O-059 王妃オクタヴィアナの睥睨
※初心者故、気になったタイミングでこまめに加筆や修正を行います。何卒ご了承下さいませ。
※更新頻度は緩やかです。
▼episode 059 - BGM
①オクタヴィアナの心中
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②二組のワルツ
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満場の拍手喝采が鳴り止まない。
王太子とレクレディ公爵令嬢の円舞曲は観衆の心を魅了し、広間を二人の色に染め上げた。踊りの技量は言わずもがな——人々は情熱的な恋愛劇の一幕を鑑賞した心地に酔いしれている。
白と銀の一対は、三組の中で一頭地を抜いていた。前出二人の踊りも非の打ち所がなかったが——其れに勝る鮮烈な情景が彼等の記憶を上書きしてしまった。
「阿呆めが……!」
王妃オクタヴィアナは眉根を寄せ呟いた。
(巫山戯た三文芝居を衒らかしおって! 先日からの胡散臭い態度の数々といい……あの馬鹿息子は何を企んでいるのだ!)
人々は完全に騙されているらしい。王太子エクセルシウォルが傾国の美女に一目惚れして恋着を顕にしていると。
オクタヴィアナは知っている。そんな衝動に息子が突き動かされるなど天地が十回転したって起こり得ない。
確かにクラリオラと再会したあの回廊で、エクセルシウォルに感情の揺らぎを認めた。クラリオラとの出逢いがエクセルシウォルに何らかの変化を与えたのは事実。
しかし衆人の前で繰り広げられた光景は余りにも明白過ぎだ。
人は——そう簡単には変わらない。変われない。
理由があるのだ。エクセルシウォルが此処まで動く理由が——。
絡まって行く思考の中、ある可能性が浮かび上がり——オクタヴィアナは、はっと顔を上げた。初対面時に見たゲラルド・ベルクトゥスの鼻持ちならぬ顔が脳裏を掠めたからだ。
(そうか——チェスターか!)
王妃は扇を広げると階下の群顔を端から浚う。盛り上がる観衆の中に目的の男を見止めて空色の瞳を眇めた。ベルクトゥス伯爵は柔和な笑顔を浮かべ、中央の二人に拍手を贈っている。笑みの裏から漏れ出る臭気を嗅ぎ取ったオクタヴィアナの眉間の皺が更に深くなる。
(矢張りあの目付きは気に食わぬ。狙いは馬鹿息子か其れとも——)
穏やかに弧を描いた口元、だが微笑むゲラルドの瞳に温度は無い。オクタヴィアナはゲラルドの視線を辿る。冷えた両眼が捉えている人物が——秘色の公女だという事実を認めた瞬間、オクタヴィアナの全身が一気に泡立った。
クラリオラという餌を前にして、ゲラルドは牙を剥こうとしているのだ。獣の前に餌を撒いたのは、彼の前に公女を晒したのは——王太子エクセルシウォルだ。
(エクセルシウォルが此の茶番を思い付いたのは何時だ!? 一体、何時から——)
オクタヴィアナは過去の頁を捲っていく。クラリオラは事件以来レクレディ公爵領から出た事がない。王都に来たのは此度の候補者選定への参加が決まったからだ。
オクタヴィアナが王太子妃になる覚悟を問うた際にクラリオラが見せた姿は、一介の令嬢が持つ其れとは明らかに異なっていた。並々ならぬ決意の裏に秘められた色が蘇って、オクタヴィアナは目を見開く。
(嗚呼——あの時何故、気付かなかったのだ!)
オクタヴィアナは気付いた。気付いてしまった。
公爵令嬢クラリオラの覚悟の意味を。
〝自分は其の為に在るのだ〟と語った時の暗く翳った秘色の意味を。
(あの時からクラリオラは自らを差し出していたのか! ならば此れは——エクセルシウォルと合意の上で撒いた罠だ!)
扇を持つ手に力が入る。みしり、と要部分が軋んだ。
盤上の駒は既に動き出している。クラリオラという材料を手に入れたエクセルシウォルが攻め手を緩める事は無いだろう。彼は合理主義の塊だ。既に何通りもの道筋を予測し、更なる策を弄しているに違いない。そしてエクセルシウォルは、自陣にクラリオラという駒を置いた。チェスターを揺さぶる為に。ゲラルドやディーリアを釣る為に。
(エクセルシウォルは己が妃を選定する場も、公女も含めて遣い潰すつもりか!)
ぎり、と奥歯を噛み締めた王妃へと、いつの間にか国王が手を差し伸べていた。
「参るぞ——愚息の尻拭いは親の務めだと相場が決まっておる」
一切の光を飲み込んだ深淵が空色を射抜いた。逆光の中に在る黒曜石の奥を見つめたが、読み解く事は出来ない。
賢王ノヴァロムは常に一歩先を歩む。王妃オクタヴィアナであっても敬愛する夫の真髄には未だ辿り着けない。
オクタヴィアナは大きく息を吐いて立ち上がった。
事の真意はわからない。仮に、国をも揺るがす事態を秘めているのなら——王妃オクタヴィアナは静観するより他にないのだ。
***
国王は王妃を伴い階下へと降りた。
沸き上がっていた観衆が気付いた傍から慌てて頭を下げていく。
ノヴァロムとオクタヴィアナは候補者三名の前に歩み寄った。膝折礼の姿勢で待つ淑女達へと贈る賛辞が広間に響く。
「三者、共に見事であった」
三名の隣で黙礼する王太子にちらりと視線を向けたオクタヴィアナは、同じく礼を取る高位貴族達を視界に収めた。彼等の挙動を見定める空色の冷たさとは対照的に、目元まで引き上げられた真紅の扇は何処迄も情熱的だ。
「皆、楽にせよ」
観衆へ投げられたノヴァロムの声を合図に、姿勢を正した全ての視線が国王へと集まった。
「ベルクトゥス嬢、チェスター王国の円舞曲を久方振りに堪能出来て嬉しく思う——誠に艶やかで高貴な舞であった」
「過分な御褒めを頂戴し、身に余る光栄に御座います」
国王が一番に声を掛けたのはディーリアだった。対するベルクトゥス伯爵令嬢の凛とした返答も実に堂々としたものだ。
一国の王に物怖じする事なく返答するディーリアに、貴族諸侯達は感嘆を禁じ得ない。王太子はレクレディ公爵令嬢に恋慕を見せたが、国王はあくまでもベルクトゥス伯爵令嬢を優遇している様に見える。
——もしや、国王と王太子の意見は割れているのか?
貴族諸侯の微かな困惑が広間の空気を小さく揺らした。対して依然として笑みを浮かべるベルクトゥス伯爵や、前列に並ぶ公爵家、侯爵家の面々は微動だにもしない。
オクタヴィアナは目を細める。
(流石に高位の者達は動じぬか——)
次に国王が声を掛けたのはエドヴァルド侯爵令嬢だった。
「エドヴァルド嬢、其方の可憐な円舞曲は広間に春を呼び込んだらしい。初春の柔らかな薄黄緑を纏った灯台草の化身に皆が見惚れておったぞ」
「身に余る御言葉、恐悦至極に存じます」
頬を染めるカテリーチェの初々しさに、令息達が僅かに色めき立った。社交界の花、エドヴァルド侯爵令嬢の存在感は矢張り大きい。王太子妃候補者に選出された報の裏で、涙を飲んだ令息も多いのだ。
最後に国王がレクレディ公爵令嬢へと声を掛けた。
「レクレディ嬢——漸く対面が叶ったな。実に素晴らしい円舞曲であったが——王太子の軽挙妄動は余にも想定外であった。続けて踊る羽目に合わせてしまい難儀を掛けたのではないか?」
平素のエクセルシウォルを知る者達は、感情を露にする王太子の姿に驚愕し理解した。王太子が見せた公女への恋情を明らかなる意思表示と捉えたのだ。
しかし国王ノヴァロムは其の行為を〝軽挙妄動〟と言い切った。国王は王太子の意志に難色を示したのか。
「不世出の賢王で在らせられる国王陛下の御前にて拝謁を賜る僥倖——此の上ない誉に御座います。過分な御言葉、有り難く頂戴致します」
レクレディ公爵令嬢は優雅な所作で拝謁の弁を述べ、美しい笑みを浮かべた。周囲からは溜息が漏れる。
「王太子殿下は——」
ちらり、と隣に立つエクセルシウォルへと熱い視線を投げ、クラリオラは口角を上げた。対するエクセルシウォルもまた、熱い眼差しで公女に視線を返す。
「私が初舞踏会も済ませていない事に御心を砕いて下さったのでしょう。今宵は忘れ得ぬ夜となりました」
「そうか——しかし、此の儘ではベルクトゥス嬢とエドヴァルド嬢に対して公平とは言い難い。はてさて、どうしたものか——」
大仰に思案する国王に向かって「畏れながら——」と伺いを立てる声がした。其の声にオクタヴィアナの片眉が小さく上がる。高位貴族の中より一歩、前に進み出たのはキルシュノーム公爵だった。
ヴェルスレクト・フォン・キルシュノームは、現国王ノヴァロムの異母弟にして宰相である。今年で三十六歳となる此の王弟は未だ独身。王太子エクセルシウォルの叔父でもある彼は第二王位継承者だ。
威風堂々とした兄ノヴァロムとは対照的に、此の人物は甘美な風貌の伊達男である。彼の周囲には常に艶聞が絶えない。
「キルシュノーム公爵か」
「もし叶うならば——私めが御令嬢御二方と一曲ずつ、御相手を願いたいと存じますが」
「ふむ——」
女性を魅了する甘い笑顔で願い出たヴェルスレクトの申し出に、事の成り行きを見守っていた令嬢達から小さな悲鳴が漏れる。独身で眉目秀麗で高位貴族でもあるヴェルスレクトと踊るのは至難の業だからだ。
オクタヴィアナには此の世で二人、苦手とする人物がいる。一人は感情を表に出さぬ息子のエクセルシウォル。残る一人が義弟であるキルシュノーム公爵だ。
女性に人気があり誰にでも優しいヴェルスレクトだが、オクタヴィアナにとって彼は腹の中で何を考えているのか全く掴めない男なのだ。
(此処に来てまた、面倒臭いのが出てきた)
更に眉根を寄せるオクタヴィアナにノヴァロムが声を掛ける。
「王妃よ、どう思う?」
(私に聞くのか!!)
にこり、と笑みを向けるヴェルスレクトの思い通りになるのが癪で、オクタヴィアナは答えた。
「御一人で令嬢二人を相手するのは大変かと。高位の令息からもう一人、相手を選ぶのは如何ですか?」
「成程な。では——シュタインガルド侯爵」
「——は」
「其方の令息に頼もう」
更に令嬢達から悲鳴が漏れる。王妃オクタヴィアナの生家シュタインガルド侯爵家の嫡男ステイファルスもまた、独身で令嬢達からの人気が高い。エクセルシウォルの従弟に当たるステイファルスは銀髪で、面立ちも王太子に非常に似通っている。
(よりにもよって……我が血族を引っ張り出すのか)
夫の采配に文句を言いたくとも衆目の面前で感情を表す事は出来ない。〝嗚呼、糞!〟と心中で悪態を吐きつつ、オクタヴィアナは王妃の笑顔を浮かべた。
国王の許可を得たキルシュノーム公爵が恭しくベルクトゥス伯爵令嬢ディーリアへと手を差し出した。対するディーリアは何処か興味深気な笑みを浮かべて其の手を取る。
シュタインガルド侯爵令息もエドヴァルド侯爵令嬢カテリーチェを誘って広間へと向かう。カテリーチェは頬を染めて従った。
華々しくも重厚な円舞曲が流れ出すと、二組が軽やかに踊り出した。比類無き優雅さは圧巻そのもので、観衆はまたもや奪われた目を離す事が出来ない。
大人の色香を振り撒いてキルシュノーム公爵がディーリアの耳元に何かを囁いている。ディーリアが和やかに言葉を返す様子を眺め乍ら、オクタヴィアナは隣に立つノヴァロムに問い掛けた。
「——何故、キルシュノーム公爵の申し出を認めたのですか?」
「彼奴にも何か思案が在るのだろうよ」
ノヴァロムの考えは、矢張り読めない。
オクタヴィアナは小さく溜息を吐くと、華麗な踊りに興じる義弟に目を移した。笑顔で言葉を交わしつつ踊るヴェルスレクトとディーリアは、実に楽し気な雰囲気だ。
何故だか——オクタヴィアナは拭えぬ違和感を覚えて身動いだ。其の理由が掴めぬままに義弟の姿を目で追いかける。
吊燈の光は踊る彼等に降り注ぐ。
ディーリアの榛色の瞳が煌めいている。
そして——ヴェルスレクトの薄金色の瞳も。
オクタヴィアナの感情乱高下が尋常じゃない(笑)




