リーブアスアローン
NASAの長官室に呼ばれた。
NASA長官とジェット推進研究所(JPL)所長を前にアーノルド・ビザンツは深々と椅子に腰掛けている。クッションの反発力はちょうど良い感じで、椅子を構成するジョイントは利用者の身体にフィットするよう細かく調整できる。惜しむらくは、この椅子に腰掛けるのはこれが最初で最後、ビザンツは未調整のまま、この椅子に腰掛けていなければならなかった。
「で? 御用の向きは?」
ビザンツに促されても、長官はなかなか口を開こうとしなかった。いや、開くことが出来なかったと言うべきか。
ビザンツのほうも、アッシャー教授にならともかく、NASA長官だのJPL所長に敬意を払う必要性を感じなかったので、黙ったまま放っておくことにした。
とまれ、長い沈黙の後に、ようやく長官は言葉をしぼりだした。
「ガニメデとタイタンが消えた」
「その前に金星が爆発してますが?」
間髪いれずに切り返したビザンツ。長官はJPL所長と顔を見合わせて目くばせしたが、所長が応じる気が無さそうなので、しかたなくビザンツに向かった。
「あれは自然現象だ」長官の声は聞き取れるかどうかのギリギリの音量だった「詳細は調査中だ。世界中の天文学者が…」
「詳細なら別世界通信に載ってますよ」
言葉尻を待たぬビザンツの反論に、長官は思わず絶句したが、大きく深呼吸してから、返事した。
「あんなもの、誰も本気で読んでない」
「では、ガニメデとタイタンも自然現象で良いのでは?」
「金星なら、原因不明の爆発、ですむ」JPLの所長がやんわりと間に入った「実際、原因不明なわけだしな。ビザンツ、君は知ってるのかもしれないが、我々は知らない。そういうことだよ」
「それで、ガニメデとタイタンだ」長官は視線を落としてテーブルを見つめている。蟻でも探しているのかもしれない。まさか、ガニメデを探してるわけではあるまい。「ちょいと良い望遠鏡を持っていれば、消えたのはすぐわかる。デジタル望遠鏡でPCからソフト検索すれば望遠鏡はガニメデがあったはずの方向に向く。でも無い。地球上のすべての望遠鏡が故障するなんてわけがない。無いものは無い。大騒ぎだ」
「L1不可視天体というのが、最近までありましてね。ご存知ですか?」
「公式には無いことになっている」
「あれと同じですよ。ガニメデとタイタンが加わって、トロヤ群を構成している。その全体を不可視フィールドが覆っている」
今度は所長からの手助けは入らなかった。長官も理論的な反論のストックは尽きているらしい。
「我々は真相が知りたいんだ。そんなヨタ話しは聞きたくない」
「あなた方に都合の良い真相とやらが、この宇宙に存在すると良いんですけどね」
ビザンツは立ち上がって、ドアへと向かった。もう2人にはビザンツを止める気力はなさそうだった。
「あ、そうそう」ビザンツはドアの前で立ち止まって振り返る「ヒュペリオンも無いんですよ」
「ヒュペリオン?」
「タイタンと軌道共鳴していた土星の衛星です。大きいのに気を取られて、小さなものの観察をおこたるというのは、科学者として感心できませんね」
ベルンシュタインは逡巡していた。
レオナルド・ベルンシュタイン教授という人物の余生についてである。
だから、彼が亜空間走路を通ってきたのに気がつかなかった。
「アーノルド・ビザンツ、くん、か」
「はい、そうです。教授」
そう呼ばれたなら、教授は必ず学生の質問に答えなければならない。学生が教授の質問に答えられないなら、単位を落とすのと同様に、学生の質問に答えられない教授は職を辞するしかない。
「ベルンシュタイン教授」そのことを踏まえてビザンツは教授に質問した「どうして宇宙に行かないのですか?」
ベルンシュタインは大きくため息をついた。それが答えになるとはベルンシュタインも思ってはいなかったが、そうしないと声を出すために呼吸を整えることができなかったのだ。
「ユータ…」教授の声はごぼごぼと聞き取りにくかった「ユータくんと仲良くなれる気がしない。そんな未来が見えない」
「そうですか…」
「君は行くのか?」
教授の視線はビザンツではない何かに向けられているようだったが、それには構わずビザンツは答えた。
「行きます」
その声に、驚いたように、はじめて教授はビザンツを見た。そして気づくと、きわめてはっきりとアーノルド・ビザンツに言った。
「そうか、君は、インチワーニ・ガルベストンの友だちだ」
「そうです」
「そうだ、そうだったのだ」教授の目から涙がとめどもなく流れる。
「パレアナとセドリックに伝えてくれ」ベルンシュタインは心の限りに叫んだ「すまなかった、と。レオンハルト・ベルンシュタインが、すまなかった、と言っていたと…」
ビザンツの姿が亜空間に消える。ベルンシュタインの涙は止まることを知らなかった。
「ぎりぎり間に合いましたね。今日で僕、退職するんですよ。それで議員の秘書になるんです。僕の母方の伯父なんですけどね。まあ、しょうがない。我が家はそんなもんなんです。それで、何が聞きたい? 知ってることは何でもしゃべるよ。メリル・キャンティーン嬢のこと? それとも僕の先輩の二瓶亮二? 弓手頑頭さん? それとも吉祥の恐いお姉さんたちのこと?」
玉置遊座は気でもふれたかのように興奮して、紅潮した顔のままでしゃべり続ける。アーノルド・ビザンツはニコニコしながら、日本経済産業省の総務課長が話すままにさせていたが、彼が力尽きて、深く息を吸い込んだところに、被せるように問うた。
「あなたが言った人全員、いま、どこにいるか知りたくないですか?」
玉置は唖然として、魂が抜けたようになり、口だけが彼の意思にそって微かに動いた。
「…知りたい」
「木星と天王星の間くらいですね。太陽系の中にいる間は不可視シールドを張ったままにするつもりみたいです」
玉置は大きなため息をついた「じゃあ、やっぱり帰ってくる気はないんだろうなあ」
「帰ってくる?」
「自宅の6階建てのマンションごと先輩が消えたときね。やられた、と思って大急ぎで知り合いの業者に頼んで足場だけ入れて囲ってもらったんだ」
「何故、そんなことを?」
「人間なんて、おかしなものでね。急にビルが消えたのが先なのに、平然と囲いを作って放っておくと、ああ、工事かと思って意外とそのままにされてしまう。先輩の気が変わって帰ってきたら、何食わぬ顔で囲いを外そうかと思ってた」
玉置は足下の鞄を開けて、中から薄いファイルケースを取り出し、ビザンツに手渡した。
「これは?」
「先輩の置き土産」玉置はファイルケースを開くことなく中身の説明をはじめた「タイのチエンラーイ県の子供が行方不明になって、しばらくして無事保護された。その子は眼底に癌があって失踪前には白眼だったのが帰ってくると治療済みで、頭に低濃度放射線を発するサークレットをつけていた。彼は帰ってすぐに、王子様は神様になったよ、と村中の人に言って回った。王子というのは、ジャック・ステイ、デザイナーズチルドレンの1人でアレシボ茶会のメンバーだ」
そして玉置は探るようにビザンツの顔を覗き込んだ「いまの話、意味、わかるかい?」
「わかるよ。どうもありがとう」
これで、僕の役目は全部終わりだ、玉置は立ち上がると足下の鞄を持って帰ろうとした。その背中にビザンツが声をかけた。
「終わり、ということもない。アナタはこれから日本の首相になるのでしょう?」
「僕が出てもいない親族会議で決まったからね」玉置遊座は振り返りもせずに答えた「弓手頑頭さんも先輩もいない、小者でどうしようもないが、誰もいないよりはマシだ。面倒だからこいつにしちまえ、ってことらしい。オマケだよ。どうでもよいオマケみたいなもんです」




