N-058 国王ノヴァロムの追憶 4
※ 本文中には、一部自殺を仄めかす記述、およびショッキングに感じられる可能性のある表現が含まれています。精神的に体調が優れない方、あるいは該当の描写に対して苦手意識のある方は、無理をせずここでお引き返しいただけますようお願いいたします。心の準備が整った際、あるいは気が向いたときに、いつでも物語の続きでお待ちしております。
※初心者故、気になったタイミングでこまめに加筆や修正を行います。何卒ご了承下さいませ。
※更新頻度は緩やかです。
▼episode 058 - BGM
黒曜石と秘色
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——私とラリーは同じじゃないわ。
呆然とするクラリオラの耳に、亡き友の声が蘇った。
——ラリーは公女様なんだから、お勉強は頑張らなきゃ駄目じゃない。私が羨ましいって……冗談でしょ?
頭を撫でながら諭す優しい微笑みが目の前に散らつく。
——こんなに美味しいお菓子を残すなんて勿体無い! 贅沢言わないの! ほら、残しちゃ駄目よラリー。
口を尖らせて叱る声が耳の奥を撫でた。
嗚呼……アーチェは言っていた。ずっと——ずっと言っていた。私と貴女は違うのだと。彼女は弁えていた。理解していたのだ。私が——私だけが分かっていなかった。
甘やかな空気が一変する。薄暗い部屋の中で——小さな亡き骸を抱いて叫ぶ声が頭に響く。
——あんたのせいで……憎い……あんたが憎いわ!
更に重なる慟哭。
——嗚呼ロニー! 許して……お姉ちゃんを許して!!
悲鳴にも似た泣き声に、後悔と怨嗟が二重三重に降り積もっていく。
——あんたなんかと……出会わなければ良かった!
——あんたに私の何が分かるって言うの!?
——ど……して、あたし——が死な、なきゃなんないの……あん、た、が悪いんじゃないの! な、んで——。
記憶が濁流となって飽和する。湧き上がる声を処理出来ず、クラリオラは破裂しそうな頭を抱えた。
国王ノヴァロムはクラリオラの元へと歩み寄ると隣に座した。心配そうに公女を支える侍従長に視線を向ける。アイゼナッハは首肯すると静かに後ろへ下がった。
「クラリオラ、私を見よ」
両の肩に置かれた手は温かく力強い。クラリオラは思考の底から現実へと引き戻された。途方に暮れた秘色の瞳が、縋る様にノヴァロムを見上げる。
「見誤ってはならぬ 。其方の友——ビアーチェが彼等を唆し其方を誘拐させた。犯人達がビアーチェを殺した。其れが事実だ」
くしゃり、と公女の顔が歪む。
「咎人には罪の大きさに見合った償いを与えなければならない。其方を誘拐した犯人達は各々厳しい取り調べを受けた。沢山の証拠と証言を集めて司法官が正しく裁いたのだ。ビアーチェを殺害した男は自らの命で罪を贖わねばならぬ。他の者にも過酷な刑罰を与えた。対して——其方の告白を聞く限り、其方は単に事件のきっかけを作ったに過ぎない。違うか?」
秘色の瞳から煌めく泪が零れ落ちた。しかし澄んだ雫は何かを掴もうとする色に変化している。
「罪を裁く者は、常に公正でなければならない。刑罰を自分の匙加減で好き勝手に行えば混乱を招くだけだ。判断を誤り続ければ民からの信頼をも無くす。そうなれば我が国はあっという間に傾くだろう——良いか? 人を罰するにも大きな責務が伴うのだ」
ノヴァロムは世の理を積み重ねていく。
クラリオラはノヴァロムの語る言葉を、意味を、必死に拾った。一言も聞き漏らさないと、瞬きすら忘れて国王を見詰める。溢れる泪を拭いもせずに。
「今回の事件が起こった原因が自分に有ると思うのなら——先ずは無知だった己を見つめ直してみよ。其方は幼なくとも公爵令嬢なのだ」
国王の静かな声が小さな身体を包み込む。クラリオラはノヴァロムの言葉に頷いた。
「ビアーチェ達だけが不幸だったのではない。残念乍ら——未だ我が国にも貧困は存在する。日々の食事すらまともに有り付けなければ、人は生きる為に已む無く悪事にも手を染めてしまう。其方を襲った者達もそうだ。逆に貧しくとも慎ましく真正直に生きる者達も居る。何不自由無く日々を暮らす我等には想像も付かぬ事だな」
「——は、い」
「王家や貴族諸侯は民達の為に存在するのだ。街を整備し経済を回す。犯罪を摘み治安を維持する。農地を管理し食糧を管理する。諸外国と交流を重ねて平和を維持し、国を守る。何が正解かはわからぬ。我等は常に答えを模索し続けねばならない。ならばクラリオラよ。公女である其方は今——何を行うべきだと思うか?」
黒曜石の瞳が秘色を貫いている。
容赦無く続く苛烈な国王の攻め手に、傍で見守る侍従長の手はいつしか汗ばんでいた。子供相手だからと言葉すら和らげない。主人はずっと——公爵令嬢と対峙している。
問われた公爵令嬢クラリオラは、下を向いて幾度か瞬きを繰り返した。目元を手の甲で何度も擦って泪を拭う。浅い呼吸を必死に整え、一度大きく息を吸うと肩の力と共に吐き出した。
クラリオラはゆっくりと顔を上げた。
澄んだ秘色にもう揺らぎは見えない。
「——学びます」
「そうか」
「沢山学んで——知らなかった事を知ります」
「そうか」
「何を間違ってしまったのか、何がいけなかったのかをちゃんと知ります。公爵令嬢のお仕事を勉強してみんなの為に頑張ります。今度は間違わない様に……国王様は〝死んではいけない〟という罰を下さいました。理由も教えて下さいました。正しい公爵令嬢になります。それが——罪を償う事だと思うから」
「——そうか」
公爵令嬢クラリオラの言葉に、初めて黒曜石が揺らめいた。秘色の瞳は揺らがない。国王は公爵令嬢の両手を強く握った。大きくごつごつした手だとクラリオラは思った。熱い手だ、と——そう感じた。
「クラリオラよ」
「はい——国王様」
「覚悟を決めたのだな?」
「はい、国王様」
「死にたいと願うより辛いかもしれぬ」
「——ビアーチェ達の方が辛かったと思います」
「——そうか」
国王ノヴァロムは静かに手を離すと長椅子から立ち上がった。驚くべき光景に侍従長は息を呑む。国王がクラリオラに目線を合わせて膝を付いたのだ。
「正しい公爵令嬢になれた時に——また、私に会いに来るが良い」
「——はい、国王様」
クラリオラの瞳の奥に決意を認めて、ノヴァロムは頷いた。
窓の外は未だ、吹雪いて先が見えなかった。
***
部屋に現れた公女を見て哀れと思った。両親にも心を明かせず、失意の底に堕ちた少女が願ったのは自らの死。
公女は全幅の信頼を置いていた友から、完全なる人格否定を受けた。お前が原因で自分達が不幸になったのだ、だからお前が死ねばいい、と呪詛を吐かれた。
ビアーチェはクラリオラという人物の価値を奈落の底に突き落とし、存在其の物を否定した。公女は唯唯諾諾と其れに従い「殺してくれ」と願う為、国王ならば叶えてくれると一縷の望みを賭けて登城したのだ。
嘆く公女の姿が記憶の底の少女と重なった。エクセルシウォルと婚約を解消した侯爵令嬢がノヴァロムの脳裏を掠めたのだ。彼女が真に欲したのはエクセルシウォルの心。守ってやれなかった幼い心は砕かれた。侯爵令嬢の心は自傷行為を起こす程に疲弊し立ち直れていないと聞く。彼女を其処まで追い込んでしまったという後悔は、今もノヴァロムの心の奥底に澱となって積もっている。
其の純粋さ故、自身の罪に喘ぎ絶望する公女には生きる理由が必要だ。今のクラリオラに与えるべきものは、己の存在意義だとノヴァロムは思った。
お前に罪はない、他者の恨みなど忘れて幸福や己の希望を欲してもいい——と伝えれば、公女は逆に殻に閉じこもってしまうだろう。それほどに、与えられた呪縛は強力だったのだ。
公爵令嬢としての責務を負わせる事——其れしか彼女を生かす道が無かった。
(私が其方に与えた罰は、死ぬよりも遙かに過酷なものだ——)
ノヴァロムは苦悶の中に瞑目する。
—— 正しい公爵令嬢になります。それが——罪を償う事だと思うから。
きっと——公女は死者の呪縛から逃れられないだろう。友の死を糧に生きて行くに違いない。果てしない苦しみに耐えられず、再び死を願う日が来るかもしれない。
だが—— 死んで詫びる、など許さぬと与えた罰が、公女を此の世に繋ぎ止めてくれるのなら。
いつの日か、贖罪以外の生きる意味を見出せる出会いがあれば或いは——。
無言にて




