<二>
現世もここ数日日照りが続き、雨不足が懸念されるニュースを良く見かけるようになった。
京都の大学に通う源元悠青は予定していた最後の講義を終えて、カバンを肩に引っ掛ける。
窓から照り付ける日差しを避けるようにして講義室の扉に向かうと、背中を追いかけるように友人の声に呼ばれた。
「悠青。もう講義ないなら一緒に帰ろうぜ」
「伊口……」
悠青が振り返り彼の名前を呼ぶと、相手の顔がやや呆れたように歪む。
「そろそろ下の名前で呼べって。それとも呼びたくないのか? なら理由を言え、オラ」
横から腕を首に回して絞め技をかけてくる困った友人に、悠青は首にかかる腕を軽くぱしぱし叩く。
「ギブギブ、分かったから」
「お、呼ぶ気になったか?」
「そうは言ってない」
力が緩んだ隙に腕から抜け出してへらりと告げると、伊口は「この野郎……」と笑って今度は普通に隣に並んで歩き出した。
ふざけ合う程度には仲の良い友人だ。
ここに入学してから親しくさせてもらってはいるが、ただ彼ほど社交性が高くフットワークが軽い方ではない悠青は、彼といると少し気後れしてしまうのも確かだ。
彼は伊口衛。かの有名な飲料メーカーの緑茶が脳裏に浮かんでしまうのは不可抗力なので許してもらいたい。
「今日はいつものメンツはどうしたんだ? 伊口が真っ先に俺を誘うなんて珍しいじゃないか」
「そうか? 俺はその時一緒に居たいと思うやつといるだけだぜ」
彼らしい返答だ。
内面だけに留まらず外見も非常に目を引く。ミントグリーンの髪に耳にはチェーンピアスが揺れ、高身長にややワイルドさもあり、時折覗く八重歯が女性たちの悲鳴を誘う。
そんな男が何故自分と一緒にいたいと思うのか、悠青にとって首を傾げたくなる案件であった。
衛とは帰る方向が同じで、悠青のアパートとは駅一つ分離れた場所にある。
大学に近いのは衛の家の方で、徒歩で二十分といったところか。
すれ違う人だけでなく、車道を挟んだ向こう側からも視線を感じて悠青は苦笑を漏らした。
――本人は慣れた風だけど、俺ならこれが毎日続いたらさすがに疲れるだろうな。
「……悠青?」
呼ばれて隣を歩く衛に視線を向ける。
「何?」
「何じゃねーだろ。話聞いてたか?」
「え……ああごめん。視線が煩くて聞いてなかった」
話し声は耳に届いていたが、内容がまったく頭に入ってきていなかったことを明かすと衛はきょとんとした後小さく笑った。
「なんだそれ。素直か。まあ確かにお前といるとめっちゃ見られてるって実感するわ」
「……それは嫌味か?」
こっちの台詞だと言わんばかりに睨むと衛は意に介さず首を傾げて言った。
「そんなわけねえだろ。俺は事実を言ってるんだぜ」
ここで言葉を切ると、悠青を見ていた衛の目が眇められる。
そしてしみじみとこう告げた。
「前々から思ってたけど………鈍いよなー」
「はあ?」
どういう意味だと眉を寄せた悠青だったが、彼は答える気はないようで話を元に戻してしまう。
悠青もあまり深掘りしたい話でもなかったため追及はせず友人の話に今度こそ耳を傾けた。
「俺の家に泊まりに来ないかって話だよ」
「え……なんで?」
「……本当に聞いてなかったんだな。まあいいけど」
呟くように漏らして前を向いた衛は、思い出すように言葉を続けた。
「少し前から家で変な音が鳴るようになってさ」
「音? どんな?」
「軋むような音、かな。うち古民家で天井とか床が軋むなんてことは日常的にあるんだけど、最近のはちょっと違う。何かが移動するように音が鳴るんだ。まるで何かが這うような……」
冗談だろうと衛の横顔を覗くと、いつもの揶揄うような笑顔はなく、心底困ったような表情に悠青も顔を曇らせた。
「ネズミとか動物が屋根裏に入り込んでるってことはない?」
これに衛は迷いなく首を横に振る。
「庭先に野良猫が良くくるせいかネズミなんかは全然寄り付かねえし、一度業者に入ってもらって調べたけど動物が棲みついてる痕跡はなかった」
「そう……。それでなんで俺が泊まるって話に?」
この話の一番の疑問はこれだ。悠青に限らず部外者が寝泊まりしたからといって解決する問題ではないだろう。
これに衛はより真剣な面持ちで告げてきた。
「最近じゃあおかしな夢でも見たんだろうとか、気のせいだって軽く流されるようになってきて。俺もそう思おうとしたけどやっぱり音は聞こえてくるし、それが日に日に増してるような気がするんだ」
「もしかして、他の友達にそう言われた?」
黙り込んでしまった衛に悠青はどこまでも青い空を見上げた。
――あー、いつものメンツに揶揄われたから俺のところにきたのかな。そうは言っても、俺にもどうすることもできないんだけど……。
「そういえば家の人は? 同じ音聞いてるなら気のせいじゃないって言えるんじゃないの?」
「古民家に住んでるのは俺とばあちゃんだけなんだ。親は単身赴任で今海外」
予想外の返しに驚いて隣を見る。
「両親とも? っと、立ち入ったこと聞いてごめん」
「はは。気にしねーよ。親父が単身赴任で母親はそれについてった感じだ。俺は大学に通いたかったからばあちゃんのところに居候してんだわ」
衛と友達になって数ヶ月。知らなかった情報に悠青は驚きつつもなるほどと頷いた。
「じゃあ伊口も元々こっちの人間じゃないんだな」
「ああ。住んでた家は東京にあるぜ」
この友人の派手でやたらキラキラしてる空気がこれでぴたりと嵌ったように感じた。
「伊口は音の正体何だと思ってるんだ?」
「俺も最初は動物か何かだろうって気にしてなかったんだ。けど毎日聞いてるとまったく別物のような気がしてさ。ばあちゃんは耳が遠いし早く寝ちまうからほとんど気付いてねえ。だから他の奴にも本当に聞こえるかどうか確かめてもらおうと思ったんだ。けど……」
「振られちゃったわけだ」
話を聞く限り音は夜だけ鳴るようだ。
「………幽霊とか」
「おいっ、やめろマジで」
少し思っていたが、この友人はそういった類が苦手のようだ。だから話の中で幽霊のゆの字も出てこなかったわけだと得心がいった。
つい口元が緩んでしまうと案の定軽く睨まれたので、悠青は手で口元を隠して笑いを仕舞ってから返事をした。
「分かった。音を確かめることしかできないと思うけど、それでもいいならお邪魔させてもらうよ」
「マジか! すげー助かる!」
音の正体がなんであれ、数少ない大学の友人が嬉しそうなので悠青は一先ずほっと息を吐いた。




