マッハシステム
「やあ、チャオ。はじめまして」
ユータによく似たその人は、そう言ってニッコリ微笑んだ。
「ポイントさん」
チャオは思わず叫んでしまった。
「会えて嬉しいよ。君とはすれ違いみたいにヒスパニオラを出てしまったから」
「くじら座τのほうは安定したんですか?」
「いや、向こうはいまのところ不安定要素はないんだ。分離したこちらのほうが、どちらかと言うと厄介だ」
「そんな…、大丈夫なんですか?」
「もちろん大丈夫だよ。博士とユータがなんとかしてくれるって約束だ」
「ああ、それなら大丈夫ですね」
マルが言うと、それを聞いてポイントが笑う。
「ほんとだよ。もうこっちに来られて、面倒なことはみんなにおまかせできる。よろしくたのむよ。チャオのアニキ」
「えええ、待ってくださいよ。何でボクがアニキなんです?」チャオはアイボリーのアニキを頭に思い浮かべ、必死で頭を振って否定した「アニキなんて絶対イヤです」
「でも、ボクより後で生まれたのは、ここではマルだけだよ?」
「いつから存在したなんてのは関係ないです。ボクがあなたのアニキだなんてありえません。勘弁してくださいよぉ」
ポイントは、ケチ、と抗議したが、チャオが考えを改めてくれそうな気配はなかった。
「ポイント来たって?」
「来たよ」ユータは廊下の奥を指差した「さっき、あのへんでチャオに絡んでた」
「そうなんだよ」アイボリーはプンプン怒っている「なんでチャオに先に挨拶してるんだ。アニキへの挨拶ならアイムに先に来るのが道理ってもんだろう」
「知らないよ、そんなこと」
「何でも知ってるんじゃなかったのか?」
「アニキ…、兄さんなんて、ボクにはいないもの」
「あ、そっか」急にアイボリーは頭を下げた「家庭内の細かい事情を無視した発言、お詫びします」
「べつにいいよ、そんなの…」
「良くないよ。アニキでも、オトウトでも、チャオはアイムのなの」
「ああ、わかった、わかったから、そういうことはポイントに直接言ってくれ」
「もちろん言う。どこにいる?」
「どこって…、学校の講堂にいるよ。あ、消えた」
「へえ、そんなとこにいたのか。あれ? ユータ、ポイントの居場所わかるんだ」
「キミだって、わかるだろ。その髪の毛使えよ」
「あ、そうか、変調かかってるんだ。部分群に落ちてんのか。そうとわかれば」
アイボリーの髪が、ざわ、と逆立つ。扇のように髪の毛を広げたまま、アイボリーは左右に首を動かした。
「あ、いた。おーい、ポイントぉ」
走り出したアイボリー。ようするに、ポイントにかまってもらえなくて、駄々こねてるだけか、まだ逆だったまま揺れるアイボリーの髪を見て、あいかわらずだなあ、とユータはつぶやいた。
「遠くからだと、ボクって、どんなふうに見えるの?」
ポイントはベッコウに訊く。
ベッコウは正面のポイントを見ながらも、困っている「どうって言われても、別に変わんないよ」
「変わらない?」
「遠くでも、近くでも…、だって外見の話してるんじゃないでしょ?」
ああ、そうか、とポイントは理解したようだが、顔はがっかりしている「ベッコウに訊いたらわかると思ったんだよ」
「視えてるけど、説明するのは大変なんだよなあ」ベッコウはしかめっ面で何か考えていたが、不意にポイントに向いて切り出した「ワタシに入ってみる? そしたら、この眼が使えるから、視えるんじゃない?」
「え? いいの? そんなことして」
「ワタシがいいって言ってるんだから別にいいよ。ほら、そこに寝て、こっち入ったとき倒れられたら困る」
「そんなヘマしないよ。全部移すわけじゃないし」
ポイントとベッコウは硬直し、その空間だけ時間が止まったように見えた。でも、それも一瞬。すぐにポイントが動き出した。
「わあ、凄いな。いつも、こんな風に観てるの?」
「いつもな訳ないじゃない。始終こんなことしてたら気が狂っちゃう」
「気が狂う、ってどんな感じ?」
「知らないよ」ベッコウはほっぺをパンパンに膨らます。
「ワタシの気が狂うってのは別にどうでもいい。精神なんかおかしくなったって、とくに不都合はないわけだしね。でも、ワタシの友だちが狂うのは嫌だ」
ベッコウは優しいからね、とポイントが言うと、ベッコウがますます膨らんで破裂しそうになったので、ポイントは慌てて謝った。
ポイントはバオバブのツリーハウスにいた。
マルが最近、ツリーハウスによく居ると聞いたからだ。もちろん、ツリーハウスなので家主のコーラルもいる。
おいんと、おいんと、とマルは寄ってきた。
「仲いいんだな」コーラルが言う。
歳が近いからね、とポイントが言うと、コーラルがヘンな顔をする「歳なんか、みんなたいして変わらないじゃないか」
「いろんなものが、今に向かって準備されてたからさ、みんな歳が近いのは当たり前だよ。多少の誤差は認めないと」
だから、そう言ってるじゃないか、コーラルが言うと、あから、ゆってんしゃん、とマルが真似をする。
「マルは賢いなあ」ポイントはマルを抱き上げ、たかいたかい、した。マルはギャギャっと喜んだ。
「まあ、マルは誰にでも愛想いいからな。ポイントだけ特別って訳じゃない」
「ボクにかまってくれるのは、ここの人たちだけだよ」と、これはポイントからの視点「くじら座τに1人でいたときは寂しかったよ」
「オレも昔はシンタグマメソドロジーで2人きりだったけど」コーラルがめずらしくしんみりした「もう2人きりも1人きりも無理だよ。みんな一緒が良い」
夕映えの中にユータとシノノメがいる。
沈みゆくヒスパニオラbだが、辺りはそれほど暗くはならない。天頂近くに太陽がいた。70天文単位ほど離れた太陽は米粒みたいに小さい。それでも地球から見る月の100倍は明るく、夕暮れの空に一条の光を差し込んでいた。
「ポイントが来ました」あえて太陽から顔を背け、シノノメが言った「もうこれで太陽も見納めですね」
「そんなことないよ」とユータが言う「太陽ぐらい、いつでも見られる。絶対等級は4・8で普通の星だ。ちょっと頑張れば宇宙のどこからでも視える」
「そういうことじゃありませんよ」シノノメは笑う「もう戻っては来ないんです。そういうことです」
「戻りたければ、いつでも戻れる」
「戻りませんよ。シノノメは」シノノメは両手を挙げて、身体いっぱいに風を受ける。ワンピースの袖と裾がはためく。飛んで行ってしまいそうな気がした。
ユータは思わずシノノメを抱きしめた。
「1人で行っちゃダメだ」
「そんなことしませんよ」
シノノメは、また笑う。
「宇宙の果てまで、ってよく言うけど、違う。ワタシたち宇宙の中心に行くの」
「まあ、そうかな」
シノノメはユータのほうに顔を向けた。風になびく髪がシノノメの後ろに後光のように拡がる。水面をはぜる光が髪を透かして煌めいた。
シノノメは美しかった。
「宇宙を回したら、そのあと、どうします?」
「さあ…、考えてなかったな」
「思いついたら、教えて」
「もちろん、いちばん先に言うよ」
「約束ですよ」
「約束する」
もう何度もいろんなことを約束した。
そして、いつでも、どんな望みでも、シノノメの願いはかならず叶うのだ。




