<九>
「あやつら、戻って来とらんようだぞ」
「神域に忍び込んだって言う命知らずなやつらか。きっと神の罰でも受けとるんだろうさ」
人気のないとある森の中で面長で目が極端に下の方についているあやかしと、胴体に魚の頭を載せたあやかしがひそひそ話を展開していた。
そこに厚化粧を施したおかめ顔の女人が話に加わる。
彼女は非常に長い首をもっていてぐるりと頭を回せば結べそうなほど長い。
「そうとは限らないわよ。彼らをけしかけた奴も怪しかったっていうじゃない。きっと騙されたのよ」
「どんなやつらだった? 誰か何か聞いとらんか?」
「知らない奴だったってことだけは聞いたわ」
おかめが言うと、魚頭のあやかしがうーむと唸る。
「……そいやぁ、うまい話があるとか言って近づいてきたやつがいるとか……いないとか」
「「誰? どんなやつ!?」」
面長とおかめに顔を覗き込まれた魚頭は、厚い唇を鯉のようにぱくぱくさせた。
「ど、どんなと言われても……話には乗らんかったようだから、良く覚えとらんと」
「使えんな」
「残念」
自分は悪くないのにそんな風に言われる筋合いはない。
「なんだとお?」
と食って掛かろうと振り上げた拳が、突然降ってきた声にぴたりと止まった。
「その話、ちょっと俺たちにも聞かせてくれませんか」
「だ、誰だ!?」
拳を上げたまま振り返った魚頭は彼らをその目に入れるなりギョエッと個性的な悲鳴を上げた。
「お、お前たちは……!」
「犬っころ――ぐぬっ」
「しーっ。ちょっと黙っとれ!」
慌てて面長の口を押さえた魚頭だったが、もう遅い。
同じ眼帯をつけた双子は表情を変え、特に弟の柳が浮かべた笑顔に三妖は凍り付いた。
「随分と興味深いお話をされていたようですね。この“犬っころ”めにも是非聞かせてくださいよ」
「「「は、はい。もちろんですっ」」」
身を寄せ合って何度も頷くと、柳の殺気は直ぐに立ち消えた。
普段温厚そうな人ほど怒らせると怖いとはよく言ったものだ。
表情筋が少し死んでいるような寡黙っぽい兄の蒼は、少し視線を鋭くさせただけで今は溜息を漏らしてそっぽを向いている。
そんな兄の代わりに、柳は膝辺りまでしかない身の丈の小妖怪に問う。
「さっきの話はいつ頃のことですか?」
「さっきのってどれのことだ? 話に乗ったバカの話か乗らなかった話か?」
「両方お願いします」
これに魚頭は欲張りな奴だなと呟く。じらしているのか、ただ双子にやり返したいだけなのか……なんとなく後者に聞こえるが。
今度は殺気を出すことなく語られるのをじっと待った。
「いつごろ……バカの方は随分前で忘れたな。乗らなかった方は、確か半月ほど前だ……多分な」
「半月ですか……」
「多分な、多分!」
自信がないのかそこだけ繰り返し念を押してくる。違っていたら殺されるとでも思っているかのようだ。
「それでも構いません。その者からも話を聞きたいです」
「……案内しろってか?」
「はい。お願いしますよ」
今度は殺気のない笑顔を振りまく柳に、魚頭はぐぬぬと唸った。
「ま、まあどうしてもっつーなら案内してやってもいい」
短い腕を組んでふんぞり返る情報源に、柳は特にツッコまず「じゃあ行きましょうか」とてきぱきと先を促した。
おかめと面長のあやかしも、一人で高麗狛の双子を相手にしたくない魚頭に強引に引きずり込まれた形で後ろからついてくる。
森を抜けると一本の小川が視界に飛び込んでくる。
砂利や草を踏んで進んで行くと、半分水に浸かった大岩の上にそのあやかしはいた。
「おーい」
魚頭が声を掛けると相手は大岩に座ったまま振り向いた。
「……あ? おまえかぁ。何の用だぁ?」
糸を垂らした竹竿を川に向けた姿勢で面倒くさそうに問うあやかしは、糸のように細い双眸を目深に被った唐笠で隠している。
少しだけ開いた双眸をまた直ぐに細めると、また顔を川の方へ戻した。
と思ったらぐるんと激しい二度見をして魚頭の後ろにいる双子に瞠目した。糸目が限界まで開き切っている。
「おま……おまえよぉ、とんでもねぇもん従えて来たじゃねぇかよおぉ」
「ふふん、そうだろう? ……あっ、イヤそうじゃねえ! おれは案内してきただけだ。このふたりがお前に話聞きたいってよ!」
従えるなんて滅相もない。ふたり、特に柳の顔を見るのが怖くてサッと道を譲る。
遠慮なく進み出た柳は蒼にアイコンタクトを入れて、頷いた兄を見て糸目のあやかしに視線を戻した。
「半月ほど前に怪しい奴に声をかけられたと聞きましたが、どんな話をしたのか覚えてますか?」
「んあ? あー……意味不明だったなぁ。恨みを返したい奴はいないかとかどうとか……。めんどくせーと思って軽くあしらった気がするなぁ。正直あんま覚えてねぇわぁ」
「人相とか背格好なんかは? どんな些細なことでもいいので思い出せませんか」
どうだったかなぁと考えを巡らす糸目のあやかしは、手元の竹竿が引かれたのに気付いて手首をクイと上げた。
川から釣り上げられた魚はエサに食いついたまま真っ逆さまに糸目の口に収まった。
豪快に生きた魚をむしゃむしゃと咀嚼する糸目のあやかし。
それを見て驚く者はこの場にはいない。
嚥下するのを待っていると、糸目は思い出したように呟いた。
「見た目はそこらにいる奴らと変わらない小者だったなぁ……」
口から飛び出た魚の尾鰭が喋る度にぴょんぴょん動く。まだ生きているように見えるがそうではない。
そして骨になった魚をペッと吐き出すと糸目は続けた。
「話の様子から誰かに言われておいらに話しかけてきたような感じ……だったかねぇ」
これ以上は思い出せないと口を閉ざしてしまった。
礼を言ってこの場から立ち去ろうとしたところで、ずっと周囲を警戒していた蒼が苦無を抜いた。
そのまま糸目の方へと素早く投擲する――。
「なんだ? どうした!?」
「ひいぃ。いきなり物騒じゃないのさ!」
「なんで攻撃したっ? あやつは知ってること話したろうが!」
魚頭に続き、強引に連れてこられたおかめと面長がおののき叫ぶ。
しかし当の蒼は視線どころか耳も貸さず、糸目――その向こうにいる相手を睨みつけていた。
――その相手から僅かだがあの薬と同じニオイがする。
「何者だ」
苦無が縫い留めたのは双子も知らぬあやかし。
何日も洗っていないようなぼさぼさの毛が凝り固まって筆のような塊が幾つもできており、それが全身を覆っている。そして前歯が異様に長くネズミのように外に伸びている。
手には鎌のような得物が握られ、明らかに何かを狙っている目をしていた。
「こいつを殺す気で現れたのか?」
糸目を庇うように前に立った蒼の後ろで驚きの声が上がる。
「おいらぁ? おいらはただ釣りをしてただけなんだけどなぁ……」
命を狙われているというのに、相変わらず喋りはおっとりしていて緊張感がない。
「話しかけてきたのはあのあやかしなんですか?」
柳の問いに糸目はやや首を傾げ「だったようなきがするねぇ、そういえばねぇ」と一応肯定する。
今度は相対するあやかし――溝鼠妖怪とでも呼ぼう――に問う。
「もしかして口封じですか? 彼はほとんど覚えていないので必要ないと思いますが」
柳の言葉に糸目は「そーそー」と言いながら二度頷いた。
しかしこんな分かりやすい見てくれをしている相手を覚えていないなんて、余程興味がなかったか、あるいは目を瞑っていたのか……。
どちらにせよ、関わってしまった以上狙われても仕方ない。相手にはこっちの都合など関係ないのだから。
多勢に無勢。しかし溝鼠は身を引くどころか交戦する構えだ。
姿勢を屈めて鎌を真横に構えると、地面に縫い留められた筆のような毛を引き千切る勢いで向かってきた。
ブチブチと嫌な音を立てながら苦無から抜け出した溝鼠のなりふり構わないその動きに、蒼は刀で応戦する。
難なく鎌を弾き飛ばして、相手の鼻先に切っ先を突き付けた。
「誰の命で動いている?」
「……さあな」
「神域に侵入するよう仕向けたのはお前だな?」
「………」
「人間の死霊を使って深淵に混乱を招き閻煌様を煩わせたかった、そんなことだけじゃないだろう。本当のことを言え」
「知らん。例え知っていても言うものか」
「……なるほどな。下っ端のお前には話していないんだな。暗殺もこの体たらく。信用されないのも納得だ」
「なっ、なんだと!! マガツヒサマはそんな方じゃない!!! そうさっ……マガツヒサマはわれのことをいつも気にかけて……」
「マガツヒ? ……まさか、禍津日神のことかっ?」
「――っ!」
蒼がこの名を口にすると溝鼠は目を見開き、鼻先に突き付けられていた刀に自ら飛びついた。
咄嗟に刀を引こうとしたがかなり強い力で握られていたため自害を許してしまった。
動かなくなった相手を見下ろし、今度はゆっくり胴体から引き抜く……。
「蒼……」
後ろから柳に呼ばれて蒼は首を横に振る。
「死んだ。しかし黒幕の正体は分かった」
禍津日神と口にした瞬間自害を選んだということは、恐らくそういうことなのだろう。




