A-043 公爵閣下アウルスの後悔
※初心者故、気になったタイミングでこまめに加筆や修正を行います。何卒ご了承下さいませ。
※更新頻度は緩やかです。
▼episode 043 - BGM
https://open.spotify.com/track/7jljqPTxRVx5ZJjyruQUtB?si=DwLdtydyT4629Uh1ESGtYQ
公爵家の令嬢として生を受け、惜しみない愛情を注ぐ家族と慈しんでくれる使用人達に囲まれたクラリオラは、善の世界の住人だった。
天使のように愛らしい少女の周囲からは常に悪意や醜悪さが取り除かれた。整えられ澄んだ環境の中、クラリオラは伸び伸びと健やかに成長した。
純粋培養された無垢な少女は、文字通り人の言葉を疑うことを知らなかった。自分に悪意を向けたり、騙したり、利用したりする人間が存在するとは夢にも思っていなかった。善意には善意が返るのだと、そう信じて疑わなかったのだ。
***
オクタヴィアナが語った七年前の過去は、クラリオラが忘失してしまった記憶だった。
クラリオラが覚えているのは大切な友を失ってしまったあの瞬間までだ。目の前で男が友の胸に刃物を突き立てた。愛しき友が苦しみと憎しみに歪んだ顔で放った言葉は、クラリオラの心を粉々に砕いた。
——ど……して、あたし——が死な、なきゃなんないの……あん、た、が悪いんじゃないの! な、んで——。
息も絶え絶えに怨歌を吐く友の声は無限の呪詛となってクラリオラを縛り付けた。
何度も——何度も何度も何度も。
暗闇に揺らめく焔、流れる赤、土埃と涙に汚れた友の顔。
——あん、た、が悪いんじゃないの! な、んで——。
責める声と焚火に照らされた苦悶の表情が決して薄れゆくことはない。寧ろ日を追うごとに鮮明に、意思を持ってクラリオラを揺さぶり、引き摺り、責め続けるのだ。
——あんたが悪いんじゃないの! なんで!?
自分の愚かさを忘れぬ為に、繰り返し呼び起こし続けた声がぐるぐると頭の中で鳴り響いている。
「——大丈夫か?」
オクタヴィアナの気遣うような声音が、呪詛の渦に巻かれていたクラリオラを呼び起こした。無意識に固く握り締めていたらしい掌をそっと握られたのだと気付いて、クラリオラは顔を上げた。
いつの間に其処に居たのか。
オクタヴィアナはクラリオラの前に片膝を付いて見上げていた。
澄んだ空色の瞳が真っ直ぐに秘色を捉える。
——嗚呼、私は……この色を知っている。
憐憫ではない。庇護欲でもない。
ただ、目の前の少女の「今」を見つめる瞳。
事実をそのままに映す鏡のような瞳の色だ。
「御無礼を——」
「良い、其方が気遣う必要はないのだ」
慌てて立ち上がり掛けたのを制し、オクタヴィアナはクラリオラの手を持ち替え、ゆっくりと撫でた。
「そのように強く握りしめるものではない。爪が食い込んでいる」
開かせた掌を労るよう一撫でし、オクタヴィアナはそのままクラリオラの隣に座った。強張る身体で微かに震えていながらそれでも、背筋を伸ばして逃げない姿を一瞬、眩しげに見つめて王妃は公女に問う。
「まだ——続きを知りたいか?」
クラリオラは頷いた。
「宜しければ……御存知の限りを」
そうか、と首肯しオクタヴィアナはアウルスへと視線を向けた。
***
レクレディ公爵家の当主であり父親でもあるアウルスは、無論オクタヴィアナが語った状況を把握している。
事件直後の聴取でクラリオラは固く口を閉ざした。
ただ一言、「わたしのせいなの」と答えたきり。
捕えた実行犯達への尋問で分かったのは誘拐に至った動機と経緯のみ。動機はやはり金銭だった。下町の破落戸達がクラリオラを裕福な商家の娘と思い込み身代金目的に犯行に及んだのだ。彼等は日銭雇いの生活困窮者だった。
レクレディ公爵領は他領より豊かで治安も良いが、それでも一定の低所得層は存在する。彼等はその末端に位置する者達だった。
その日暮らしの破落戸達は、ある日上手い儲け話を持ち掛けられた。仕事は簡単だ。彼等は待っているだけで良かっだ。何故ならばその儲け話を唆した本人が「金持ちの娘を連れてくる」と言ったのだから。
犯人達に直接手引きをしたのは、森で亡くなった少女だった。公女が縋り付いて泣いた、あの哀れな少女だったのだ。
彼女は公爵家専属の元庭師の娘だ。
名をビアーチェという。
クラリオラとはアーチェ、ラリーと互いに愛称で呼び合う程に親しかった。姉妹が居ないクラリオラにとって三つ歳上のビアーチェは姉であり親友だった。
公爵令嬢と庭師の娘という身分の差はあったが、好奇心の強いクラリオラが先ず初めにその垣根を飛び越えた。雲の上の存在である公女の行動に恐縮していたビアーチェも、天真爛漫なクラリオラに徐々に絆されていく。
交流を深める程に、思った以上に波長が合うのに気付いた二人はいつしか掛けがえのない友人となっていた。二人は可能な限りの時間を共に過ごした。クラリオラはビアーチェに全幅の信頼を置き、その父親である庭師にもとても懐いていた。クラリオラは庭師が作る庭園をこよなく愛していた。
ビアーチェの父トビアスは腕の良い庭師だった。トビアスは男手一つで子供二人を養う真面目で優しい男だった。領邸の一画には庭師専用の使用人棟がある。トビアスは娘のビアーチェと息子のロニーの三人でそこに居住していた。妻はロニーを産んですぐに亡くなった。もし妻が生きていたのなら、トビアスは下町に居を構えていただろう。つまり、通いで庭師の仕事に携わっていた筈だ。たられば、の話になるがビアーチェとロニーが母親不在だったからクラリオラは彼等に出会ったのだ。人の繋がりというのは各自が持つ運命の鎖が複雑に絡み合ってもたらされるものだ。
弟のロニーは病気がちではあったが頭が良く聞き分けの良い素直な子供だった。ビアーチェは当時十三歳。父親と弟の世話を焼き、幼いながらに内職で家計を支える優しい娘だ。
ある日、トビアスは作業中に梯子から落ち、腰と利き腕を強打した。怪我は思った以上に酷く、完治するのは不可能だと診断を受ける。庭師としての職務を全うできない彼が使用人棟に住み続ける事は残念乍ら不可能だった。それまでの真面目な仕事ぶりもあり、退職金と当面の治療費を与えられたトビアス一家は公爵家から去ることとなった。
「庭師がだめなら違うお仕事を与えて、このままずっと! ここに住んでもらえばいいじゃない!」
クラリオラの嘆きは予想以上に大きかった。幼い娘に事の顛末を説明するのは難しい。公爵家の使用人に求められるのは卓越した技量や熟練の技に特化した者。それを発揮出来ぬのなら去る以外にないのだから。
トビアス一家との別れに一時は落ち込んだクラリオラであったが、下町に居を移した彼等の元へ見舞いと称して会いに行くようになった。心配ではあったものの、結局アウルスは其れを許した。数度の交流に目を瞑れば、そのうち娘も落ち着くだろうと考えたのだ。
——だが、その判断が大きな過ちだったのだ。
***
当事者である娘が——僅か十歳のクラリオラが於かれていた凄惨な現場を改めて想起していたのだろう。ぶつけどころのない怒りを刻んだ眉間の皺は深い。
アウルスがあの頃の事を悔やまない日はなかった。
もっと注意しておくべきだった。もっと気を配っておくべきだった。もっと諭しておくべきだった。目を離してはいけなかった。外に出すべきではなかった。大人として、親として、公爵家当主として凡ゆる物が足りていなかった。己の不足が原因で、愛しい娘の人生に、決して消すことの出来ない大きな裂け目を作ってしまったのだ。
千恨萬悔、どんなに後悔しても過去が覆る訳じゃない。それでも自分を責めずにはいられない。
自然と下がった目線、思考の淵を彷徨っていたアウルスはオクタヴィアナの強い覇気に押されて顔を上げた。
快晴の色がアウルスの沈んだ秘色にぶつかった。いつから見られていたのか。澄んだ空色の力強い光はアウルスに語っている。
——後退るな。振り返るな。足踏みをするな。
アウルスははっとした。
今も昔も、破天荒でお節介な我が国の王妃はいつも強引に光へと導くのだ。あの時もそうだった。
——ルシー、起こった事を悔やむ暇があるなら前へ進め。娘を救いたいのならば、先ずはお前達が前を向かねば娘が道を見失ってしまうだろう?
オクタヴィアナの瞳がアウルスの悔恨を貫く。
(私は今まで——ラリーに何をしてきた?)
悍ましい過去から切り離そうと、只管に娘を囲い込み、その両目を塞いできたのではないか?
アウルスは自分と同じ秘色を、愛しい娘の瞳を見る。震える睫毛の奥にある小さな灯火を。
娘はずっと——今でもずっとあの場所に居るのだ。
嗚呼、私が変わらねばならなかったのだ——。
我が子を想う親の心は——。




