<四>
――ギシ……ギシギシ、……ミシ……。
何処からか軋むような音が聞こえてきた。
それは少しずつ移動して、家の隙間を縫うように何かが這っているかのような感覚を抱かせる。
場所は直ぐ真上の天井。そこで音が一度止むと、またギシギシと鳴りだし、床を強く踏むようなギギギという重い音が重なった。
――何かが落ちて来る!
そう感じた瞬間、悠青は目を見開いた。
しかし目の前に広がる光景は、寝静まった薄暗い友人の部屋ではなく、その家の表だった。
来た時に潜った玄関先の門が目の前にあり、その奥に趣のある古民家が来た時のまま鎮座している。
間違いない。
――いつの間に外なんかに……。
何故自分が道端に立ち尽くしているのか分からないまま、周囲に目を走らせる。
外灯が点々とついているだけで、人っ子一人いない。
何気なく自分の手元に視線を落としては、緩く手を握っては開いてを繰り返した。
頭がぼんやりする感覚と身体の僅かな浮遊感には覚えがあった。
――……なんだっけ……これ……。
上手く思考が働かない。
友人の居候先で眠ったのは覚えているが、記憶はそこで途切れている。
加えて衛と交わした会話の内容も今は上手く思い出せないでいた。
また視線を上げると、外灯を背に歩いて来る人影が目に入った。
それをぼんやり眺めていると近付いて来る相手の顔が次の外灯に照らし出され、虚ろだった悠青の目が大きく開いていく。
――誰だっけ……あ、そう……そうだ……!
「たま――」
名前を呼ぼうとした矢先、近くまで来た相手に冷たい目を向けられて押し黙る。
少年の鋭く縦長に伸びた瞳孔がきらりと光り、立ち止まって何か言ってくるかと思ったが彼はそのまま通り過ぎて闇夜に消えていった。
何故睨まれたのかは分からないが、彼を追いかけたい衝動に駆られて悠青は足を踏み出した。
裸足なのに全然痛みを感じない。そのことを不思議に思う余裕もなくただただひたすら足を動かす。
あとを追いかけて幾つ目かの角を曲がったところで、突然真っ白な空間に出た。
濃い霧だと気付いた瞬間、前を歩いていた少年の姿を今度こそはっきり捉えて名を呼ばわる。
「玉磨瑪くん! だよね……?」
さっきは暗くてちゃんと見えなかったが、黒い猫のカバンに洋服の上に和物を羽織った格好の少年は間違いなく以前隠世で出会った猫憑きの玉磨瑪だ。
今度は立ち止まって、身体の正面を真っ直ぐ悠青に向けた玉磨瑪は仕方なさそうに息を吐いた。
なんだか機嫌が悪そうだ。
拗れる前にと、悠青は距離を詰めながら尋ねる。
「ごめん、追いかけて来て……。玉磨瑪くんを見かけたら勝手に足が動いちゃって。……怒ってる?」
これに綺麗な金色の目が訝し気に細められた。
「怒ってない」
それにしては少し棘があるような雰囲気の玉磨瑪に不安が募る。
彼は答えてから視線を交わしたまま動かない。こっちの出方を見ているのかと思い質問を重ねた。
「まさか現世で会えるとは思わなかったよ。どうしてこっちにいたの? 八咫烏さんたちは元気にしてるかな」
当たり障りのない質問だったと思うが、相手の表情が更に険しくなったことに悠青は焦った。
現世にいた理由は教えられないことなのだろうか。
「だ、大丈夫! 答えたくなければ言わなくていいよ。また会いたいなって思ってたから、ちょっと舞い上がっちゃって……。ごめんな」
言葉にしたら少し気恥しくなってきた。
悠青は熱のこもる感情を誤魔化すように頬を掻いては口元を手で隠して息を吐く。少し落ち着けと。
会いたいと思っていたのも本当だし、ここまで思わず追いかけてきてしまったのも気持ちが舞い上がっていた証拠だ。
「なんで悠青が謝るの」
「……へ?」
思いもよらない言葉に伏せていた目を反射的に玉磨瑪に向けた。
またぶつかった視線に先程までの鋭さはない。
「ボクは怒ってないって言った。謝る必要ない」
「や……うん、でもなんかさ、俺を見た時ちょっと不機嫌そうにしてたから」
「ボクが?」
「え? うん……俺は睨まれたと思って何か怒らせるようなことしたかなぁと……。さっきした質問にも顔が険しくなったよね。勘違いならいいんだけど……」
一拍置いて、玉磨瑪ははっきりこう告げた。
「それは勘違いじゃない」
と――。流石に慌てた悠青はまた謝罪の言葉を口にしようとしたが、その前に言葉を遮られた。
「でも謝る必要ない。悠青のせいじゃない……あっ、うーん、関係はしているけど、悪くないから」
「そ……そうなの?」
こくりと頷いた玉磨瑪は逡巡するように視線を斜めに外して、また視線をこっちに戻すと質問してきた。
「睨んだつもりはない。けど、またどうして霊体になっているのか不思議に思ったから、じっと見て観察はした」
友人宅の前で会った時の視線は不可解さが孕んでいて冷たく見えたのか。
腑に落ちたところで悠青は目を見開いた。
「……れいたい………霊体!?」
ここで漸く自分が置かれている状況に気付いた。
通りで覚えのある浮遊感と思考の欠如が著しくあったわけだ。
そこに玉磨瑪の存在が加わったことで本能の赴くままに身体が動き、ここへ来た。
何も考えず玉磨瑪を追いかけたことは反省すべき点かもしれないが、そうしていなければあのまま彷徨うことになっていたかもしれないので、結果的に良かったと思う。
「理由もなく隠世に入ったことで迷魂になったけど。どうしてまた“抜け出した”の?」
「ちょっと待って。ここって隠世なのか?」
返答を聞くよりも早く、周囲の景色がぼんやりと浮かび上がってくる。濃霧が晴れてきたのだ。
見覚えのある灯篭が二人をいざなうように足元を照らす。
また背を向けて歩き出す玉磨瑪のあとを遅れて追いかけると、今度は冷たい目(勘違いだったが)を向けられることなく同行することを許された。
「悠青」
少し前を歩く玉磨瑪が不意に呟いた。
「どうしてボクや八咫烏のこと覚えてるの」
「え…………あっ」
――そうだった! 普通隠世でのことは忘れるって言ってたもんな。
ここで彼がさっき険しい顔をした理由が分かった気がした。
質問してくるということは玉磨瑪も分からない事なのだろう。
「それがさ、俺にもさっぱりで。目が覚めたら全部覚えてて……あ、待てよ? 確か八咫烏さんの羽根を見たら思い出したんだっけな。それまでは薄っすらって感じで」
「八咫烏の羽根」
「そうそう。あの時ずっと頭に居たから髪の毛にくっついたんだと思う」
あの時も霊体だったのに不思議なこともあるものだ。まあ全てが摩訶不思議で出来ているのだから深くは考えまい。
ひっそりと苦笑を漏らす悠青に、玉磨瑪は少しだけ振り向いて一瞥し、直ぐに前を向いて歩き続けた。




