コンピューターと深窓の姫君、霞ヶ関から月見台にお引越し
「ようこそおいでくださいました。使いも出さずに直接お越しいただくなど、不調法の至りでございますが、何卒、お目こぼしのほどを」
トーキョーのど真ん中、マンションの一室、絶世の美女が三つ指ついての出迎えに、シオーネ・セベレは絶句していた。
絶句していた理由は、日本美女の出立ちである。
彼女は宇宙服を着ていた。
「そこまで危険では無いのですが、念のためです。サイズの合うものをお召し下さい」
ウォークインクローゼット、なんだろうか? 吊るされた宇宙服とヘルメットとシューズを見繕い、美女に言われるまま装着する。ヘルメットはまだ被らなくて良いと言われたので、右手で持った。左腕にはキュービット1Mとつながっている端末を抱えていたから。
「みなさん、お待ちですよ」
案内されたリビングにはボロルマーとマルティナがいた。あと2人いるが、とりあえず見知った顔を見つけてセベレは安堵した。みんな宇宙服を着ている。
「遠いとこ、ありがとう」ボロルマーが言った「来てくれると思ってたよ」
「まあな、ビル…、いや、ティルフィアにも頼まれたんだ」セベレはティルフィアのことを持ち出した「なんか、えらく忙しいらしくて、手伝ってくれって言うんだよ」
「ティルフィアが?」
「ああ、なんでも金星の観測するのに人手が足りないんだそうだ」
「なんで金星の観測なんか…」
「詳しくはわからんが、とても大事なことらしい、ユータ君に頼まれたそうなんだ」
うーん、と唸って、ボロルマーは腕組みをして黙り込んでしまった。
「お初にお目にかかります。二瓶亮二です」
ソファに腰掛けていた男性が、立ち上がって握手を求めてきた。セベレはヘルメットと端末をテーブルに置き、差し出されて手を握り返した。
「こちらは、メリル・キャンティーンさん」
女性は、こんにちは、と挨拶した。宇宙服を着ている以外は普通に見えた。
「あたしのビジネスパートナーなの」マルティナが口添えした「ドゥーマ・アッシャー博士に会いたいって。それが、こっち側の発端てわけ」
「アッシャー博士? あの天才の?」
「生徒だったの」メリルが言った「あまり良い生徒じゃなかったけど、とうとう教授の単位は取れなかったし」
「それと、私の妻です」そう言ってリョージは先ほどセベレを招き入れた美女を紹介した。
「二瓶初美と申します」ハツミは深々と頭を下げた「今回は夫のリョージにお付き合いくださる形で皆様にご助力願いましたが、どちらかと言えば、今回の件は私、ハツミに関わるものと思し召しください」
「それはどういう…」
とまどうセベレにハツミはニコりと笑んだ。
「ハツミは吉祥家の出です。これで大体はお分かりになるかと」
「ああ、キッショウの…」いつまでも彼女を見つめていると、惹き込まれるように、全てがどうでもよくなりそうだ。あわてて首を振ったセベレはボロルマーに視線を戻した。
「ティルフィアは来てくれって言うけど、俺じゃあ月見台には行けないぞ。この端末だってアイジュマルが設定したものをそのまま使ってるだけなんだ。しかも、こっちに来る前に調子が悪くなってキュービット1Mとも連絡がつかなくなってる」
「そのワンエムさんなんですが…」何故かハツミが横から口を挟んでくる「いま我家にいらっしゃいます」
「何だって?」
「亜空間転送です。ああ、そうですね。ご本人に話してもらったほうが良いでしょう」ハツミは天井に向かって呼びかけた「ワンエムさん、もうよろしいですよ。ご自分でセベレさんにご説明して」
「あ、良いんですか」快活な声が部屋中に響く「やあ、シオン、事前に説明しなくてゴメンね。こっちも急なことでシオンに連絡ができなかったんだ。いまボクはこのマンションの1、2階をぶち抜いて設置されてる。亜空間転送で連れてきてもらった。1階の余ったスペースには発電設備と予備電源が設置されてる。予備電源だけでも2日持つ設計だから、月見台まで行くのには十分だ。シオン、シオン、ちゃんと聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ」
「もしかして、ボクのことまだわからない? ハツミさんが、説明はゆっくりしたほうが良いって言ってたから、ずっと静かにしてたんだ。シオンがマンションにきた時から、ずっと見てたよ」
「わかる、わかるとも」セベレはやっと天井を向いて話す気になった「俺のことを、シオン、って呼ぶやつはキュービット、お前とビルしかいない。俺とお前は友だちだ。その友だちのお前に聞きたい」
「なんなりと」
「俺は、いや、俺たちみんな、月見台に行く。そうなんだな?」
「そうだよ」天井の声は答えた「いつまでもビルを1人にしておくわけにはいかないからね」
「話しをまとめると、あなたがアイジュマルの代わりに、キュービットと一緒に、俺たちを月見台に連れて行ってくれるんだな」
「はい、そうです」セベレの問いをハツミはあっさり肯定した「吉祥は先読みを生業とする一族です。天気見から始まり、天文、地文、人文、この地球上の全てを見越して先読みをして参った一族です。であれば、皆様ご存知の亜空間、あれも地球上に生じる現象のひとつですから、吉祥一族はずっと見続けて参りました。吉祥では亜空間のことを昔からからびなと呼んでおりましたけれど。ですから月見台まででしたら、ぎりぎり吉祥の力が及ぶ範囲です。ワンエムさんのお力添えがあれば、皆様をお連れすることができるでしょう」
「じゃあ、なんでこの端末を持って来させたんだ?」セベレの問いは愚痴というよりは純粋な疑問のようだ「あなたはキュービット1Mと意思疎通ができてるみたいだし、この端末はいらないんじゃ…」
「ああ、そうではないんです」ハツミは端末のディプレイ部を開いて、チャットスクリーンを起動した「ワンエムさんはビルさんとお話しできるんですが、私たちにビルさんのことを仲介できないそうなんです。ビルさんと直接お話しするにはこの端末が必要です」
そういえばそうだった。ビルと話すにはセベレもこの端末が必要だった。
画面に映ったビルの姿に、シオン・セベレは声をかけた。
「よう、ビル、なんか俺たち、そっちに行くことになったみたいだ」
「何言ってんだよ」ビルは呆れ顔だ「もう来てるじゃないか」
ビルの言葉に唖然と立ち尽くすシオンの横を、メリルがすり抜け、部屋の窓に走り寄った。
空はいつもの空だった。でも、地上にトーキョーの高層ビル群はもう無い。マンション7階の窓から見えるのは、一面の草原と、その向こうに見える雲海。雲の合間からは大陸と青い海がかいま見える。
飛行機の小さな窓からしか見たことのない景色が、草原の向こうに広がっていた。
メリルは確信した。そう、ここは空を飛ぶ島。それが月見台の正体だった。
「なんてこった…」シオンの口から驚きの声が漏れる「マンションごと月見台に来たのか」
「当たり前じゃないですか」天井からの声は少し不満げに聞こえた「そうしないとボクが来れませんよ。シオン、まさかボクのこと置いていくつもりだったんじゃないですよね」




