クアオアー
「クアオアー、か」
博士は講堂の大型ビジュアライザーに映る天体を見つめていた。しばらくして満足したのか、傍らのユータに訊ねた。
「降りないのか」
「ちょっと小さいからね」ユータはあまり興味なさげだ「ヒスパニオラaとそう大差ない。ヒスパニオラのほうは重力制御している上にヒスパニオラbが小太陽だし、タイタンとガニメデまで取り込んでるんで、星系全体だと遥かに重いんです。クアオアーに重力制御を入れるとか、まあ方法はなくもないけど、黙って通り過ぎたほうが無難だと思うよ」
「味気ないなあ」
「別にいいよ。行きたいなら行ってきても。仕事さえちゃんとしてくれればね」
「するする、めっちゃ働く、お仕事大好き」
ほんとかなあ、ユータは不審を露骨に顔に出す。もっと頼りがいのある人かと思ってたけど…、いや、頼りがいはある。やることはやってくれるし、信頼もしてるけど。博士もそうだが、あと、シノノメのお父さんとか、最近加わったリョージさんとか、この辺りは名付けようのない不安が常に付きまとう。
「クアオアーは太陽系最外縁と言っても良い。エッジワース・カイパーベルト帯の中で、ほぼ真円に近い軌道を持つ天体はクアオアーぐらいだ。別の言い方をすれば、太陽の重力圏がギリギリ影響を及ぼせる範囲だ。軌道長半径43・7天文単位はダテじゃない」
ーーこういう話だけしてくれれば普通に見えないこともないのに…
何で途中からいい加減になるんだろう、よくわからない。
あまり要点を外して無駄話ばかりしてるとそれで終わってしまう。仕事好きだって自分で言ったんだから、もう仕事してもらおう。
「そろそろポイントへの対応も考えないといけない時期なんだけど…」
「え? そっちはユータがやるんじゃないの?」
「やって良いなら、やるけど?」
「あー、やるやる、冗談だよ。そっちでやられると超空間とのすり合わせが面倒になりかねん。ポイントの個々の点群はデルタ関数みたいなもんでポテンシャルは無限大だがルベーグ積分で有限値を取れる。ただ点が無限にあって、しかも有界ではないから点群全体では無限大になっちまうからな」
「ポイントに頼んで、こっちに来る分だけでも有界にしてもらおうか?」
「いや、そんなことしたら、バランス崩れたときにどうしようもなくなる。有限だと思ってたものが途中で無限大になったんじゃ、制御できん。なあに、そんな難しい話じゃないんだ。何とかするよ」
「じゃあ、お願いするね」そこでユータはもうひとつの案件を思い出した「それから、アルの存在確率が不確定だなんてデマを飛ばすのやめてください。本人、傷つくでしょ」
「ええ? そんなこと言った覚えないぞ」
「博士が出所だってメリルが言いふらしてるよ」
「次元位相が異なる空間接続において再収束が生じたなら収束前の存在確率は発散する、とは言った」
「だから、それはアルに限ったことじゃないでしょう。ここにいる全員そうなんだから。そこを曖昧にしてるから話がややこしくなる」
「そんな、ややこしい話じゃないよ」
「そんな、ややこしい話だよ」
どうせメリルに説明した時はそんな言い方じゃなくて、亜空間に入る前のアルは消えてなくなっちゃたよ、とか言ったんだろう、それぐらいのこと、博士は言いかねない。
コマチ先生が、しょっちゅう博士についてこぼすのも仕方ないとユータは思う。コマチ先生は可哀想だ。
博士を帰して、
ユータは講堂の一方の壁一面で構成されたビジュアライザーに映るクアオアーを見ていた。
ユータだって、本当のところはクアオアーに降りてみたい。水星も行きたかったし。でも、重力均衡や他のスケジュールも考えれば後回しにするのが妥当だ。
ーーどうせ、いつでも来られるし
ユータはそう思っているし、実際そうなのだが、そのいつかは、往々にして、決して来なかったりもするのだ。
ぞろぞろと講堂に入ってきた人たち。
「こんなデッカい画面で見てたんだ」ビジュアライザーに映るクアオアーに嬉しそうな顔を向ける「そんな気になるなら降りればいいのに」
「博士にも言われた」ユータは答えた「気になるのは確かだけど、降りてもすることないからね」
「かけっこでもする?」
「重力は15分の1だし、かけっこしてもたいして楽しくない」
「やりもしないで文句言うのはユータの悪いくせだよ」
まあ、そうだね、ボクの悪いくせだ、とユータはアイボリーの煽りには動じない。
「これからどうすんの?」コーラルにしては珍しくまともなことを訊く。
「ポイントを待ってる」ユータは言った。
「ポイントって誰ですか?」
「ああ、そうだね。チャオはポイントには直接会ったことなかったね」
ユータは簡単にチャオに説明することにした。
「この旅の目的はマッハポイントを中心に宇宙を回すことなんだ。当座の目標だけどね」
「それは、聞きました。バケツを回すのと、バケツが制止したままで、宇宙全体が動くのは一緒なんですよね」
「実際は違うけどね。でまあ、マッハポイントがポイントなんだ。誰かさんが人格付与しちゃったせいで、いろいろあってポイントになった。マッハは別の人の名前だからね。そのままだとポイント可哀想だし…」
「マルと同じなんですよね」
「そうだよ。同じなんだ。あ、マルは途中からマルになったわけじゃなくて、最初からマルだからね。そこは間違えないで」
「わかりました」
あまりにも返事が良いので、本当にわかったのかどうか…。ユータは一瞬、迷ったのだが、チャオのことだ、ほんとうにわかったのだろう。心配は無用だ。
「でさあ、そのポイントなんだけど」ベッコウがひかえめな口調で進言する「ずいぶん、変わったやり方で、こっちに向かってるよね」
「まあ、変わってる、って言ったら、変わってるか」
「ずいぶん、…なんて言うのかなあ、ゆっくり来てる」
「見えるの?」
ベッコウは、ハッとして周りを見回した。バツが悪そうに、うん、と肯く。
「あらためて言うことじゃないかもしれないけど」ユータはやんわりと釘を刺した「コマチ先生にも言われたと思うけど、ほどほどにね」
ユータは、それからみんなに向かって説明をはじめようとした「現在、ポイントの部分群の第2最頻値点は、ここから0・2パーセクほどで…」
「あ、いい、あとはベッコウから聞くから、邪魔したな」
何か言いたそうなアイボリーの首根っこを捕まえて、コーラルは出口のほうに向かった。ベッコウとチャオもその後ろに従った。
「これ持って行かないんですか?」
シノノメだった。
まあね、とユータは適当にはぐらかした。
「タイタンとガニメデよりちっちゃいですよ」シノノメはビジュアライザーに映るクアオアーを眺めながら言う「気に入ったのなら、持っていけばいいのに」
「クアオアーの名前の由来は知ってる?」
「アメリカ先住民トログバ族の創造神です」
「タイタンは巨人の名、ヒュペリオンもそう、ガニメデは給仕の男の子だ。でもクアオアーは神様だし、他人の神様を持ってっちゃ悪いかなあ、と思ってさ」
「ニギ様も神様ですけど、連れてきちゃってますよ」
「あれはヒメコ様のだし…」
「吉祥であるシノノメが言うのもどうかとは思いますけどね」シノノメはいちおう前置きして話しだした「世の殿方は吉祥の女に甘すぎるんです。だから、なんでも思い通りになると勘違いして、母とか、初美伯母様とか、あんなのやら、こんなのやら…、だいたい、始祖さん、ヒメコ様からして、普段真面目そうに取り繕ってますけど、そもそもの吉祥の苦労の始まりはヒメコ様の岡惚れからなんですよ。神様なんかに懸想して、いったい何を考えてるのか、本当に、もう…」
ユータはシノノメの永遠とも思える愚痴を黙って聴いていた。吉祥の女かくあるべし。さすが当代、とシノノメの中の人も自画自賛しているだろう。
一心不乱に述べたてるシノノメに、非礼と思いつつもユータは中を覗いてみた。なるほど、カヨさんはいないみたいだった。




