子供たちの成長と周囲の環境についてその1
マルは子供部屋の真ん中でふんぞり返っている。
くじら座τまでの道程をヒスパニオラ星系の生物たちが比較的生きやすいように調整した。
もちろん、いろいろ調整したのだ。
その結果、リリオンの睡眠時間が伸びた。
伸びた、と言っても、最近のリリオンは快調で12時間が16時間に伸びたぐらいである。以前のようにほぼ寝ているわけではない。が、反対にマルはあまり寝なくなった。相対的にマルは暇である。
もうあらかた離乳はすんだので、リリオンが寝ていてもお腹が減って困ることはない。
泣けば誰かがウェハースを持ってきてくれるし、マルはウェハースが大好きだ。
大好きすぎて、涎でぐちゃぐちゃにしたウェハースを、たまたま目の前にいた誰かの口に無理やり突っ込もうとするぐらいである。
もっとも、このぐちゃぐちゃのウェハースをうっかり食べてしまおうものなら、ギャン泣きして大変なことになる。おそらくマルはウェハースを食べた相手を一生許さない。
あと、これは内緒の話なのだが、マルはお腹が空きすぎると、冷蔵庫を開けて常備してあるミルク入り哺乳瓶を勝手に取り出して飲むような赤ん坊である。
突き詰めて言うと、マルに必要なの食料ではなく遊び相手だ。
というわけで、マルは主に子供部屋にいるわけだが、なんだかんだでみんなマルには甘いので、ここにさえいれば、遊び相手にはことかかない。
トッペンは、最近、始終、マルのそばにいる。ユータで慣れているというより、マルは頭が発熱して倒れるみたいなことがないから、ユータの心配をするよりはるかに楽だ。ときどき力いっぱい尻尾を握られたりするけど、別に我慢すればいいだけのことだし…
マルは、あにー、あにー、と呼んでトッペンの毛皮に顔を擦りつける。トッペンはいつものようにマルのしたいようにさせていた。
マルの匂いを嗅いでいると、トッペンの遠い記憶がよみがえる。ずっと昔、ユータに会う前にも、トッペンはずっと誰かと一緒にいたような気がするのだ。
幸せだったのだろうか?
ーー誰が? 幸せだったのは、誰?
トッペンは誰かに呼ばれたような気がして、辺りを見回す。
そんな隙だらけのトッペンを、マルが見逃すハズがない。
トッペンは脇腹にマルの必殺の頭突きをくらい、一瞬、息が止まってひっくり返った。
大の字で仰向けになり、失神するトッペン。
マルは動かなくなったトッペンに驚き、おいおい泣きながらべちゃべちゃの顔をトッペンにこすりつけた。
「感覚時間を引き伸ばしてるの?」
「うーん、まあ、そんな感じだ」
ユータの問いに、博士は曖昧に返事した。
「それってエネルギー上は変わりないよね。何でそんなことしたの?」
「まあ、そうなんだが、生体的な負担は若干減るな。と言うか急激な変化にたいして、生体は反射行動をとるけど、緩慢な変化には慣れてしまって対応が鈍くなる。変化に対応すると生体コストがかかるんで、それがない分、楽にはなる」
「それって、急激な温度変化にあって火傷を防ぐ反射行動を取ると疲れる、みたいな話? ゆっくり温度上げたら低温火傷するだけだと思うけど?」
「火傷しない範囲で温度あげるんだよ」
「気づかないだけで、影響は残るでしょうが」
「まあ、ちょっとは…」
「そんな小手先のことやめて、ちゃんと時間緩和してよ」
「それだと、くじら座τに着くの遅くなるんだが…」
「遅くてもいい。別に急ぐ旅じゃないんだし」
「良いアイディアだと思ったんだがなあ…」
「良くない」
「わかったよ…。そんな怒るな、ちゃんと、やっとく…」
それまで黙って博士を睨んでいたコマチ先生だが、話がすんだとみて、ユータに話しかけた。
「ごめんね。この人、思いついたら、一度はやってみないと気がすまないらしくて」
「それは、わかってるから」ユータはコマチ先生に返事してからシノノメに訊ねた「ヒメコ様、何か言ってなかった。あっちは感覚時間じゃなくて絶対時間で過ごしてるハズなんだけど」
「多少、おかしいかな、とは思ってたみたいですね」シノノメは虚空に向かって何か話しかけている「居候の身なので、とか言ってます。遠慮して、あまり強く言えなかったみたい」
「そんな余計なとこに気を使わなくていいのに…」
ぼやくユータを横目でチラ見しながら、メリルはアルに小声で訊く。
「ねえ、気づいてた? 博士が何かしてるの」
まあぁね、とアルは他人事みたいに言う「でも、注意したってボクの言うことなんか聞かないからね博士」
アタシは気づかなかったんだけど、と前置きしてメリルは重ねて訊ねた「他に気づいてたのは? 誰?」
「ビルは気づいてたな。惑星運航の専門家だし」
「模型だけじゃないの?」
そんなわけない、と、アル「軌道計算に詳しくなけりゃ、あんな模型作れるわけない。量子コンピューターとも仲良いしね。計算手伝ってもらってるかどうかは知らないけど」
「あとは?」
「アイボリーとオールインワンは、さすがに気づいてるだろ。あの2人ごまかしてヒスパニオラを動かすなんてできない」
「それだけ?」
「まさか」アルが声をひそめる「他にもたくさんいそうだよ。障害って言っても軽微だから、みんな無視してただけじゃないかなあ」
「ユータが細かいだけ?」
「そうでもない」とアルは急に真顔になった「ユータは他の人とちょっと違うね。ノーマリィオンで常に全宇宙と共鳴しながら思考してるから、差異には敏感なんだ、と思う。おかしなことになってると、そこだけ浮いて見えるって感じじゃないかな」
「それって、ユータが細かい、ってことでしょ?」
性格のことじゃなくて構造のこと言ってるんだけどなあ、アルは何度か説明を試みたが、メリルにはわかってもらえなかった。
「少し調子良くなった」リリオンが言う「コマチ先生にありがとう、って言っておいて、あと、ユータちゃんにも」
「自分で言ってくださいよ」シノノメがベッドの横からリリオンの毛布を直す。コマチ先生に頼まれてリリオンの薬を持ってきたのだ「こんど連れてきますから、その時にでも言ってください。そのほうが先生もユータも喜ぶと思います」
「うーん、まあ、マルに影響が出てたらスグ言うけど、今回はそうでもないしなあ…」
「マルのことはトッペンが観てますからね。たいていのことはトッペンが何とかしてしまうから目立たないんです。トッペンの手に負えなくてマルにまで影響が出るようになったら、それこそ大事です」
「トッペン、スゴイからねぇ」
「まあ、そうですね」
「でも、それを言ったら、コイントスもメロゴールドもスゴイのよ」
「そりゃ、守護者ですから」
「そう、そうね、そうなのよ」
リリオンはシノノメの顔を見た。細引きの目に薄い眉、紅く小さい唇は、いつかみた日本人形のように本当に美しい。母親とぜんぜん違う美しさだが、性格もこれまたまったく違う。
ーー料理も上手だし、他の家事も一通りこなす。気立てが悪いわけじゃないしで、良い娘だとは思うんだけど…
シルベもどうかとは思うけど、こう、実用一点張りみたいなのもいかがなものか
リリオンは思う。こんな木で鼻をくくったようなので、ユータちゃん大丈夫なのかしら。マルにユータちゃんを真似させようとしたけれど、マルのお嫁さんがシノノメちゃんみたいな娘では困る。
どこかに良いお嬢さんがいるといいんだけど。
リリオンは、シノノメの振る舞いを見ながら、勝手にマルの将来に思いを馳せていた。




