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C-044 公爵令嬢クラリオラの暗影

※気になったタイミングでこまめに加筆や修正を行います。何卒ご了承下さいませ。

※更新頻度は緩やかです。


▼episode 038→044 - BGM

オクタヴィアナの過去語り038から044まで、まとめて下記のMozart - Requiemで東雲の心は撃ち抜かれました。(52分ありますが)ラスト、Lux Aeternaで今とこれから先を表すような調べに胸熱。

https://open.spotify.com/album/7zUp1kFOMEMiRFoFKcJhZB?si=JkTgoT4NT5qgJDtYxYm9og



 




「結局、真意の程は分からぬまま——か」


 隣の馬上でディケンズが独り()ちるように溢した言葉に、オクタヴィアナは何も言わず手綱を握り直した。


 茜さす王城への帰路、夕刻というのに街路には人影がない。常歩(なみあし)で並ぶ蹄の音が刻む調子(リズム)で、馬頭が交互に上下している。


 オクタヴィアナは王城の背に赤く燃える空が、中空から宵闇へと混ざるのを目で追った。茜から紫へと緩やかに変化した色彩は天空で浅い夜色へと染まる。


 其処に、小さく煌めくのは一番星。



(——彼女の心に巣食う闇は、想像以上に深くて暗い)



 暗澹たる心持ちで、王妃は来た道を振り返った。



 ----



 結局、最後までクラリオラが己の感情を口にすることは無かった。


 静かながらも苛烈な何かを含んだ秘色の瞳がオクタヴィアナの空色から逃げることは無かった。加えるなら最後まで伸ばした背筋が、彼女の覚悟を物語っている。


 公爵令嬢は己の知らぬ過去を取り込みながら、淡々と答え合わせをしているように見えた。


 凛とした姿はとても美しく——そして哀しい。



「——私は、ビアーチェが刺された直後からの記憶が殆どありませんでした。混乱の中、断片的な映像は残っておりましたが……まさか、王妃陛下に救って頂いていたとは……知らぬとは言え、無礼にも今まで御礼も申し上げず——」


 頭を下げるクラリオラをオクタヴィアナの手が制した。


「謝るような事ではない。クラリオラ嬢、顔を上げなさい。私が伏せよ、とレクレディ公に命じたのだ。恐怖と混乱の最中で苦しむ其方(そなた)に、あれ以上の負荷を負わせたくは無かったからな。それに礼を言わせる為にわざわざこの様な昔話をしに参った訳ではない。今日、此処に来たのは——初めにも伝えたが、其方に聞かねばならぬ事があるからだ」


 オクタヴィアナの空色の瞳はクラリオラしか映していなかった。懐疑も躊躇いも労りも混ざらぬ真っ直ぐな空に、クラリオラは向き合う。


「——何なりと」


 お尋ねください、と答える秘色にオクタヴィアナは首肯する。


「其方の過去は一部の者しかその些細を知らぬ。事件の直後に緘口令を敷いたのだ。今まで嘸かし辛く、苦しい想いをして来たであろう。そんな其方が王太子妃候補者に名を連ねた。私も、まさか国王陛下が其方を推挙するなど思っても居なかった。陛下も些細は承知しておる故な。レクレディ公は頑強に固辞したと聞く。然もあろう。事情を知る者が聞けば当たり前の事だ。だが、そもそも——」


 オクタヴィアナはちらり、とアウルスに目を向けた。そこに問う。父として、公爵として——娘が、公爵令嬢クラリオラが今から語る言葉を受け止める覚悟を。



「——其方に、その覚悟はあるのか?」



 王妃オクタヴィアナの声が部屋に満ちた。


 クラリオラは真っ直ぐに空色を見詰めている。


「この過去は秘されて来た。だが秘密という物は漏れるもの。ましてや、今まで秘されて来たからこそ——其れが明るみになった時、憶測や興味は下らぬ中傷に化けて事実を覆い隠し、一気に広がるであろう。王太子妃候補に成るという事は貴族の——国民からの衆目を常に集めるという事だ。今までレクレディ公爵領で大切に囲われて来た其方に、耐えられるか?」


 空色は問う——秘色に。


「エクセルシウォルは——あれは不完全だ。人の感情の機微を知らぬ。人の醜悪が満ちた中で蠢く誹謗中傷は、今まで以上に其方を苦しめるだろう。クラリオラ嬢——其方が此れまで以上に過去に捉われ、過去に苦しめられるのは避けられぬ。そして、傍であれに救いを求めても無駄だ。あれは——エクセルシウォルは其方を救う事はしないだろう」


 アウルスの視線が泳いだ。当時の出来事はアウルスにも苦い思い出として胸に刻まれている。エクセルシウォルは過去に婚約者を守ろうとしたのだ。彼なりの方法で——しかし侯爵令嬢は心を病み、貴族社会から姿を消した。明るく努力家な素晴らしい令嬢だった。愛らしい笑顔が濁っていった事実をアウルスも知っている。


「私は其方と縁がある。だが其れとこの件は話が別だ。其方がどの様な過去を持とうが、どの様な苦しみを抱えて居ようがそんな物は民達には何ら関わりのない事だ。王族に身を置くつもりならば生半可な覚悟では務まらぬと心得よ。その上で、もう一度問おう」


 王妃オクタヴィアナが問う。


「レクレディ公爵令嬢クラリオラよ。其方に——王太子妃と成る覚悟はあるか?」


 クラリオラは静かに目を伏せた。


 一秒か、数秒か——室内は沈黙に染まる。


 再び、公女が緩やかに開けた目に。


 秘色の奥に隠れた——鈍く沈んだ暗色を認めて、オクタヴィアナは答えを聞く前に悟った。


(嗚呼——其方には、そう進む以外に道はないのか——)



 そして、公爵令嬢クラリオラは王妃オクタヴィアナに明言した。



「私は——パルクトゥード王国に(あまね)く生きる民等の”幸せ”、の為に生きるのを厭いません。私は——私の存在意義は、其の為だけに在るのです。私個人に対する誹謗中傷など瑣末事にてご心配には及びません」



「——そうか」



 クラリオラの言葉に答えを見たオクタヴィアナは息を吐くと部屋を見渡した。


 娘の言葉に、アウルスは拳を握り締めているが、瞳は真っ直ぐに公女へと注がれている。執事は静かに頭を下げ、侍女は口端を噛み締めていた。もう一人の侍女は成り行きを見守るのみ。


 オクタヴィアナの背後で、護衛が小さく息を呑んだのがわかった。彼もまたクラリオラの過去を知る一人である。オクタヴィアナは背を預けた男の心情を慮って心の中でだけ頷いた。



(——そうだな、お前の気持ちは分かるぞディケンズ)




 ----




「正直言えば——こうなるであろうと思っていた」




 ディケンズの独り言に遅れて答えたオクタヴィアナは、深く息を吐くと——再び己の瞳に一番星を宿した。



 暗く沈みゆく闇の中でもがくように、小さく煌めくその星を。




 ***




 王城を駆け巡る「驚愕の噂」にオクタヴィアナが鼻白(はなじろ)んだのは数日前。


 無喜無怒な愚息が王太子妃候補者の一人に懸想している、という。


 ——しかも、誰に憚ることなくその態度があからさまだと?


 何かの策略か陰謀か。はたまた愚息の計略か?


 相手はレクレディ公爵令嬢クラリオラ。


 王太子妃候補者に名前が上がっただけでも驚いたのに、愚息が焦がれる相手があの子という。何がどうなったらそんな馬鹿げた事になるのか。


 なんの戯言だと確認すべくオクタヴィアナは動き出す。


 回廊で七年ぶりに再開した公女は、凄まじい美しさと気品を携えた淑女に成長していた。出過ぎず、引き過ぎず——それでも確固たる自信と才気が溢れ出るのを隠しもせずに王妃と対面したのだ。


 土に汚れ、絶望の中で泣き叫んでいた少女と、目の前に立つ令嬢が結び付くまでには時間を要した。淑女に成長した公女と愚息を見比べ、はたと気付く。


 いつも寒々しく周囲を映す石灰色の瞳に、虹色の虹彩が光るのを見たからだ。


 僅かに上がった口角は、作った表情ではない。感情が欠落した息子の心を公女が溶かしたのか。それともただの勘違いか。


 俄かに湧き上がったのは歓喜。


 だが、オクタヴィアナは王妃なのだ。


 愛息の将来は国の未来と直結している。不完全な王の統べる国の末路は暗い。母としての喜びの前に見るべき物は別にある。


 ついぞ思い立ち、侍従長に「午後からレクレディ公爵家を訪問する」と伝えて足早に向かった厩舎には、既に馬の準備を済ませたディケンズが待ち受けていた。


「どうせ、仰々しく馬車で(おもむ)くおつもりはないのでしょう?」と軽装に身を包んだ第二近衛騎士団長は、黒馬の首を軽く叩くと「ガーディアナ、お前の主人の手綱を握るのは至難の業なのだぞ?」と破顔した。


 そうして向かう道すがら、オクタヴィアナは苦笑せざるを得なかった。忠実なる護衛騎士はその任を思った以上に全うしていたからだ。


 然もあらん。城門を抜けた街路の交差する要所要所には甲冑に身を包んだ近衛騎士達が立ち並び、彼等以外の人通りは皆無だった。王城からレクレディ公爵家が有する王都邸宅までの道のりは、彼等によって蟻をも通さぬ程の厳戒態勢にて完全に封鎖されていたのだ。


「図りおったな、ディケンズ」


「尊き御身の王妃陛下が、護衛を単騎のみ引き連れて身軽に馬を走らせるなど()()()()()でございますれば」


 恨みがましい目で悪態を()く王妃など意にも介さずディケンズは笑う。何故なら憎まれ口を叩く張本人(オクタヴィアナ)が、侍従長やこの近衛騎士団長が何の策も弄さずに我が身を放逐する事はないと理解しているからだ。


 静かな街路を二頭の馬が駆ける。


 クラリオラの「今」を知る為に、この国の「未来」を知る為に。





 ***





 一人の少女と出逢った冬の森。


 絶望に染まった秘色は光を失った。


 久方ぶりに秘色に宿るのは希望ではなかった。


 あの邂逅が天の采配だというのなら——余りにも無慈悲で、残酷極まりない。


 神をも恐れぬ冒涜と謗られようが、天に唾を吐きたくなる衝動が沸き上がるのを堪えて幾夜歯噛みしたことか。




 城門に辿り着いたオクタヴィアナはもう一度、振り返った。


 まだ少しだけ明るさが残る夕闇の先、遠雷が響く。




「——嵐が来そうですね」



 ディケンズがぼそり、と呟いた。



「——そうだな」



 オクタヴィアナは鈍く光る遠くの雲を、暫くの間見つめていた。






037で後書きに

「アウルスの「護衛一人のみ連れて馬掛けしてくる馬鹿」という言葉に全力で頷いていたのは、その護衛騎士(乗馬服着用)」

と書きましたが、実は対策バッチリだったのです(笑)

でも、やりかねないオクタヴィアナを思うとやはりディケンズは全力で頷いてしまうのであります。


-------第一章 完


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