主様何だって?」
「あ、そうそう」
珠甘は思い出したように返して部屋の入口に膝をついたまま言った。
「暫く動けないから彼のこと頼む、ですって。エンさんにまで気にかけてもらえるなんて、あの子、贅沢者ねー」
頬に片手を添えて羨まし気にうっとり呟く珠甘はどこか嬉しそうなのは気のせいか。
玉磨瑪はそんな女将を不思議そうに眺めては、すぐに興味を無くして欠伸を一つ零した。
「……分かった。毎日見張るようにする。――主様は大丈夫なの?」
「エンさん? ふふ、大丈夫よ。今現世からあの方も戻って来て傍についているようだから」
「そう……なら良かった」
珠甘が退室して一人になった玉磨瑪は、何処からともなく集まってきた猫たちに向けて指示を出す。
少しして、数匹の猫が散開し、黒猫とふたりきりになった玉磨瑪は布団に横になった。
悠青が消える間際に言った言葉は彼に届いただろうか……。
もし、彼に接触したあやかしがいるのだとすれば、自分にはどうすることもできない。
あやかしが瘴気に侵されているのなら祓うことはできようが、悠青からはその気配は感じられなかった。
――悠青を害そうとしたわけじゃないなら少し様子を見ないと……。
だから暫くは猫たちに任せておいても問題ないだろうと、玉磨瑪は静かに目を閉じた。
* * *
ぱっと瞼を開いた瞬間、見覚えのある顔が視界に飛び込んできた。
「おっ、良かった目ぇ覚めたか!」
「……い、ぐち? ――!」
突然がばっと上体を起こした悠青の頭が衛の額とぶつかりゴンッという鈍い音がした。
ふたり同時に頭を抱えて一瞬呻き声をあげる。
「いっ……てぇなあ。急に飛び起きんなよっ」
「っ――ご、ごめん。ちょっと悪い夢を見た気がして……」
額を押さえながら顔を上げた衛が眉を寄せて聞いてきた。
「なかなか起きなかったのは夢のせいか? どんな夢だ?」
「どんなって……ん-……、どこからかギシギシ音が鳴り出したと思ったら、天井辺りで止まって、何かが落ちてこようとしている夢?」
その天井を仰ぎ見ながら悠青は首を傾げた。
だから驚いて目が覚めた――のだと一瞬思ったのだが、どうも違う気がしてならない。
「なかなか起きなかったって、俺そんなに寝てた?」
今何時だろうかと時計かスマホを求めて視線を巡らすと、胡坐をかいて座り直した衛が先に教えてくれた。
「もう十時だぜ」
「十時!? 講義! ……は、午後からだった……うん、大丈夫」
一瞬焦っては予定を直ぐに思い出して安堵する。
目元を片手で押さえて溜息を吐きながら項垂れる悠青に、友人の気遣わし気な声が届く。
「やっぱお前にも聞こえたんだな」
此処で一泊することになった原因の“音”のことだ。悠青は素直に頷いた。
「ああ、うん。伊口も昨日聞いたのか? 他に変わったこととかは? 何かが落ちてきたりとか……」
衛は緩く首を振る。
「音だけだ。いつの間にか寝ちまって、起きたらお前まだ寝てたから朝飯だけ用意してきた。つっても、ばあちゃんが作っておいてくれたんだけどな」
冷静に彼を見てみれば、既に着替えも済ませていて、髪のセットもばっちり決まっている。
傍らに置かれた平たいお盆にはラップに包まれたサンドウィッチが載っていて、裏庭で穫れた野菜を挟んでるから新鮮だぜ、と何故か衛が得意気に話していた。
悠青は洗面所とトイレを借りて戻ってくると、早速おばあさん特製のサンドウィッチに手をつけた。
キュウリやトマトのシャキシャキ感と瑞々しさが堪らず、三個をぺろりと平らげてしまった。
最後の一個に手を伸ばしたところで、衛がさっきの話の続きを促してきた。
「お前さ、死んだように寝てたから正直焦ったぜ」
「……へ?」
「そしたら突然タマ……タマメ? とか叫ぶからビビったぜ」
その名前を耳にした瞬間、悠青の中で記憶が蘇ってきた。
この古民家の外で玉磨瑪を見かけて咄嗟に追いかけて、またあの隠世に辿り着いた。そして猫甘亭にお邪魔したら珠甘という店主に出会い、玉磨瑪の部屋に通された。
猫たちに囲まれながら話をしていたら、突然視界が薄れて目の前の玉磨瑪が消えてしまった。
その時に玉磨瑪の名前を何度も呼んだ気がする……。
あとになって消えたのは自分なのだと認識できたが、何か強い力に引き戻されたような気がしたのを今思い出した。
「あれは伊口だったのか。お前が起こしてくれたから戻ってこれたんだな……ありがとう」
「……」
ぽかんとする衛に「本当に助かったよ」とまた感謝すると、彼はゆーっくりと身を引きながら言う。
「いやお前……何言ってんだ? 俺だったとか戻ってこれたとか、怖い話なら受けつけねーぞ」
まだどういった夢だったのか話さないうちから悠青の意味深な発言に杯中の蛇影よろしく、勝手に嫌な予感を膨らませて耳を塞いでしまった。
サンドウィッチを全て腹の中に入れてご馳走様でしたと手を合わせた悠青は、怖がっている友人に提案する。
「お願いがあるんだけど、良かったらもう一晩泊めてもらえないか?」
「ん? なんて?」
「……」
耳を塞いでいたら聞こえるわけがない。
衛の手を引き離そうとして触れると、彼も本気ではなかったため直ぐに耳を塞ぐ手を下ろして話を聞く姿勢を取った。
悠青も伸ばした手を引っ込めて続ける。
「お前以外にも音が聞こえるかどうかは確かめられたけど、このままじゃ嫌だろう?」
「そりゃそうだけど……どうするつもりなんだ?」
それはまだ思いついていない。
衛に起こされる直前の玉磨瑪の言葉が蘇る――「ただのあやかしなら何もできない。話が出来そうなら聞いてみて」と、そんなようなことを言われた気がする。
だからまずはそのあやかしに会う必要があるのだ。
――話の通じる奴なら音の解決にも繋がると思うんだけど……。
「何事も対話は大事だと思うんだよ」
「何言ってんだ?」
また不安げに眉を寄せる衛に、ぽんと肩を叩く。
「まだ音の正体は分からないけど、もしかしたら次で正体を掴めるかもしれない」
「そうなのかっ? いいぜ、悠青に任せる。何日でも泊ってくれ」
何日も解決しないのは正直困るが、ここは安心させるように笑みを浮かべて頷いておいた。




