<十>
神域にある火之加具土神の御神殿。
その直ぐ傍に設けられた庭を一望できる開放感溢れる櫓の中で、炎の神獣が大きな口を開けて欠伸をした。
「灼煉様は退屈そうですね」
眼鏡の奥で笑みを滲ませる瀧庵には気にも留めず、灼煉は長い前足に顎を乗せて鋭い眼光を瞼の下に仕舞った。
神獣である彼の身体からは常に炎が纏わりついているが、壁や畳を焦がすことは一切ない。
近くに居ても熱さは伝わってこず、敵意がない時のその存在は至って普通の獣と同じであった。
「退屈というより、役目を終えて気が抜けた感じかな」
体内に呑み込んだ樹妖の回復に努めていたのだ、無理もない。
その樹妖たちはこの櫓の片隅に寝かされている。今のところまだ起きる気配はない。
灼煉の主である焔舞羅は、庭の良く見える場所に端座したまま灼煉の炎が一瞬大きく揺らめいたのを目にして、外に顔を向けた。
「また派手にやっているようだね」
「……閻煌様ですか?」
焔舞羅は遥か遠くを見るように双眸を細めて頷いた。
この距離では通常感知することは不可能だが、閻煌と近しい関係にある焔舞羅には距離など関係ない。
そして焔舞羅の眷属たる灼煉にも同じように伝わってしまう。
灼煉の燃えるように赤い体毛を宥めるように撫でてから瀧庵に本題を向けた。
「用件は、あの子が依頼した件の報告かな?」
「ええ。ご当人はお忙しいかと思いましたのでこちらで待たせて頂こうかと」
「何か分かったのかな?」
ただ待つのも退屈だろうと先を促すと、瀧庵は眼鏡を軽く押し上げて告げた。
「正直に言って、調べた薬からは大きな成果は得られませんでした。樹妖から排出された妖液が薬の元となり、人間を苦しめていたのは想定内。意外性がなくて少々拍子抜けしましたね」
「黒幕に繋がりそうな情報はまったく出なかったということだね」
「その通りです」
「薬からは、ということは違う所からは何か出たのかな?」
はっとしたように瀧庵が見てくるので焔舞羅はそれを受け止めながら微笑んだ。
手ぶらでわざわざこんなところまで報告しには来ないだろう。
「お見通しですか」
「まあね。君とも長い付き合いだから」
瀧庵が持ってきた情報は、現世に向かったさゑが薬を撒いていた樹妖を倒したというもの。本体ではなかったが、これで人間たちが深淵に落とされることはなくなるだろう。
そしてこっちが肝心。高麗狛からもたらされた調査報告には先に話を聞いた瀧庵も誤情報ではないかと疑ったほどだ。
「確認したいのですが、かの者は昔、穢れから生まれた悪神とされ討たれたと聞いていましたが……」
違っていたのかと口にするのは抵抗があった。できれば悪神など討たれたままでいてほしい。
焔舞羅は着流しの袖に腕を入れて組み、困ったように溜息を吐いて答えた。
「表向き討たれたことにはなっているけど、正確には力を失った……いや、剥奪されたと言った方が正しいかな」
「剥奪……ですか」
信仰する人間や周囲の影響次第で善神にもなりえたのだが、時代が時代だったこともあり思うようにはいかず真逆の方へと転がってしまった。
「その後のことは誰にも分からない。人間にも劣ることに耐えかねて自ら命を絶ったと噂が流れたこともあったからね」
一切姿を現さないまま時が流れて、いつの間にか討たれたという噂まで広まり“今の真実”になったというわけだ。
ここで焔舞羅は再度外へ顔を向けた。
「……帰ってきたようだよ」
そう言って立ち上がると、傍らで寝ていた灼煉も起き上がって主に追随する。
「どちらへ?」
「少し表の社に」
――焔舞羅の言う表とは現世のことだ。
「ああ、それから瀧庵。そろそろ彼らも目を覚ます頃だがら、閻煌に渡してあげてくれるかな」
言うだけ言って退室した焔舞羅から、片隅で寝息を立てている樹妖たちに視線を移して瀧庵は溜息を漏らした。
平和が戻って来たかと思えば、厄介なことがまた浮上するとは誰が想像できようか。
「一難去ってまた……ですか」
重い話になりそうだと、瀧庵はもう一度溜息を吐くと待ち人を迎えるべく重い腰を上げた。




