C-037 公爵令嬢クラリオラの想起
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▼episode 037 - BGM
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チェスター王国より来国したベルクトゥス伯爵とディーリア嬢を歓迎する王家主催の舞踏会開催日が決定した。その舞踏会で正式に王太子妃候補者三名が御披露目となるのだ。
クラリオラと侍女達は衣装や装飾品の最終確認に余念がない。部屋には色とりどりの衣装を着た人台が幾つも並んでいた。中でも中央に置かれているのが本命だ。紫苑色の地に秘色の薄絹を幾重にも重ねた衣装は、胸元と裾に銀糸で繊細な刺繍が配されており、見る角度を変える度に銀の光を弾いた。
「やはりこの御衣装が一番素敵です」
セルヴィは焦点の合わない瞳で空を見つめている。否、この衣装を身に付けた主人の姿を想像しているに違いない。淡く紅潮した頬がその証拠だ。
「では首飾りは……こちらの耳飾りと揃いの物に——」
イスレの提案に扉を叩く音が重なった。常より打音の間隔が狭く音量も大きい。現れたのは執事長のプロヴィタスだ。
「失礼致します——お嬢様、急いで御支度を整えお出でになるように、と旦那様からの御言伝でございます」
内容も慌ただしいが、平素はおっとりとしている老爺が相手への気遣いをも省いて用件のみを口にするのは珍しい。プロヴィタスからは張り詰めた様子が伺える。何か——唯ならぬ事態でも起こったのだろうか。クラリオラが静かに頷くと「外で控えております」とだけ発して執事は廊下へと下がった。
華やいでいた室内は瞬時に緊張の色へと染まった。ユージアとセルヴィが足早に衣装部屋へと向かい、イスレはクラリオラを鏡台へと誘う。
「——なるべく早く支度して頂戴」
主人の静かな言葉に、侍女達も黙して行動で答えた。
***
プロヴィタスに先導されたのは貴賓室だった。扉を叩く執事の背後でクラリオラはゆっくりと膝折礼の姿勢を取った。公爵位レクレディ家の貴賓室に案内される程の賓客がこの中に居る。つまり我が公爵家と同等か更に上——王族か他国からの貴族が自分を待ち受けているのだ。
「——入りなさい」
レクレディ公爵の硬質な応えを受け、プロヴィタスが扉を開いた。膝折礼を崩さぬクラリオラに向かって張りのある声が響く。
「気を遣わずとも良い。顔を上げよ」
その声には覚えがあった。ほんの数日前に対面したばかりなのだから間違えようがない。
「——敬愛なる王妃陛下に於かれましては——」
「構わぬ、口上は無用だ。早く中に入るが良い」
気安さを含んだ声音に顔を上げたクラリオラは、ぱちぱちと二度瞬きした。想像通り長椅子に座して居るのはオクタヴィアナ本人であった。が、しかし——それは豪奢な衣装を身に纏った王妃の姿とは程遠い。
オクタヴィアナは銀髪を一つに括り、実に簡素な乗馬服を着ていた。しっかりと見れば上質の生地で仕立ても品が良いが一見しただけではわからない。黒く艶光る長靴を履いた長い足を悠然と組み、肘掛に顎杖を付いている。その態度からは王妃然とした堅苦しさなど微塵も感じない。オクタヴィアナと初対面の第三者ならば、実は高貴なこの方を何処かの男性貴族と間違うに違いない。
「——突然お越しになったのだ」
苦虫を噛み潰すように父親はオクタヴィアナを睨みつけている。
「ルシー、お前の態度は不遜極まりないぞ」
「敬意を払って欲しいのならばそれ相応の段取りと形式を整えた上で来い! なんの前触れもなく護衛一人のみ連れて馬掛けしてくる王妃が何処にいる!」
「此処におるではないか」
悪びれない態度でオクタヴィアナは鷹揚に笑う。
「勘弁してくれ本当に……ノヴァは知っているんだろうな?」
「さあてな……まあ、優秀な侍従長が把握しているであろうよ」
「お前のそういう短絡的な行動に付き合わされるこっちの身にもなってくれ」
アウルスは眉間を指で押さえ溜息混じりに肩を落とした。
父親の困惑と呆れが部屋に満ちる。オクタヴィアナの護衛らしき御仁は苦笑を隠していない。プロヴィタスは主人の背後で空気に徹しており、クラリオラの背後ではセルヴィが戸惑いながらも静かに控えている。隣に立つイスレは淡々とした面持ちだ。
クラリオラは二人の会話をぽかんとした顔で見つめていた。仮にも王妃陛下と公爵という関係でありながらこの雰囲気はどういうことだろう。しかも父親は国王陛下をノヴァ、と呼んでいた。まるで既知の友人でもあるかのように。
「お前の愚痴に付き合っている暇はないのだ。今日はお前の娘に用があって来たのだからな」
オクタヴィアナは視線をクラリオラへと向けた。澄んだ空色の瞳が秘色を捉える。
「色々と疑問もあるだろうが、それは追々答えるとしよう——クラリオラ嬢」
名を呼ばれ、クラリオラは「はい」と答えた。
「其処へ座りなさい。其方に聞きたい事があるのだ」
クラリオラは首肯するとオクタヴィアナの向かいへと腰を下ろした。
***
「ルシー、これから我等の会話に口を挟むのは許さんからな?」
オクタヴィアナの命にアウルスは眉間の皺を深くする。
「……何を話すつもりだ。内容も分からずにそんな約束など出来るものか」
嫌な予感しかない。嫌な予感しかしないのだ。
国王から急に発せられた王太子妃候補への推挙、クラリオラの決意表明、王宮から派遣された侍女と護衛の意味、そして——。
王妃の突然の来訪目的がクラリオラであるという目の前の事実。王妃が語ろうとしている物が何であるのか——アウルスの予測はきっと外れないだろう。
守らねばならない、我が娘を。
あの絶望の渦に、愛しい娘を再び沈める様な事態だけは避けねばならない。
気が付けば、アウルスは両の拳を強く握りしめていた。その意を知ってか知らずか、オクタヴィアナの後ろに控えていた護衛の眼に鋭い光が灯る。
背後の気配に対し、軽く右手を挙げ制したオクタヴィアナは、組んでいた足を下ろすと姿勢を正してアウルスを見据えた。
「——レクレディ公爵。控えておれ、と言ったのだ」
王妃の有無を言わさぬ威圧にアウルスは唇を噛む。しかし——と尚も食い下がりかけた主人をプロヴィタスが小声で「旦那様」と止めた。
***
クラリオラは事の成り行きに動揺しつつも、理由がどうやら自分に起因する何かだという事を察していた。
「さて——クラリオラ嬢」
「はい、王妃陛下」
「私は迂遠な物言いは好かぬ。其方も私の問いには妙な気遣いなどせずに率直に答えて良い。無論、言いたくない事を無理に語る必要はない。これは尋問などではないからな」
高貴な圧とは裏腹に、空色の瞳には慈愛にも似た気遣いが宿っていた。クラリオラは既視感を強くする。
(——やはり私は……この瞳を知っている)
「私は過去に其方と関わった事がある。まだ其方が幼い時分だ。覚えているか?」
クラリオラの心臓がどくん、と跳ねた。
何時のことか、問わずとも分かったからだ。
呼吸が浅く、早くなっていく。
背後ではセルヴィも身を固くしたらしいのが伝わる。
アウルスは息を止め、プロヴィタスもまた小さく動揺した気配を見せた。
「——恐れながら、お会いした記憶はありません」
クラリオラの答えは嘘ではない。
会ったことはない。そう思う。
だが——。
「王妃陛下の瞳に——あの……瞳のお色には覚えがあるような——気が致します」
「——そうか」
僅かな、ほんの僅かな逡巡をその空色に走らせてオクタヴィアナは一つ、息を吐き出した。
「クラリオラ嬢」
「はい、王妃陛下」
「私と其方の間で起こった出来事を知りたいか?」
「陛下!」
アウルスの焦った声が割って入る。
「五月蝿い、卿の意見など聞いてはおらぬ」
「お辞めください! もう過去の話です! 何故今、掘り起こさねばならぬのですか!」
「——黙れ、と言っておるのだ。これ以上邪魔立てするならば此処から叩き出すぞ」
「しかし王妃陛下!」
「——お父様」
身を乗り出したアウルスに父親を諌める娘の声が重なった。
「——私は、お聞きしたいですわ」
「ラリー……だが」
「あの頃の記憶にはあやふやな部分が多いのです。私はずっと——全てを知らねばならないと思っておりました」
親子の遣り取りを見守っていたオクタヴィアナが部屋を見渡して公女へと問いかけた。
「人払いをした方が良いか?」
クラリオラは一瞬頷きそうになったが、呼吸を整えた後に首を振った。
「いいえ——私の側仕え達はそのままで」
セルヴィは全てを知っている。イスレは——彼の方へと通じているが構わない。王太子殿下との間に要らぬ隠し事は持たぬ方がいい。そう遠くないうちに王太子の耳に入る可能性があるのならこの機会に知られても大差はない。
次にオクタヴィアナはアウルスを見る。アウルスは諦めた様子でプロヴィタス以外の使用人達に部屋を辞するよう促した。
室内には王妃と護衛、アウルスと執事、クラリオラと侍女二人が残った。
オクタヴィアナはすっかり冷めてしまった茶を一気に飲み干すと、軽く息を吐いてクラリオラへと向き直った。
「さて——何処から話せば良いだろうか——」
アウルスの「護衛一人のみ連れて馬掛けしてくる馬鹿」という言葉に全力で頷いていたのは、その護衛騎士(乗馬服着用)。




