N-055 国王ノヴァロムの追憶
※初心者故、気になったタイミングでこまめに加筆や修正を行います。何卒ご了承下さいませ。
※更新頻度は緩やかです。
▼episode 055 - BGM
①円舞曲→ Valse sentimental ,Op.51.No.6
②国王と公女の対面
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広間中央では、濃灰の神鳥が舞い踊る白絹の翼に手を伸ばし、愛を乞うている。乙女は亜麻色を煌めかせ、追い縋る銀氷に甘い笑みを送った。身を躱しては思わせ振りに歩み寄り、手が届く間際に擦り抜ける——揶揄う素振りの公爵令嬢相手に、王太子は自身の迸る恋情を隠そうともしない。
パルクトゥード王国の奇跡は神々しい迄に眉目秀麗な貴公子だ。しかし天賦の才に秀でたエクセルシウォルの言葉や態度に温度が伴う事はない。彼の人が常に冷淡酷薄で、喜怒哀楽と無縁なのは周知の事実である。明暗のみを映す石灰色の瞳に、色味が宿るのを見た者は未だ嘗て無い。
そして今——階下の観衆達は驚愕に喘いでいた。銀氷の貴公子が一人の令嬢に懸想する姿に。
それだけではない。レクレディ公爵が秘していた掌中の珠を前に、圧倒されていたのだ。
公爵令嬢が放つ壮絶な迄の美しさは人々の呼吸を、瞬きを、其の鼓動さえも止めた。たかが黄金の輝きなど、亜麻色の髪が舞い残す軌跡にすら敵わない。広く澄んだ湖も、潤んだ秘色の瞳に其の身を映されれば——羞恥に頰を赤らめ一瞬で干上がるに違いない。咲き誇る真紅の薔薇ですら、艶やかに綻んだ唇の前ではあっという間に萎れてしまうだろう。
人々は〝完璧なる美〟の真実を、本当の意味で理解していなかった。公爵令嬢クラリオラを見るまでは。彼女を欲して色香を振り撒く王太子を知るまでは——。
たった一人の少女が、奇跡の堅牢な牙城をいとも容易く打ち崩した。その事実は、彼等の常識を根底からひっくり返したのだ。
深窓の令嬢は噂に違わぬ美しさで、正しく〝傾国傾城〟の呼び名に相応しい——と。
***
国王ノヴァロムは飄々とした面持ちで広間を見下ろしていた。階上にある玉座は、人々の動向を把握するのに最適な位置に在るのだが、其れを知る者は少ない。高位の貴族諸侯が密かに投げ合う視線には必ず理由がある。ノヴァロムは、周囲の目を掻い潜り他家と接触を図る者達を視界の端に捉えては、その家名を脳裏に刻んでいく。
レクレディ公爵令嬢への執着を隠さない王太子、中立派で名高いレクレディ公爵家、他の家門との均衡が崩れかねない現場を目撃した彼等は今、一体何を思うのか。
(我が国の王太子には〝遊び〟が足りぬ。餌を撒くにしても性急が過ぎる。それでも釣られる者達がこうも多いとは——)
エクセルシウォルは、無駄と判断した対象物を即座に切り捨てる。行動であっても施策であっても現時点での最適解を求めるのだ。其の解は常に的確であり、実に合理性に適った選択を行う。彼が天賦の才と呼ばれる所以だ。
若さ故、と呼べば聞こえは良いが、人とは——人の心理とはそんなに単純な物では無い。愚かであったり一見無駄に見える事象や人物も、違う場所では必要不可欠な歯車なのだ。
(彼奴の思考には致命的な欠点がある——)
確固たる意志を内に秘めて持ち舞い踊る息子をノヴァロムは見下ろした。エクセルシウォル自身も把握しているに違いない。合理性を突き詰めるが故の己が欠点を。知っていても尚、突き進む迷いの無さはエクセルシウォルにとって諸刃の剣ともなり得るのだ。それすらも凌駕する信念は何処から生まれるのか。
国を掌る王が負を切り捨てる姿は、国民に恐怖の種火を植え付ける。迷いなき舵取りは速やかな統治に繋がる一方で強い波を生み、溺れる民を作るのだ。
(さて、どうしたものか——)
ノヴァロムが思案する隣で、王妃が小さな舌打ちを打った。苦虫を噛み潰した様な面立ちでオクタヴィアナは広間を睨んでいる。
「気色悪い——なんだあの顔は」
辛辣な口調は常のもの。だがノヴァロムは知っている。オクタヴィアナは溢れんばかりの愛情を息子に募らせている。不器用な愛が真逆に作用しているだけなのだ。
「王妃よ、少しは口を慎め。其方の物言いは率直過ぎる」
小声で嗜めれば、愛妃は眉間に皺を寄せ憮然と応えた。
「余りにも態とらしい、と申しておるのです。あれをちゃんと御覧になっているのですか? まるで張り盆子だ。本当に——醜悪甚だしい」
オクタヴィアナの指摘は、言葉は違えど自分の見解と変わらない。其の事実が妙に愉快で、ノヴァロムは思わず口端を上げた。
「まあ、そう怒るな。彼奴なりの考えがあっての事だろう」
ノヴァロムの合いの手は王妃の耳に入らない。
「よもや……公女はあれに振り回されているのか? 王太子の威光を振り翳され、無理を強いられ……嫌々ながらも言いなりに——」
更に前のめりになる王妃にノヴァロムが応える。
「——あの娘はそんなに柔ではない。あれは合意の上だ。其方も本当はわかっているのだろう?」
図星を突かれて、オクタヴィアナは下唇を噛み締めた。結局、二人を案じているだけなのだ。心根の優しい妻に眦が下がる。会話しつつも階下を睨み付ける王妃の視線を追い掛けて、ノヴァロムも円舞に目を向けた。
観衆の視線が集まる中、濃灰と白絹は二人だけの世界に身を投じている。
艶のある提琴の長音が揺れながら小さくなり、余韻を残すように終曲を迎えた。
吊燈の灯りの下で、見つめ合っていた二人がゆっくりと離れる。名残惜しそうに絡めた視線を先に断ち切って、エクセルシウォルが礼を取った。公爵令嬢の見事な膝折礼と共に、無音の広間に衣擦れの音が響く。
クラリオラの左手を王太子が取った瞬間、嵐の様な歓声が湧き上がった。舞踏会場に満ちた拍手は一向に鳴り止まず、公女は再び膝折礼で応えた。
賞賛を贈る観衆へと微笑む公爵令嬢に、幼い公女の泣き顔が重なって——ノヴァロムは瞑目する。
「私との約束を違えず——此処まで辿り着いたのだな」
「——何か仰いましたか?」
国王の呟きは、鳴り止まぬ喝采に紛れて溶けた。賢王が長らく抱いてきた感傷の真の理由を、王妃はまだ——知らない。
***
王妃オクタヴィアナが兄の継爵祝賀会に参列する為、生家であるシュタインガルド侯爵領邸へと里帰りしたのは七年前の冬だった。重い難産で身体を壊した王妃が、二年の歳月を掛けて漸く通常の生活を取り戻した頃の出来事である。
シュタインガルド侯爵領は王都から馬車で一日程度の近郊に位置しており、復職前最後の療養も兼ねた訪問だった。
随行と護衛はオクタヴィアナとは気心が知れた侍女や元部下達で編成された。王妃の主たる職務は宮廷の統治だ。本格的に復帰すれば、様々な儀礼の主催、王宮内の統括——と忙殺される日々が待っている。
「——義兄上達に思う存分、甘えて来るが良い」
そう言って送り出した妃が、真逆——公女の誘拐事件に遭遇するなど誰が予測出来ただろう。
王城に、シュタインガルド侯爵領から第一陣の急報が到着したのは事件翌日の未明だった。ノヴァロムは直ちに王国騎士団総帥を召集し、事件現場とレクレディ公爵領へと向かわせた。
幸いにも誘拐犯は玄人ではなく、金品目当ての烏合の衆だと判明した。オクタヴィアナ達が場を制圧し公女を救出、王妃には怪我もなく、一路レクレディ公爵領邸へと向かっているとの報が続く。公女も些少の怪我は有るものの命に別状はないらしい。
ノヴァロムが安堵の息を漏らした時分には、窓の外に澄んだ朝焼けが広がっていた。一先ず事件は収束したかに見えた。しかし——身体の傷は癒えても、心に負った傷は簡単には癒さないものだ。幼い公女に植え付けられた恐怖心は、想像以上に大きかったのだろう。
公女が言葉を失った——との知らせが舞い込んだのは事件の翌年、朔風巡る一月下旬のことだった。公女誘拐事件については即座に箝口令を敷いた為、公爵家周辺で人々の口の端に上った気配は無い。
だが、その報を耳にしたオクタヴィアナからも笑顔が消えた。王妃として取り繕った笑顔は其の儘に。
「——あの子が哀れでならぬのです」
気丈な妻が、我が子の事のように気に掛ける少女。ノヴァロムは、一夜関わっただけの少女に、王妃が何故此処まで拘るのか知りたかった。縁戚であるレクレディ公爵アウルスも其の夫人も、理由が分からず手を拱いているらしい。
「気分を変えてみてはどうか?」
と、王城へ誘う書簡を送ったのは何故だったのか——。
ノヴァロムは当時を振り返っても自身が起こした行動を説明出来ない。
ただ、王妃オクタヴィアナと同様に、運命に導かれたかの如く公爵令嬢クラリオラへと手を差し伸べていたのだ。
——沈黙にて。




