茶会の部分的再結成と身内の不始末の清算、憧憬が希望に変わるとき
「いきなり何だよ全員で押しかけて」
ティルフィアーービルはそう言うわけだが、言い分とは違って嬉しそうだ。
「そう言うな。俺だって何が何だかさっぱり…」セベレーーシオンの気持ちとしたら、そんなもんだろう。
「金星の観測について教えてくれ」
ボロルマーはいつも直情的だ。ビルはそんなボロルマーに予期せぬ言葉を投げかける。
「ボロルマー、キミのことはなんて呼べばいい?」
「…何って、普通にボロルマーで…」
「そうじゃない、キミの名前だ」
ボロルマーは考えていたが、しばらくして口を開いた「バトトルガがボクの名前だ。ボロルマーは親父の名前。モンゴルではそうなんだ。呼ぶときはルーガって呼んでくれ」
「ワタシはティナ、ティナと呼んで」マルティナ・ファリアスは言った「それで金星は?」
「p Z F T観測を行うんだよ、ティナ」ビルが言う「p Zは複素平面をX Y平面としたときの独立第3軸、プリミティブZ軸だ。このp Zに対してフーリエ変換を行う」
「時間積分じゃないの?」
「違う、p Z F Tでは時間は複素平面の虚数軸に内包される。プリミティブZはそれとは異なる第3軸だ」
「ややこしすぎる」シオンがボヤいた「アイジュマルがいればなあ。…あ、そうだ、アイジュマルだ。ティルフィアはビルだし、オレはシオンだ。アイジュマルはどう呼べば良いんだ?」
「アイジュマルは、アイジュマルでしょ」ティナがつぶやいた「あの子はワタシたちの希望そのもの。他に呼びようがない」
ジャックはどうするんだ? とシオンが皆に訊いてみたが、ジャックはジャックでいいだろ? と異口同音で答えが返ってきた。
「とうとう、ここまで来てしまいましたね」
ハツミさんは我夫に向かって語りかけた。涙ぐんでいるようにも見えたが、その顔は晴れやかに美しかった。
「本当に、ボクを宇宙に連れてくるつもりだったんですね」リョージはまだ学生だった頃の定食屋での出来事を思い出していた。いや、それはあまり正しくはない。リョージはあの時のことを一度たりとも忘れたことはなかったから。
「ええ、その通りです。そして、あなたはずっと約束を守ってくれました。私を愛していると、1日もかかさずに言ってくれましたもの」
「言っているだけではなく、本当に愛していますよ」
「それは、わかっています。でも、言葉にすることが大事なのです。そして毎日言う事、それが呪に一番大事なことなのです」
そうは言うものの、ハツミさんの貌に翳りが見える。
「こちらにくる前に申し上げたとおり、初美ではこれが精一杯なのです。ここはまだ、ぎりぎり地球ですから、吉祥の力の及ぶ範囲です。ここから先は…」
「大丈夫です。ここから先は自分でやります。全て見させていただきましたから」
「本当に?」
「ええ、本当に」
空間が歪んだ。
夫婦は同時にその亜空間の出口に視線を向ける。
少女が横たわった姿勢で床1メートルのところに現れた。と見るや、お尻から盛大に落ちた。
う…、く…、と息もできずに、少女は苦悶の表情のまま仰向けで背をそらす。ようやく息を整えると、ユータさえいれば、こんな目には…、などとブツブツ言いだしたが、目の前の夫婦にハッと気づくと、眉間にシワを寄せつつも、どうにかこらえて立ち上がった。
「初めまして、吉祥東雲と申します。お迎えにあがりました」
「もしかして、シノノメちゃん? シルベちゃんの?」
「はい、そうです」お尻が痛いが、ここは我慢、シノノメは気取られないように平静さを保った「母の従兄弟の初美様、だと長いですね。初美伯母さま、でよろしいですか?」
「ええ、もう、なんとでも」初美は駆け寄って東雲を間近に見つめる「…本当に大きくなって、お母さんの小さいころそっくり」
母そっくり、と言われたシノノメは苦虫を噛み潰したような顔になったが、そんなことはおかまいなしにハツミさんは振り返って夫に告げた。
「リョージさん、シノノメちゃんが連れて行ってくれます。本当の宇宙に」そしてはからずもその双眸から涙がこぼれる「これであなたの望みを叶えてあげられます。長い間、ありがとうございました。これでお別れです」
「何を言い出すんです」リョージには訳が分からない「ハツミさん、一緒に行きましょうよ」
「ダメです」初美は弱々しく嘆いた。涙が止まらない「私は吉祥から離れた身、リョージさんとは一緒には行けません。いままで私を愛してくださった、それだけでもう十分なのです」
「そんな…、じゃあ、ボクも行きません」
「ダメです。いままで頑張ってきたのよ。あなたは行かなければダメ…」
シノノメは、目の前でいい歳をした熟年夫婦がイチャイチャするのを呆気に取られて眺めていたが、しだいにシノノメの父母が娘の前で始終繰り広げるじゃれ合いに重なってきて、すこぶる気分が悪くなった。お尻も痛い。何もかも最悪だ。なんだって吉祥の女というのは、人目もはばからずにこんな恥ずかしいことをするんだ。
「あのですね」シノノメは不愉快を隠そうともしない声で言い放った「一緒に行けないって、初美伯母さま、まさか地球に帰る気でいるんですか?」
「あら」ハツミの涙がスッと引っ込んだ。吉祥なら誰でもできる、嘘泣きですらないのがなんとも、いつでも泣けるし泣き止める、吉祥の女の特技のひとつだ「ダメかしら?」
「ダメに決まってるでしょうが」もちろん手の内を知っているシノノメはそんなことに惑わされない「真昼間に東京都心のマンションが忽然と消失して、その後に持ち主の妻だけが帰ってきたら、タダですむわけがないでしょう?」
「そうかなあ、東京の人はご近所に無関心だから、別に気にするほどのことでも…」
「他にもいろいろやってますよね?」
「え?」
「や・っ・て・ま・す・よ・ね?」
「…はい」
「とにかく、面倒なんで、お二人とも、シノノメと一緒に来てください、いいですね?」
聞きました? 2人いっしょですって。それは素晴らしい。などとまたイチャイチャしそうになったので、シノノメは夫のほうにクギを刺すことにした。
「二瓶亮二さん」シノノメは言った「父からの託けです。桜の散るころ、またお会いできそうで、嬉しい限りです、とのことです」
リョージは満面の笑みで、はい、と答えた。
「面白いですか?」
窓から崖下に流れゆく地表と海を見続けるメリルに、キュービット1Mが声をかけた。
「よくわからない」
「でも、ずっと見てますよ。見納めだからですか?」
「見納め?」
「宇宙に行くんでしょう?」
「行かない」
「どうして? ドゥーマ・アッシャー博士に会いに行くんでしょう?」
メリルはコンピューターの問いに答えようと思いを巡らせた。とても長い時間がかかった。
「教授と一緒にいて楽しかったのは、教授が何でも教えてくれたから」
メリルは声に出して言った。
「教授はいろんなことを教えてくれた。でも、あたしは何も学ばなかった。ずっと勉強しろって言われてたのにしなかった。結果だけを聞いて面白がってた。今回のこともそう。あたしは何もしなかった。ただここまで連れてきてもらっただけ。こんなんじゃ、教授に会ってもまた同じことの繰り返しだ」
「じゃあ勉強すれば?」
「何を勉強すればいい?」
「さあ? そんなことはわからないよ」
「そうだよね。そんなこと、わからないよね」メリルは窓外の景色から目を離し、天井を見つめた「キュービットはこれから何をするの?」
「p Z F T解析」
「それは何?」
「具体的には金星の過去線と未来線を繋ぐ」
「難しそうだね」
「どうだろう? やってみないとわからない」
あたしもやってみたい、メリルは天井に向かって叫んだが、すぐ後、小声で、あたしにできるかな、と付け足した。
「それこそ、やってみないとわからないよ」
「そうだね」メリルは笑った「本当にそうだね」




