リターンゴッズトゥゴッド
「あ、来た来た。待ってましたよー」
小さな家の前に着くと、中から勢いよく子供が飛び出してきた。アーノルド・ビザンツは小さな男の子をしっかり抱き止める。額には大きな石の入ったサークレットをつけていた。
「キミがチャオくんだね」
そうですよー、とチャオが言う「全部石から聞いてますよアルさん、ユータさんが言ってました。ボク1人だと心配だから、アルさんと一緒に来て欲しい、って」
「わかった。じゃあ、行こう」
「待って、母さんがアルさんと話したいことがあるんだって、中に入って」
アルはチャオに手を引かれて家に入った。
チャオの母さんは驚くほど若く見えた。東洋人は若く見えると聞いたことがある。
「あの、わたくし…」
アルが、無理して英語話さなくてよいです。とタイ語で言うとホッとした顔つきで、ありがとう、と返してきた。興味津々で母親とアルを見つめるチャオに、少し外で遊んでおいで、とチャオの母さんは言った。
チャオは明らかに不満げだったが、ここでゴネて出発が遅れるようなら、もっと困る。チャオはおとなしく外に飛び出て言った。
チャオと入れ替わりに奥から老人が現れた。
「ビザンツ様、私、この村ではチャオ様の祖父ということになっておりますが、現国王陛下の侍従を長く勤めておったものです」老人は、流暢な英語で語りかけた「ここまで申せば、ビザンツ様には、そして宇宙におられる御方にはチャオ様の秘密などお見通しでございましょう。不束者ではございますが、国王陛下とメカラ様に代わってお詫び申し上げます」
メカラと呼ばれたチャオの母は、一瞬、顔を曇らせたが、自分がタイ語で話すよりは、ビザンツが理解しやすいだろうと思い直し、老人が話すままにさせた。
「国王陛下、サムソク様は、誰よりも弟のジャック様を愛しておいでだったのです。それがサムソク様を曇らせる原因となりました。亡きお父上、前国王陛下に諭され、いったんはジャック様との別れを決められましたが、それでも、ジャック様、そしてなによりジャック様の御母上の血をあきらめきれなかったのです」
「それで、チャオくんを造った、と?」
ビザンツの言葉に老人は遂に慟哭した。己の責務を投げ出すことなく王に仕えてきた身ではあったが、この時ばかりは、感情が律をこえてしまったのだった。
「父を憐れに思し召しください」メカラは思わずタイ語で叫んだ「生まれたチャオ…、チャオ様の瞳を見て、愚かなわたくしたち父娘は天に雷で打たれたかのような思いでした」
王女は、父王の心情と言いつつ、己自身を懺悔した。
「チャオくんを治そうとは思いませんでしたか?」
「父はすぐさまチャオ様に最新の医療を受けさせようとしました」
「あなたは?」
恐ろしかったのです、王女は吐露した「私たちが浅はかにもしでかしたことが禍いとしてチャオ様に降りかかる。チャオ様はジャック様と同じ神の子なのです。これ以上、愚かな人間が手を出せば、チャオ様その御身が危ない」
王女は言いながら震えていた。
「私はチャオ様を連れ、この辺境に隠れました。すがるものは、もはや神しかいない。でも、もしかしたら、それすら間違っているのかもしれない、その恐怖に苛まれながら、ただただ、チャオ様の安息を願って暮らしていました。…でも、でも、ついにその日が来た」
メカラ王女は立ち上がった。彼女は、チャオ様、と我が子を敬愛の思いをこめてそう呼んだ。
「神の岩から戻られたチャオ様の澄んだ瞳、ジャック様に生き写しの目でした。私は爺やにチャオ様を任せ、御父様のもとに参じました。神のものは神に返すべきです。御父様と私は泣きながら抱き合い、チャオ様を神のもとに返すことを決心したのです」
「母さんとなに話したんですか?」
神の岩に向かう道すがら、チャオはアルに訊いた。
「キミの目を治してくれてありがとう、と皆さんに伝えてほしい、と言ってたよ」
「他には?」
「いろいろだねえ。キミがナツメが好き、とかそういうこと…」
「また、そんなこと」チャオは、ぷう、とほっぺをふくらませた「ナツメは嫌いじゃないから食べますけど、別に好きってほどじゃない。他に食べるものないから食べてただけで、もっと美味しいものあったら、そっち食べます」
「え? そうなの」
「はい」
「具体的には何?」
「女神さまにもらったお菓子が…、あれ、すごく美味しかった」
女神さま? とアルが不思議そうな顔をしたので、しまった、とチャオが口を両手で押さえた。
「…ベッコウさん、です。ベッコウさん、ボクが女神さまって言うと、そんなんじゃない、って怒るんですよ。ナイショにしてください」
ベッコウのことを女神さまとチャオが呼んでることを内緒にするのか、女神さまと呼ぶとベッコウが怒ることを内緒にするのか、判然としかなかったが、たぶん両方だろうとアルは思った。
「ベッコウさん、キレイですよね。あんなキレイな女の人は見たことがありません」
アルはチャオに同意した。ベッコウはデザイナーズチルドレンなのだから、およそ美醜というものについてもこの宇宙の最高水準に調整されている。だから、それは、当たり前のことだ。
「ベッコウさんは大きな眼鏡をしています。あの眼鏡でボクの隅々まで覗いているように思いました」
チャオはほんとうに嬉しそうに言う。ベッコウに気にかけてもらったのが、よほど嬉しかったんだろう。
「チャオはベッコウに会いたいんだね」
「はい」とチャオのほおが赤らんだ気がした「あ、でも、もちろん、他の人たちにも会いたいですよ」それからアルの顔を見つめる「アルさんは、誰に会いたいですか?」
「そうだなあ」アルは少し考えた「もちろんユータくんには会いたい。前からずっと気になってたんだけど会ったことないしね」
「すごい人です。なんでもできます」
「そうみたいだね」アルは真剣な表情のチャオにうなずいて答える。もちろん、なんでもできる。チャオを治したのはユータだし、チャオの額のサークレットもユータが作ったものだ「会いたいね。でも、ボクの先生や大学で一緒だった娘にも会いたいなあ。ボクより先に宇宙に行ってるんだ」
「へえ、そんな友だちがいるんですね」
「うん、友だち。友だちと言えば…、インチに会いたいなあ」
「インチさん、ですか…」チャオは記憶の糸をたどる「ベッコウさんのお父さんですよね。でも本当のお父さんではないそうです。ほとんどパパ、だとベッコウさんは言ってました」
「インチに最後に会ったのは、教授が日本に行った時だから、5年前かなあ」
2人のまわりをむせかえるように霧がつつむ。
「この前、行ったときと同じだ」
アルはそっと左手を出して、チャオの右手をつかむ。
「亜空間特有の雰囲気だ。これが見えるのならば、自在に亜空間走路を通っていける」
「でも、どこに出るかはわかりませんよ?」
「それは、その通り」
「どうします?」
「もちろん、先に進むさ」アルはチャオの手をしっかりと握りしめる。チャオもその手を握り返した「ワレワレはずっとそうしてきたのだ。そして、これからもそうする」
空間が溶けていく様を、こんどこそ、チャオはその目でしっかりと見た。
お茶に流したミルクがかき混ぜ棒で混沌から一様に均されるように。
霧だと思っていたのは、空間と粒子がまどろむ中間の容体。
均一な前駆体は合集し、本来あるべきものの姿に帰る。
結実した現実にはチャオがもっとも欲したものが居た。
「まあ、チャオじゃないの。ずいぶん長いことかかったのね。お母さんとは、お話しすんだ?」
女神さまは、そう言って、マルを抱きながら、チャオに向かって微笑んだ。




