トナカイのそりを水星に横づける、アイボリーが跳ね、コーラルは怒る
「これがトナカイのそりかあ。カッコいいなあ」
ドックに入ったトナカイのそりを惚れ惚れとアイボリーが眺めている「いつ飛ぶの?」
「2時間後だよ」ユータが答える「水星に向かう。ヒスパニオラと水星の距離は、今、5万キロしかないから、すぐ着いちゃうよ」
「水星で何するの?」
「水星には何もしないんだけど、トナカイのそりの船殻表面に耐熱、耐プラズマ処理をするんだ。宇宙空間でそのままやってもいいんだけど、ここだと太陽輻射が強いだろ? 水星は日除けに使うんだよ」
「なんだ、降りないのか」
「いや、降りても良いけどさ。夜側なら冷えてるし」
「んじゃ、降りる」
「良いけどあまり無茶しないでね。あとトナカイのそりは、さっきも言った通り宇宙空間で表面処理するから水星には降りない。着陸艇は自分で用意して」
「オーケー、それぐらいなら大丈夫だよ」
「船殻補強? そんなことしたって太陽コロナに曝されたら一発でおじゃんだろ」
コーラルはにべもない。
「だからぁ、ほとんどは亜空間フィールドで遮蔽するんだよ」アイボリーはブツブツ口ごたえした「それで、亜空間群体から漏れ出た高エネルギー水素プラズマに耐えられるように船殻にコーティングするんだ。でも、この辺でもかなり太陽の影響が大きいから、それで水星の影に隠れて作業するってユータ言ってた」
「亜空間内でコーティングすませれば良かったのに」
「複合材のスパッタリングだから亜空間では物理特性が違って蒸着できないよ」
「けっこう、めんどくさいんだなあ」
「だから、ユータはいそがしいから、水星に降りられないって言うんだよ。シノノメはユータの側から離れないし」
「ベッコウは?」
「金星の観測データが大きすぎて、月見台のほうがパンクしそうだから、処理量減らすために前処理するんだって、それでいそがしい、って」
「オマエにはオールインワンがいるだろ」
「オールインワンをヒスパニオラから遠くに離すのは良くない」
「ようするに、オレしかヒマそうなのがいないのか」
アイボリーは口をつぐんだ。ジト目でコーラルを見つめたまま、何も言わない。
「わかった。わかったよ」コーラルが根負けして叫ぶ「水星でもどこでも行ってやるから、恨みがましくこっち見るのやめろ」
わーい、とアイボリーは両手をあげて走りながらどこかに行ってしまった。アイボリーとは相性が悪い。いつもアイツの言うことを聞くことになってしまう。テーブルからリンゴを取り上げたコーラルは仏頂面で皮ごとリンゴに齧りついた。
「着陸艇、って、この蜘蛛みたいなヤツがか?」
「蜘蛛じゃないよう」アイボリーは口を尖らせて抗議した。もっともヘルメットの中なので、コーラルには遮光バイザーの内側になって、アイボリーの表情はあまりよくわからない「タカアシガニがモデルなんだ。地球上で最大の節足動物だよ」
「足が8本あるじゃないか」
「前腕2本の作業アームもちゃんと数に入れてよ。十脚目で脚は10本だ」
「手は足じゃないだろ」
「虫とかカニとか多足系は全部足で数えるの。さあ、乗った乗った」
コーラルはおっかなびっくりでアイボリーの隣りの席についた。宇宙服着用とは言え、着陸艇がオープントップで良いのか、とか言いたいことはいろいろあったが、どうせ適当にあしらわれるだろうし、言ってみたところでたぶん時間の無駄だ。乗るのは後部シートにしようかとも思ったのだが、アイボリーが何をしでかすかわかったものではないので、すぐに止められる助手席のほうがまだマシと思ったのだ。
「じゃあ、行くよ」
トナカイのそりの荷物扉が開いた。眼前に水星の地表が迫る。
着陸、というよりは落下に近かった。地球の3分の1の重力で大気はほぼ真空に近い、制動にはプラズマイオンジェットを使う。
着陸艇は最後の着陸の衝撃を8本の脚で受け止めた。柔軟に脚を屈して運動エネルギーを受け止め、流動遅延でゆっくりと戻す。そこから着陸艇は器用に水星表面を歩きだした。
「思ったほど乗りごこちは悪くないな」コーラルは上を見上げた。トナカイのそりが小さく見える。その奥のヒスパニオラは月よりもはるかに巨大に見えた。
「乗り心地どうだろう? アイムはあまり好きな感じじゃないな」
「自分で作っといて、何だよ、それ」
「自分で作ったからと言って、常に素晴らしいとはかぎらない」
「そりゃ、そうだけど?」
飛んでみる? とアイボリーが訊いてきた。
「飛べるのか? これ?」
「そりゃ、飛べるさ。飛べなかったらトナカイのそりに帰れない」
ーーま、そう言われれば、そうだな
コーラルが何も言わないのを肯定と受け取ったらしい。着陸艇は8脚を縮め、車高がグッと低くなった。
「よし行け、ホッパーちゃん」
「ホッパーちゃん、って何だよ」
「名前だよ。この探査艇のなまえ。言ってなかったっけ?」
聞いてないよ、とコーラルが叫ぶ前に、ホッパーちゃんが跳んだ。前腕2脚も含めた全脚が伸び、イオンジェットの推進力がプラスされて、ものすごい加速で前方に出る。
「お、お、お、おぉ」
わあ、と叫んだコーラルの声はヘルメットの中にこだました。問題はアイボリーに伝わったかどうかだが、音声リミッターがかかっているから、アイボリーのヘルメットのスピーカーにはさして響かない。
「おま…、おまえ、宇宙速度超えてるだろ、これぇ」
加速が緩むと同時に、コーラルの体が、座席から遊離した。支えるものもなく無重力に戻るコーラルを見て、あ、やべ、とアイボリーがつぶやいた。
ホッパーちゃんから遠ざかるコーラルに向けて、アイボリーが自分の体をぶつけにいった。スラスター全速でアイボリーに近づくとそのまま抱きしめる。
コーラルとアイボリーの周囲の空間が歪み、次の刹那、2人の姿が消えた。
搭乗者を失ったホッパーちゃんは、自動帰還モードに入り、静かにトナカイのそりを目指した。
「まったく、酷い目にあった」
宇宙服を脱いで、食堂の椅子に腰掛けて項垂れるコーラルに、にゅっ、とシェークカップが突き出された。
「ま、これでも飲んで落ち着きなよ」アイボリーがラズベリーシェークを差し出して言う「今回の探検では深い教訓を得た。次も頑張りましょう」
「オマエが言うな」
一喝したコーラルはアイボリーの手からシェークカップをもぎ取ると、ストローに口をつけて一息に吸い込む。
一気にシェークカップの中身を干したコーラルは口をストローから話して、カップをアイボリーに突きつけた「おかわり」
「はーい、同じのでいい?」
「マンゴーにして」注文をつけたコーラルは、新しいシェークを取りに行くアイボリーの背中に向けて罵声を浴びせた「次はオレが操縦するから。いいな? 絶対だぞ」
はいはい、アイボリーは振り向きもせず即答した。




