エンシャントティールーム
その日の茶室はいつもよりだいぶ賑わっていた。
さすがにベッコウ、コーラル、アイボリーの3人が同席した時ほどではないが、何より始祖さんの気合いの入りようが凄い。始祖さん、いや、最近ではヒメコ様と呼ばれることのほうが多い。シノノメもヒメコ様と呼ぶようになった。
ユータもいつもより凛として座についている。ユータの上座が空いているのは理由があるとしても、隣にガントー、その隣にはリョージがいるので、気を入れずにいるのは難しい。
「まあまあ皆様、そう緊張なさらず」ヒメコ様が言うのだが、そのヒメコ様にしてからがいつもより格がひとつ上がっている。
それにしても、とヒメコ様は言う「これほどに婿様同士が揃うとは、吉祥始まって以来のことにございます。これほどの吉事が起こるとは、この婆には過ぎたこと…」
感極まって泣き出すのではないかと皆、構えたが、そこはさすがにヒメコ様、みだりに醜態をさらすようなことはない。
「あの…、ユータくん」ガントーは小声でユータに問う。無作法は承知の上だが、どうにも確認せずにはいられない「君の隣、陰膳てわけではないよね」
「ちゃんとニギ様おいでですよ」ユータは正面から視線をずらすことなく答えた。それを聞いて、ガントーもリョージも大きくため息をついた。仮にもついこの間まで日本人だったわけで、神と同席というのは心が重い。
ヒメコ様もそうだが、その隣りに座っているシノノメも落ち着かない。今日は見えているというのもあるだろうけれど、ユータの対面に座るシノノメの隣りに2席空いているのが気になるのだろう。あそこが空いているのは、ユータの隣りが空いているのとは別の理由だ。ドタキャンは吉祥のお家芸みたいなものらしく、せっかく婿様が皆おいでなのに、とヒメコ様が小声で嘆くのが気の毒でしかたない。
ふ、とヒメコ様の眉間にわずかにたて皺がよる。目を細め、シノノメに合図を送った彼女は音も立てずに立ち上がって納戸の襖の前に、シノノメは廊下へと出る襖に進んだ。
両者一斉に襖を開けると、中から、ころんと着物姿の女性が一人ずつ転がり出る。こんな状況でも着物の裾が乱れないとは、逆に場数を踏んでいることを褒めるべきなのか…
「あなた方はぁ」場もわきまえず、さすがのヒメコ様も大声で叱咤なされた「ちゃんと席も用意したとお伝えしましたに。そのような真似をこそこそと…、恥を知りなさい。早ように、そのはしたない格好をやめて座に着きなさい」
「と、いうようなことがございましたのよ」
老婦人はそう言って、ころころと笑う。さっきまで美味しくてほっぺが落ちそう、と思っていた杏子のパイが口の中で急に味がなくなったような気がして、コマチ先生の首筋から冷や汗が出た。
籐の肘掛け椅子に座る老婦人は、コマチ先生が見たことのない紫色のワンピースを着ていた。ワンピースに合わせたスカーフをふわりと首に巻いている。ヒメコ様がこれほど洋装が似合うとは思ってもいなかった。
ドゥーマ博士は、コマチ先生のとなりに腰掛けて老婦人と相対していたが、老婦人というよりは、その背後に視線が向いている。一度見識してしまうと、意外と簡単に見えてしまう。教授はコマチ先生に気取られないように、視線を逸らそうとするのだが、ニギ様はその度にウインクなどして気を引こうとする。なんとも、お茶目な爺様である。
コマチ先生のお見舞い、というのが老婦人と後ろの人の表向きの用件であった。ヒメコ様手ずからの杏子パイと紅茶の包みを前に、まさか玄関口でお帰りいただくわけにもいかず、招き入れた2人は緊張したまま、老婦人の話しに聞き入っていた、とこういう次第である。
「ときに」ヒメコ様はおっしゃられた「コマチ先生は吉祥の遠縁、との噂があるようですけれど…」
「そうなんですか?」
驚いてコマチ先生が訊ねると、ヒメコ様は笑いながら優しく首を横に振った。
「言い方があまりよろしくなかった、と思っておりますの。コマチ先生は轍の大伯母の従姉妹の隣家に入ったお婿さんの弟さんのお孫さんですね」
「はい、そうです」
ドゥーマ教授は、ぎょっとして、即答したコマチ先生を見つめた。
「そういうのは普通、縁者とは申しませんから…」
「そうですね」
「でもニギ様は、コマチ先生が我々の眷属だと言うし…」
「そうですか…」
「それで調べてみたのですが…、コマチ先生は、先のこと…、未来のことがわかりますか?」
「わかります」
これまた即答だった。ドゥーマのほうが汗をかきそうだ。
「なるほど、それで…」ヒメコ様は何度も頷いた「コマチ先生も先読みなのですね。それで、ニギ様が…、先読みの資質があるものは皆、似るのです。何故かはわかりませんけど」
ここでヒメコ様は、あらたまって目の前の2人に対した。
「先生方、どうか、あの子たちをお導きください」
せんせいがた、と複数で言われたので、俺もか、とドゥーマも身を固くした。
「シノノメちゃんと、ユータくんを?」
「それと、お友だちのあの子たち、ベッコウちゃん、コーラルちゃん、アイボリーちゃんと、ワンちゃんとヨウムと鬼の子とあの気難しいコンピューターたちを」
「マルちゃんも…」
「それとチャオか」ドゥーマはジャックを王子様と慕う男の子のことを思い浮かべた。それから、視線を背後の者から老婦人に移して、問うた。
「で、あんたは、どうするんだい? ヒメコ様?」
「吉祥の悲願でありました」ヒメコ様は目を閉じる「いびつな形ではあれど、吉祥は永遠を紡ぐ。私どもは子孫を通して長く生き延びた。数百代など宇宙の永きに比べればほんの一時とはいえ、長くその御代を生きながらえて参りました」
「…」
「…」
「…」
「ただその代々に、必ず別れがあったのです。わたくしどもの愛した夫たちは、皆、例外なく去り行きました。吉祥が悪かったわけではない。いや、悪かったかもしれませぬが、少なくとも夫であった方々に落ち度はなかったのです。わたくしたちは先読みです。たとえ、わたくしたちがその力をいくら駆使してところで、夫たちを生きながらえさせることはできない。泣きながら、夫たちを見送りました。そしていつしか、決して滅せぬ恋人、未来永劫寄り添い続ける夫を探し求めるようになったのです」
初美は、本当は初見と書きます。初見自身がその名を嫌って美の字を当てました。理由はわかりませんがあの娘の夫は、どこにも行かぬとわたくしどもの先読みが一致しました。でも信じてはいなかった、初見以外は。だから初見は夫となるひとを捕まえて、わたくしどもの前から姿を消した。
轍は車輪の二すじの跡です。その先には必ず車輪を使うような文明があって、その轍にそって進めば、必ず幸せにたどり着けるのです。轍こそがわたしたちの標でありました。だから、轍と重ねた。そしてガムシャラに死なない者を探した。それで、あの夫ですが、間違ってはいないと思います。轍でなければ、頑頭の妻にはなれないでしょうし、そもそも、並の女なら、あんな者と添い遂げようとは考えもしないはずです。
ーーそして、東雲
わたくしどもはずっと西ばかり見て参りました。先読みの始まりは天の先読み。天気は西から変わるのです。その西ばかり見ていたわたくしどもが見落とした東の空に浮かぶ雲、それこそが東雲にございます。
老婦人の体から湧き起こるように、十重二十重に衣を重ねた古代の巫女のヴィジョンが立ち昇る。それに重なるように武人が優しく手を伸べた。
あたりが光に包まれる。
光というのもヴィジョンであって、実際の光量の増減というわけでもない。心の眩しさが潮のように引くと、目をつむった老婦人が座っていた。
老婦人は目を開く。
「夏夜と申します」彼女は言った「シノノメの中にいたときにお目にかかっておりますから、初めましてではございません。短い間とは存じますが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします」




