C240フラーレン型金星監視網、ビーナス、ヒスパニオラに立つ
「240個の観測ポッドを金星に打ち込むんだな」
工場長はユータに最終確認した。
「そうだよ」ユータは雑作無く答える「C240フラーレンの各頂点に当たる位置に摂動をかける。頂点そのものだと相関が強すぎてノイズが乗らないから、頂点間距離をズラして平均偏差を0・2パーセント出す格好になるね」
「・・・」
「これ一個ずつ投入するの?」横からシノノメのお父さんが口をはさむ「240個はさすがに大変じゃない?」
「前にダイオウくんを10000個トンガ海溝に投下したことがある」
「・・・」
「ダイオウくん?」
「深深海底探査ロボット、ダイオウくん」
「ユータが設計して俺が作ったんだ」工場長が胸を張る。
「・・・」
「あ、まあ…。でも、地球の海底と金星表面だと色々と違うのでは?」ガントーは言うが、戸惑いがちだ。
「観測ポッドは金星衛星軌道上に展開してあるから、あとは下ろすだけだし、亜空間転送が使えるからこっちのほうが簡単なぐらいだよ。これから投下を始めても数時間で…」
え? 黙々とコンソールをいじっていたリョージが小さく叫んだ「これ、まだ設置しちゃダメだったんですか?」
ユータは、失礼、とリョージを押し除けてコンソールを操作する「残りは3個…と、すでに転送空間に入ってる。応答の干渉率は0・13? もしかして、これ、手動でやったの?」
「まあ…、月見台でビルさんに大体の話は聞いていたので」リョージは心底すまなそうに言い訳した「…まずかったですかね?」
「あ、いえ」ユータはとくに責めなかった「目標より応答が良好ですし、その…、ありがとうございます」
それなら良かった、と笑顔になったリョージは、後退りで部屋のドアを開けると、変な鼻唄混じりにどこかに行ってしまった。
「何者なんです? あの人?」
ユータに問われたガントーは気まずそうだ「仕事だと思ったんじゃないかな…」
「仕事?」
「なんか、目の前に仕事があると片付けてしまうんですよ。自分の仕事なら何も問題はないんですけどね。他人のまでやってしまう。で、言われて気づく、と。何か特殊な障碍なんじゃないかと…」
「はあ…」
「へぇぇ…」
「あ、私は違いますよ。私はああじゃない」ユータと工場長にじっと見つめられて、慌ててガントーは否定しだした「私はめんどくさくなると早めに手仕舞いするだけです。絶対にああじゃない」
ハツミは2度寝から目を覚ました。
宇宙に来て間もないと言うのに、夫はどこかで仕事を見つけてきて、朝出かけてしまう。
もちろん、夜には帰ってくるし、地球にいたときと何も変わらないのだが、こんなものなのだろうか?
浮気の心配がないだけ快適とも言えるが、ハツミだって一大決心して宇宙まで来たわけである。こうも何も変わらないのでは拍子抜けである。
ーーお散歩でもしてみようかしら
地球では人目を憚ってあまり外出はしなかったのだ。調度も食材も皆、届け物で済ませていた。
ここならそういう面倒はない。
ハツミはクローゼットからシルクのワンピースを取り出して羽織った。腰紐をゆるく結う。
一見、長尺の布に穴を開けてすっぽりと被っただけのようにも見える。
露出が多くて何かと面倒なので、室内でしか着ることがなかったが、ハツミの好きなデザインだった。
ハツミは小ぶりのサンダルをつっかけて、ふわふわと外に出ていった。
お嬢ちゃんたち、と、ベッコウとコーラルを呼び止める者がいる。声にひかれて振り返った2人は驚いた。
宗教画によく描かれている天使みたいな女の人がいた。こんなのに道で出くわしたら、そりゃあ驚く。ちなみに頭の上に輪っかはない。
「貴方たち、シノノメちゃんのお友だち?」
「まあ…」
「知り合いではある」
「そう、良かった」天使は笑った「シノノメちゃんのボーイフレンドのユータちゃん、って知ってる?」
「知ってるけど…」
「ボーイフレンドかどうかは微妙」
「どこにいるかしら?」
あっち、2人はくるりと振り向くと遠くに見える建屋を指差した。
どうもありがとう、天使は礼を言うと、また、ふわふわと進んでいった。
ベッコウとコーラルは天使の後ろ姿を呆気にとられて眺めていたが、やっとコーラルが口を開いた。
「なんだありゃ?」
「終末が近づいたのかもしれない」ベッコウが真顔で言った「世界の終わりを告げる時の魔女か何かよ」
コーラルは時の魔女にあまり興味はなかったが、まあ、似たようなものかもとは思った。
ベッコウ、コーラル、と、また2人を呼ぶ声がする。
声のほうを振り向くとシノノメが息せき切って駆け込んできた。
「ここ、女の人が来ませんでしたか? 男性なら誰でも振り返って2度見するような人です」
「子どもでもガン見するのなら来た」
「歩く災厄みたいなの、白き魔女みたいなの」
「それ、どっち行った?」
あっち、と指差したほうに再び駆け出そうとしたシノノメをコーラルが止めた「あれ、何?」
「ああ、ベッコウとコーラルにも説明しておいたほうがいいですね」シノノメは2人に向き直った「初美伯母さま、シノノメの母の従姉妹です」
「ああ、なる程」
「吉祥の最終兵器か」
「まあ、そんなようなモノです」シノノメはコーラルの言葉に対してとくに否定はしなかった「それじゃ、シノノメはこれで」
形式ばかりに頭を下げてハツミを追おうとするシノノメだが、またコーラルに止められる。
「素性はわかった。でも、そのハツミオバサマとかいうのを何で追っかけてるんだ?」
「ユータのお母さんとリリオンさんに顔合わせしておこうと思ってたんです。それが、いきなりいなくなるし、ただでさえ面倒な人なのに…」
「ユータの母ちゃんもオレのママ上も、もう知ってると思うよ。2人ともめちゃくちゃ勘は鋭いからな。あんな危険物が現れたら真っ先に気づくさ。オレだの眼鏡だのは鈍いから、会うまで気づかなかったけど」
「眼鏡のニブチンで悪うございましたわね」ベッコウが口をとがらせた「そういえば、あの女、ユータ探してたよ」
「何ですって?!」シノノメの顔貌が変わる「早く見つけなきゃ」
「おい、いくら何でも心配しすぎだろ。ユータはまだ子どもだぞ、少なくとも姿形は」
コーラルの手を振り払ったシノノメは、鬼の形相で駆け出した「吉祥の女は、良い男なら、年齢なんか関係ありません。むしろ初美伯母さまなら大好物です」
「あーあ、行っちゃった」
「大丈夫かな? シノノメ」
「大丈夫って、何が?」
「ユータのこと」
「ああ、ユータか」コーラルは鼻をフンと鳴らした「ハツミオバサマの好みなんかしらないけど、少なくともユータはあの女になびいたりはしないよ」
「そうなの?」
「そうだ」コーラルは断言した「ハツミオバサマには母性がまったくない。吉祥でもめずらしいんじゃないのか? ああいう純粋に女々してるのは。そう言うのが良いっていう男もいるけど、少なくともユータはそうじゃない」
「パレアナさんか」
「そうだ。ユータの母ちゃんが凄いから、母親に似たところがないとユータは惹かれないんだよな」
「ユータ、マザコンなの?」
「マザコンはいいぞぉ」コーラルは笑った「実の母親より良くなったら、もうどこにも行かないんだ。でもなあ、それだと圧倒的にシノノメが有利なんだよなあ」




