<六>
短刀を手にした閻煌は多方向から襲い来る敵を舞うように斬り伏せていく。
閻煌はほぼその場から動いていない。
手の中でくるりと短刀を操り、背後から来るものには見ずして振るい、決して寄せ付けない。
そこに援護に飛んできた苦無があったが、歯牙にもかけずに敵を振り払うための術を展開した。
僅かな血を以て刀の刃を赤く染め、更に身体から霊力を放つ――。
回転させた刀から血が無数の刃となって飛び出し、熟れた果実に顔のついた不気味な悪霊を一掃する――。
「ギャア゛――!」
顔の真ん中に付いた口から悲鳴のようなものが上がって落下した。
悪霊とはいえ、樹妖に取り込まれたそれには実体があり、潰されると地面を容赦なくグチャ、ベシャと音を立てて汚していく。
閻煌の刀にもべっとりと付着して、あの甘いニオイが鼻腔を突いた。
――酷いニオイだ。
さっと袖で鼻を覆いながら、閻煌は刀を振ってニオイの元を落とす……が、完全には振り落とせず、鬼火を出して綺麗に焼き払った。
抜刀した時の状態に戻った短刀を鞘に収めながら視線を上げる。かなり上へ。
すると、八咫烏がふわりと舞い降りてきた。
「ここは凄いニオイだな。この甘さ、酔いそうだぞ」
それは決して良い意味ではないだろう。
鼻を摘まめる指があったらそうしたいと言わんばかりに八咫烏は顔の前で翼をバサバサと扇ぐ。摘まめる鼻もないのだが……。
そこに燈鶴も姿を見せる。
歩く足元には投擲した苦無が汚れ一つなく地面に突き刺さっていた。
視界にそれらを映しながら、ややきまり悪そうにしているのは、約束を破って手を出してしまったことを咎められると思っているからだ。
閻煌は彼を一瞥すると小さく息を吐いた。
「今回は何の影響もない範囲だったから不問とする。既に相手は殺気だっていたからな、刺激するもなにもなかっただろう」
一拍置いて燈鶴はハッと視線を上げた。
「それだけか……?」
「ああ。もっと何か言ってほしかったか?」
「いや……」
てっきり追い返されると思っていた。
言うことを聞かずに手出しした挙句、何の助けにもならなかったのだ。役立たずもいいところだと、燈鶴は自分を責めていたし、悔しく思っていた。
神妙な面持ちで燈鶴が深く頷く。傍にいることを許してもらえたということは自分にもまだ役割があるのだろうと……。
そこに横から八咫烏が「こうしてはおれん」と慌ただしく口を挟んできた。
「樹妖の群れがここに迫っておる。数は多くはないが、正気であるかも不明だ。どうする?」
閻煌は直ぐには答えずに周囲の気配を探る。
あの地響きも果実の悪霊を倒した辺りから鳴りを潜めている。
「……対話が成り立つなら応じよう。決して警戒を解かないように」
一人と一羽にそう注意を促して、此処へと向かってくる樹妖を静かに待った。
不意に燈鶴が問いかける。
「閻煌様。こいつらは燃やしておいた方がいいんじゃないか?」
潰れたまま地面に放置されている顔つきの果実のことだ。
「まだ役目が残っているからな。あとでいい」
「役目……?」
燈鶴、そして八咫烏にも見当がつかずに首を傾げる。
が、そのうち分かることなので閻煌は口を閉ざしてその時を待った。
少し経ってやって来たのは見るからに樹木のあやかしといった風体の樹妖。それもぞろぞろと仲間を引き連れて。
閻煌を前に行進を止めた樹妖たちは、仲間と目配せしながら出方を考えているようだ。
これがもし一匹だけだったら逃げ帰っていたかもしれない。
みんながいれば怖くない、と、それぞれ自分を奮い立たせているのは目に見えて明らかだった。
誰が先にいくかと目配せする樹妖たちに、痺れを切らした閻煌が先に切り出した。
「まだ俺に恨みをぶつけたいならここで受けて立つ。が、話し合いで解決できるなら此方もお前たちの力になると約束しよう。どちらにするか、お前たちが決めろ」
力でねじ伏せても恨みを増長させるだけ。ならば、結果がどうなろうと自分たちの選択によって成った結果なら彼らも納得できるかもしれない。
そして樹妖の中から声があがった。
「恨みならあるさ! 仲間を殺されて恨まないやつはいない!」
これに同調するようにあちこちから声が飛ぶ。
「みんな凄く苦しんでた。苦しんでたってことは、助けてほしかったってことだ!」
「そうだ、そうだ!」
「どうすることもできなくて、だから暴れてたんだ。それしかできなかったから……!」
「仲間を襲ったのだって正気を保っていられなかったからで……」
「あいつらは悪くない。悪くなかったんだ……」
「それなのに、おまえは容赦なく殺した……!」
彼らが言っていることは間違ってはいない。
誰を襲っているかも分からず暴走する堕ちた樹妖を葬って周りの者たちを守ったのは閻煌だ。
あやかしの中には物事を真っ直ぐ捉える者が多く、良く言えば素直、悪く言えば単純。そこから自分の心のままに考え真実を折り曲げてしまうこともある。
仲間が狂ってしまった理由を考えるよりも仲間を手にかけた者に気持ちが向いてしまうのも仕方ない。
恨みと鬱憤を晴らすように喚き散らす樹妖たちに、耳を傾けるだけ傾けた閻煌は徐に人差し指を地面に向けた。
「ここに転がるこいつらはお前たちの仲間が取り込んだものだ。こんな姿にできるのは完全に闇に堕ちた者のみ。堕ちたら最後、正気を取り戻すことはできない」
「……嘘だ。おまえたちには浄化の力がある!」
「そうだっ、それで助けられたはずだ!」
閻煌は首を振る。
「いや無理だ。浄化は万能ではない。堕ちた者を祓っても骸が残るのみ。例え悪霊と切り離せたとしても残った肉体は土に還るしかない」
こっちを敵と見なしている樹妖たちには言葉だけで説得するのは難しい。しかし想定内だ。
ならばと、閻煌は別の角度から話を切り込むことにした。
「一つお前たちに尋ねたい。この骸から発せられる甘いニオイを嗅いだことはないか?」
「「「今嗅いでる」」」
そう口を揃えて答えるものだから肩に乗る八咫烏がずり落ちそうになった。
閻煌も一瞬言葉に詰まりながらも改めて問う。
「今ではなく、もっと前だ。場所はここじゃなくてもいい。ニオイというよりもこれに似た瘴気をどこかで感じなかったか?」
「そういえば――」
と、頭の枝から足の根まで全体的に細長い一匹の樹妖が呟いた。
「人間が欲しがる薬を作るんだって言ってたやつが、変な感じしたぞ。甘くはなかったけど……兎に角嫌な気配を感じた」
これを皮切りにまたあちこちから声が飛び交った。
「そうだ。それは何だって聞いたら、これを人間に食わせれば仲間が助かるとか言ってたぞ」
「おれもそれは聞いた。でもおれは馬鹿じゃないからな。人間とどう関係があるんだって問い詰めたら答えられなくてよ。怒ってどっか行っちまった」
「それはお前たちの仲間か?」
と、問う閻煌に樹妖は素直に頷いた。
「そう。おれよりもちびで弱そうだったけど、同じ樹妖の仲間だ。言ってることが意味不明で相手にしなかったんだ」
大きさ云々は置いておくとして、それは間違いなく穢れに当てられた樹妖だったのだろう。
そして何者かに騙されてあやかしの薬を作った製造元の一匹だ。
ここで話を更に掘り下げていく。
「神域にお前たちの仲間が侵入したことは知っているか?」
この問いかけにざわめきが起こる。
「神域って鬼の塒のことか?」
嫌な言い方だが間違ってはいないので頷くしかない。
「そうだ」
これに集まった樹妖たちは信じられないという顔をして首を横に振るばかり。仲間の行動までは知らなかったようだ。
「彼らは仲間を助けられると思い込んでやって来たんだが、彼らもこれとよく似た瘴気に侵されていた。これを仕向けたやつに心当たりはないか?」
「ない」
「おれもない。お前は?」
「ないな。鬼の塒なんて近寄りたくもない」
皆即答である。
「あそこには強力な神の使いがいるって話だしな」
「鬼の如く狂暴なやつな。鬼と一緒にいるからだ。物好きなやつめ」
「まったくだ」
それは焔舞羅のことを言っているのかと、閻煌は狂暴とは程遠い笑顔の男を思い浮かべる。
「あやつに狂暴性はないと思うが、怒らせたら怖い性質ではあるな」
八咫烏の意見に否定する言葉が見つからない。
そもそも閻煌は神域を出たいと思っているのだが、焔舞羅が引き留めるものだから未だに叶っていないのだ。
まあこれは別の話として――。
今彼らに反論しても話が逸れるだけなので閻煌は咳払いで樹妖たちの気を引き、本題を続けた。
侵入した樹妖たちは神域にて捕縛し治療していることを伝えると、目の前にいる樹妖たちは多少怒りを収めてくれた。
「鬼の塒に入るためにおれたちの仲間はいいように使われたのか」
「同胞たちを狂わせた悪党がいる……っ」
「それが本当ならそいつをやっつけないと」
「ああそうだ。また仲間が犠牲になるぞ……!」
閻煌が仲間を葬ったことへの恨みより、自分たちの身も危ないという恐怖心の方が上回ったようでこっちの話を完全に信じ込んだ樹妖たちは、縋るように閻煌に詰め寄る。
「おれたちは何をすればいい?」
「同胞たちが助かるならなんでもしよう」
あちこちから上がる声に閻煌が口を開きかけた時、またあの地響きが襲った――。




