ラッキーグリーンモンスター
マルはホニャホニャした赤ん坊をやめて首もすわり、自分の四肢でもって自走するようになった。
夜中は囲いの高いベビーベッドに寝かされているが、朝になると子供部屋の真ん中に作られたベビーサークルに移される。
その朝、
ぺたん、ぺたん、と独特の足音を響かせて、マルを運ぶモノがいた。
緑色の怪獣の着ぐるみは、胴体についた前ポケットにマルを入れて歩く。マルはポケットの中ですやすや寝入っていた。
緑怪獣はベビーサークルに入ると中央に座って、マルをポケットから出して抱っこした。そのまましばらく座っていたが、マルがむずがって伸びを始めたので、ゆっくりマルをカーペット敷きの床に下ろす。
マルがおうおう、と呼びかけるのに緑怪獣はいちいち合図を返す。そうやってドタドタしていると、ユータがベッドから起きてきた。
「おはよう」
ユータの声に、新しい遊び相手が来た、とマルは思ったらしい。マルは手足を不規則に動かして、ユータに突進してきた。
しゃがんでマルを受け止めたユータは、そのまま尻もちを着くように座り、マルを抱っこする。嬉声を上げてユータから逃れようとする赤ん坊を優しく抱え込みながら、ユータは緑色の怪獣の着ぐるみの口の中を覗き込んだ。顔が見えたので、その顔に向かってあいさつした「おはよう」
緑怪獣はユータのあいさつには答えず、両手を頭の横に挙げるとヒラヒラさせた。
怪獣の着ぐるみを着ているときは言葉を話さない。怪獣の中の人なりのこだわりなのかもしれない。
「緑怪獣、ひさしぶりに見た。ボク、その着ぐるみ好きだな。とっても似合ってるよ」
怪獣は照れ隠しなのか、ポリポリと頭をかいた。それから立ち上がると、ベビーサークルをまたぎ越し、ぺた、ぺたん、と、どこかに行ってしまった。
「さっき、緑の怪獣を見た」
ベッコウが言った。
ベッコウはマルを背中にくくり付けている。マルはものすごい速さで這いずりまわるので、追いかけるのが大変なのだ。ベッコウはマルを追いかけるのに疲れると、こうやってオンブすることにしている。マルはもうだいぶ重いので、オンブするのも大変なのだが、追いかけ続けるのよりはマシだ。マルはベッコウがオンブするとおとなしくしている。
「オレも見たー。緑怪獣」コーラルはベッコウの背中のマルにヘン顔してご機嫌をとっている「廊下ぺたぺた歩いてた」
「あの足音、独特だよねー」
「アイム、グリーンモンスター見るの久しぶりだなー。シンタグマメソドロジーで見て以来だよ」
「やっぱり、シンタグマメソドロジーに来てたのか」
「来てた、来てた」
「シンタグマメソドロジーにいるナニカなのかな?」
「ここはシンタグマメソドロジーじゃないですけどぉ」
「そう言えばそうだ。何故、また現れたんだ?」
「シンタグマメソドロジーにいた人に訊いてみよう。あ、ヒトじゃないか、ヒトみたいなもの」
「言葉しゃべるんだし、ヒトでいいよ」
「じゃ、そのヒトに訊いてみよう」
「緑色の怪獣?」
コイントスは太めの首をひねった「聞いたことないなあ」
「お腹のとこにポッケがついてるんだ」
「ぺたん、ぺたん、って扁平足みたいに歩く」
「吠えないし、しゃべらないけど、優しいよ」
「緑の人なら知ってるけど、怪獣は知らないねぇ」
「緑の人?」
「どんな人?」
「何か着てた?」
「シルクハットかぶってスーツ着てた。緑なのは服とシルクハットだよ」
「違うねぇ、人じゃないから」
「怪獣なんだよね」
「そう、怪獣なの」
怪獣は知らないねぇ。とコイントスはすまなそうに答えた。
「緑怪獣?」
「そう緑なの。怪獣なの」
「人じゃないんだよ。怪獣なんだよ」
「シンタグマメソドロジーにいたんだ。いまはここにいるらしい」
「らしい?」
メロゴールドは訝しげな顔をして、胸の前で腕を組んだ。
「ひさしぶりに見たんだよ。今朝みたんだ」
「見た見た。むかしシンタグマメソドロジーにいたのとそっくりなのがいたんだ」
「見た見た。ワタシも見た」
そんなこと言われてもなあ、とメロゴールドも困っている「緑の服着たやつなら見たことあるけど」
「また、緑の服か、シルクハットかぶってた?」
「かぶってたよ」
「じゃあ、一緒のやつか?」
「一緒のやつだ」
なんで、見てないんだろう、と3人が顔突き合わせて話し出したので、メロゴールドはめんどくさそうに言う。
「もう1人いるだろ、シンタグマメソドロジーなら。あれ? 1人? 違うか。1匹、これもちょっと違う」
「まあ、これから行くけど」アイボリーはそう言うものの歯切れが悪い「アレ、めんどくさいんだよ」
「そうそう、無駄にめんどくさい」
「だよねぇ」
わからなくはないけど、メロゴールドは思ったが、口に出したら、もっと面倒なことになりそうなので、黙っていた。
「怪獣? ああ、いたな、しょっちゅう見てた。最近も見た。ぺたぺた歩いてる」
3人は脱力した。まあ、そうだよな。目の前のゾウのぬいぐるみに何を言ったって疲れるだけだ。
じゃ、そういうことで、と3人は切り上げて帰ろうとしたのだが、どっこい、小柄で鼻の短い象は、そんなこと許すハズがなかった。
「シンタグマメソドロジーでしか目撃例のない緑色の怪獣がこの空間にも現れたわけだ。ところが、シンタグマメソドロジーにいたはずのコイントスとメロゴールドはこの怪獣を見たことがない。これには理由がある。シンタグマメソドロジーは中に居る一己の知性体に向けてカスタマイズされる。バディとは言え、本人ではないのだから怪獣を見ることができないんだ。ところが俺の場合は違う。シンタグマメソドロジー内では10万ビットの広帯域毛髪接続でアイボリーと繋がっていたんだ。だからアイボリーが見たものは俺にも見える。そしていったん見たからにはシンタグマメソドロジーと異なるこの空間でも…、おい、待てこら、なぜ俺の話しを聞かない。背中向けてどっか行こうとするな。俺の話しを聞けー」
かいじゅうさーん、と、シノノメは緑怪獣の背中目掛けて体当たりした。怪獣はあまりの衝撃に体制を崩しそうになったが、すんでで堪えて立ち往生する。シノノメは怪獣のモフモフの背びれに顔を埋めて楽しんでいただのだが、背中ごしに怪獣の異変を察知し、背中から降りて前に回った。
「あら、マルを運んでたのね。ごめんなさい」
シノノメが怪獣の前ポッケからマルを取り出すと、何か楽しそうなことが起きそうだと、マルがワクワクしている。
怪獣がマルの前で両手を挙げておどけると、気に入ったのか、マルが、ゲゲゲ、と声をあげて笑う。
マルがごきげんなので、怪獣はマルに見せびらかすように不可思議な踊りを踊る。もちろん、マルは踊りに合わせて、またゲゲゲ、と笑う。
シノノメはマルの笑いも怪獣の踊りもまるっと無視で、マルを抱えたまま、ハイハイ、おねむの時間ですよー、などと言いながらすたすた歩く。
大声で笑い続けていたマルが、糸が切れたようにがくりと頭を垂れた。少し重い、とシノノメが独りごち、そのまま何の躊躇もなく歩いていく。
怪獣は驚いた。前にも同じようなことがあったので、ますます驚いた。
それは2度ない出来事だったはずだ。
「びっくりした。びっくりした」
トッペンが、ぴょんぴょん跳ねながらユータに言う「怪獣に会った。緑色のやつ」
「赤ん坊を入れる袋がある怪獣?」
「そうだよ。オレ、前にも会ったことがある」
「緑色のスーツの人じゃなく? 緑のシルクハットを被った」
「ナニ言ってんだ? ユータ? 怪獣だぞ? 緑の怪獣だ」
「そうだ。トッペン。緑の怪獣だ」ユータはトッペンを抱き上げ、その鼻先に自分の鼻をこすりつけた「あの怪獣は赤ん坊が大好きなんだ。だから現れた。マルが生まれたからね」
「マルが生まれたから、怪獣が来たの?」
「そうだよ。ボクらがお兄さんとお姉さんになったから、だから怪獣がやってきたんだ」




