P-050 プールス男爵兄妹の致知格物
※初心者故、気になったタイミングでこまめに加筆や修正を行います。何卒ご了承下さいませ。
※更新頻度は緩やかです。
▼episode 050 - BGM
①母の教え
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②好奇の目、野心、羨望、打算、飽和状態の広間
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「——良く耐えた」
ヴェリタの耳元で小さく囁いたのは兄フィデルトだ。妹が無意識に装飾手帳を握りしめているのに気付いたのだろう、優しい手付きで其れを一撫ですると苦笑気味に言葉を続ける。
「お前は根が単純だから、ああいうの嫌いだものな? 大声で叱責を始めるんじゃないかと肝を冷やしたぞ?」
「私……其処まで馬鹿じゃないわ」
「うんうん、もう子爵位が案内され始めた。こんな場所で騒ぎを起こしたら末端貴族なプールス家は立ち所に潰されてしまう。相手によっては言葉尻を取られてどんな瑕疵を付けられるかわかったもんじゃない。お前も大人になったな、ヴェリタ」
耳打ちしつつ、フィデルトは然り気無い所作で未だ噂話に花を咲かせる令嬢達から距離を取った。
「——都会の淑女ってもっと素敵な方ばかりだと思ってた」
「淑女の外側と中身が皆同じなら、お前には疾くに義姉が居るだろうよ。あ、いや、まあ私の話は良いとして、ははは。其れにしても——何とも恐ろしいものだな。虫も殺さぬ様な可憐さで、口から出るのが醜い妄想話ばかりとは……」
鐘が二つ、鳴る。フィデルトとヴェリタは会場入口へと目を向けた。名乗役が子爵位の名を高らかに読み上げると騒めいていた広間が一瞬静まり、密やかな声が彼方此方から忍び出る。
「——タッセル子爵か、今宵もまた派手な衣裳だな」
「奴は色狂いだからな。先日の夜会でも梢若き令嬢と見るや突進してたぞ。まるで盛りの付いた猪の様ではないか」
「だが頭は切れる。知ってるか? ハリゲート伯爵が新しい銀鉱脈を掘り当てたという話があっただろう? 先細りな採掘量を前に私財を投じて相当無理をしたそうだ。やっとの思いで金の成る木を見付けはしたが、今度は資金難で採掘に進めない。其処へ手を差し伸べたのがタッセル子爵だ。奴は融資を持ち掛ける代わりにマージェスカ鉱山採掘権の一部をちゃっかりと買い取った。坑夫も大量に雇ったらしい。あの懐は此れから鉢切れん許りに膨らんで行くに違いない」
「なんだ、女の尻を追うだけの盆暗かと思ったら鼻も効くのか? 取り敢えず顔繋ぎしておいて損は無さそうだな。挨拶でもしておくか」
「待て、抜け駆けとは卑怯だぞ」
貴族達の明け透けな会話にフィデルトは呆れ顔で肩を竦める。ヴェリタの眉間にまた一つ、小さな縦皺が生まれた。すると背後より母から声が掛かった。
「——ヴェリタ、私の傍を離れては成りませんよ」
「嗚呼……申し訳有りません母上、澱んだ空気に中られてしまいまして——少々避難しておりました」
弁明する息子にコルディアは片眉を上げて扇を開いた。
「全く……貴方はヴェリタに甘いのだから。場所を変えようとも然して違いはないのでは? まあ、いいわ。二人共、良い機会だからしっかりと此の場を味わいなさい。 目と耳に容赦無く入り込む砂利など、篩に掛ければ良いのです。異物を取り除いた後に残る金の粒だけを見極める力を持たねば成りませんよ」
お目付け役の喩えは、兄妹の胸の中にもやもやと溜まっていた澱を、盥の水で勢い良く洗い流した。核心を突く母の言葉に、兄妹は息をするのも忘れ高揚した。会話の表層のみを切り取って居ては駄目なのだ、と——無数の戯言の中に在る実を見分けよ、と母は諭してくれている。
純粋なだけでは貴族は務まらない。自分達はまだまだ未熟だ——と己の不甲斐無さを実感しつつも、一筋の光を示された感覚に震えが立ち昇る。
「お母様、素敵……」
「母上……素晴らしき御慧眼です。誠に恐れ入りました。御言葉、しかと——胸に刻みます」
「強気なコルディ……美しい……」
最後の呟きは夫が妻に惚れ直しただけの惚気である。プールス男爵閣下は事、妻に対してのみ一貫して周りが見えなくなる病に罹患しているのだった。
***
名乗りの前に鳴らす鐘は、其の数で爵位を表す。
男爵位なら一つ、子爵位なら二つ、伯爵位は三つ——そして侯爵位は四つ。最後に国外の国賓、貴賓、公爵位なら五つ。
広間に増えた華やかな衣裳は、暗がりに咲き乱れる直前の花々。未だ控えめな照明の中で人々が身に付けた装飾品が小さな輝きを放っている。
既に名乗役が鳴らす鐘は四つ、侯爵位と成っていた。読み上げられるのは何れも名家ばかり。都度現れる貴人達の優麗な姿に広間の空気は揺れる。麗しい令嬢が微笑を浮かべれば男性貴族は互いを牽制し合い、威風堂々とした侯爵家令息の風格を前にして淑女達は熱い吐息を漏らした。
「シュタインガルド侯爵閣下! 並びに同侯爵夫人! シュタインガルド侯爵家御令息ステイファルス様!」
王妃陛下の血縁家門シュタインガルド侯爵家入場の知らせに、会場は本日一番の響動めきに包まれた。口々に囁かれる言の葉にも色が含まれた物が多い。
「まあ! シュタインガルド御令息様だわ!」
「嗚呼……なんて麗しいの……お父様、今宵こそ彼の方から御言葉を賜りたいわ! どうか御挨拶の機会を頂けるよう差配して下さいませ!」
「シュタインガルド令息は此春、第二王国騎士団に入団したのだろう? 早くも頭角を現して居ると聞くが……」
「あの艶やかな銀髪、端正な面立ち…… 御従兄弟で在らせられるからかしら。歳を追う毎に王太子殿下に似て来られて……でもシュタインガルド御令息の方が柔らかい印象ですわね」
「——侯爵閣下は相も変わらぬ鉄面皮振りだな。彼れは王妃陛下や王太子殿下と同類だ。貴殿も安易に誼を繋ごうなどの甘い考えは持たない事だ」
自然と割れた人並みの間を優雅に歩くシュタインガルド侯爵家をヴェリタ達も歓喜を持って見詰めていた。
「お……お母様、何だか眩いのですけれど……」
「ほ、本当にそうね、全身が輝いていらっしゃるわ」
「母上……もしや舞い上がって居られますか? 先程までの威風堂々とした母上は何処に飛んで行かれたのでしょう?」
「お黙りなさいフィデルト! 此れは女性の性なのです。ご覧なさい、侯爵閣下の御姿を……何て高潔で神々しい——確か旦那様より七つ程御歳が上だったと記憶しているのだけれど……あれだけ威厳に満ちていらっしゃるのに旦那様より御若く感じる——」
「コ、コルディア、今、何処を見たんだい?」
妻の視線が自分の頭頂部をさらりと撫でたのをレクトルは見逃さなかった。問われたコルディアは返事もそぞろに再び熱い眼差しを侯爵閣下へと向けている。
がっくりと肩を落とす父の背を、フィデルトが苦笑しつつ二度叩いた。
「あんなにお美しい殿方が此の世に存在するだなんて……まるで——御伽話に出て来る王子様みたい……」
「おいヴェリタ、何故今、私の顔を見たのだ?」
「——神様は意地悪ね。不公平だわ」
「おい、こっちを見るな」
毛を逆立てるフィデルトを宥める様に、レクトルがお返しとばかりに息子の背を二度叩き返した。多分に漏れず、プールス男爵家の女性達も美に対しては容赦が無いのだ——と痛感した二人である。
***
鐘が四つ、エドヴァルド侯爵家の名が響いた。此方は侯爵閣下と夫人のみの入場で、広間は小さく動揺を孕んだ。王太子妃候補のカテリーチェ嬢は一緒ではないのか、と。だが侯爵家序列で一番最後に入場した意味を、貴族達は推測と好奇心を持って見守るに留めている。
続いて——鐘が五つ鳴り、最高位の順番が巡って来た。
パルクトゥード王国には五つの公爵家が存在する。今宵、名乗役が呼ぶ最後の序列に答えが隠されているのではないか、そうに違いない、いや、そうではない、あくまでも序列の範囲だ……と、会場内の熱量が上がって行く。
最後に呼ばれるのは一体、どの家門なのか——。
つまり、其の家門の御令嬢こそが、既に王太子妃として内定しているのではないのか。
鐘が五つ鳴る度に、静けさと喧騒が交錯した。
驚くべき事に——四番目に呼ばれたのはキルシュノーム公爵家だった。
舞踏会場は大きく揺れた。王弟殿下で第二王位継承者、更には宰相として揺るぎない地位を持つキルシュノーム公爵はいつも最後に名が呼ばれるからだ。
矢張り、今宵の序列には意味が在るのだ!
人々は確信を持って喉を鳴らした。
既に王太子妃の座に近しい御方は決定しており、優劣が付いているに違いない。
——残りは二家。
筆頭公爵家で在り、“王国の天秤”としてパルクトゥード王国を支えるレクレディ公爵家が、遂に中立の立場を覆すのかもしれない。
はたまたチェスター王国から来訪したベルクトゥス伯爵家に白羽の矢が刺さったのであろうか。幾ら国賓に近い立場であってもベルクトゥス家は伯爵位なのだ。
野心と羨望、興味と嫉妬が複雑に入り乱れ、会場内の熱気は最高潮に達した。
命運を握る鐘が五つ——鳴り響く。
——此処で呼ばれなかった方が本命だ。
舞踏会会場は水を打った様に静まり返る。数多の瞳が舞踏会場入口に注がれた。誰もが固唾を飲んでいる。己が得を得易い相手が、次に呼ばれない事を祈っているのだ。
名乗役が、朗々と声を張った。
「——レクレディ公爵閣下! 同公爵夫人!」
悲鳴にも似た響動めきが舞踏会場に飽和した。反響も相まって収拾がつかない。
——最有力候補者はベルクトゥス伯爵令嬢なのか。
舞踏会会場に満ちた心の声、抜粋。
「マジかよーーーー!!」
「え、決まったの???本決まり???」
「こりゃ驚いた、え、誰かチェスターと懇意のある知り合い、居たっけか!?」
「……なんでみんな驚いてんの?」




