ホスピタルコリドール
ビルは散歩していた。
砂浜を散策するのは、太陽系の模型用の石を採取するためだったが、正直言って、ヒスパニオラaではそれほどの戦果に浴したことはない。まあ、しょうがない。砂浜も海も急ごしらえだ。幾星霜、風雪にさらされて味が出た小石、みたいなものを求めるのが無理難題というものだ。
それでもビルは散歩する。すべての行動に意味を持たせるのはよろしくないし、それに最近は小石などより、もっと興味のあるものと会えることがあるからだ。
「やあ、小鳥さん」
ビルは遠くの木に向かって声をかけた。その声に応じ、黄緑の羽をはためかせて一直線に飛んでくる鳥がいる。
「今日もお散歩なの? 暇なのね」
ビルの肩に止まったヨウムは、ビルの耳元で囁いた。肩口では近すぎて普通にしゃべったらビルがうるさがると思ったのだ。
「なかなか良い石が見つからなくてね」ビルは正直に答えた。けれども、正直に言ったとして、それが本音とは限らない。
「太陽系の模型作ってるんだっけ?」
「そう、この間、金星を爆破したから、模型の方もそれにあわせて修正しないといけない」
「それは、大変ね」
「それほどでもないよ」
「爆発する前の金星の模型はどうするの?」
「しまってあるよ。ユータが必要になるかもしれないと言ってたから」
「そう」ヨウムは少しがっかりしたようだ「もし不要ならアタシ貰いたかった」
「入り用なら作るよ。少し時間がかかるけど」
「本当?」ヨウムは目を丸くして喜んだ「嬉しいわ。貴方、優しいのね」
「そんなこと言われたことがない」今度はビルが驚く番だった「ボクはずっと陰気で皮肉屋で、他人に褒められたことなんか無かったんだ」
「え? そうなの?」コイントスは不思議そうに訊ねた「でも、貴方の友だちで、貴方を悪くいう人なんて見たことないわよ」
「茶会のみんなはそうだな。それにここの人たちもそうだ」
「貴方の悪口言う人は、みんな地球に置いて来ちゃったのね」
「ああ、そうだ。貴女の言う通りだよ。コイントス」ビルはとても不思議な気持ちになった。この気持ちは初めてではない。ウィリアム・ティルフィアは、ビルになってから、ときどき、こんな気持ちになった。
「ビル、貴方、幸せそうな顔してるわ」コイントスは言った「アタシ、誰かが幸せになるのが好きなの、ずっと昔から、誰かが幸せになるのが、本当に嬉しくて嬉しくて、大好きなの」
「よう別嬪さん」シオンはココヤシを下から見上げ、ココナッツ収穫中のメロゴールドに声をかけた「手伝おうか?」
メロゴールドが答えるより早く、シオンはスルスルと隣りのココヤシを上ってしまった。ココヤシのてっぺんにたどり着くと、隣りのヤシのメロゴールドにウインクしてから、ナタでココナッツの実を落としはじめた。
「へえ、見事なもんだな」メロゴールドは隣りのヤシの木から、誉めそやす「ゴリラより上手いぞ」
「ゴリラは見たことないなあ。トンガにはいなかった」
「そうか、トンガにはゴリラはいないのか」
シオンが一気に実を落としてくれたので、メロゴールドはココヤシから降りて、地面に落ちた実を集めはじめた。シオンが一個取り上げ、器用にナタで半分に割る。ココナッツミルクは一滴もこぼれていない。片割れをメロゴールドに差し出した。
「あ、ありがと」皮の縁に口をつけてメロゴールドがココナッツミルクを飲む。美味しい、と微笑んだ。
「値千金だな」シオンもココナッツミルクを飲んだ。一息で飲み干して、実皮が空になる。
実をカゴに入れる手をとめ、メロゴールドはシオンを見つめていた。不意にその口からつぶやきが漏れた。
「トンガには鬼はいるのか?」
「オニ? なんだそりゃ?」
こう、ツノが2本あって、と、メロゴールドは自分の頭に両手の人差し指を立てて、ツノを作った「あと牙もある」
「ツノとキバか」シオンは腕を組む、目を瞑って考えている「動物か?」
「違うかな。魔物かな?」
「悪魔みたいなヤツか?」
「ちょっと違うか」
「うーん、わからねえ。いないんじゃないかな」
そうか、鬼はいないのか、メロゴールドはポツリと言った。そしてシオンを正面から見据える。
メロゴールドの顔を間近に見て、あらためて、美人だな、とシオンは思う。
「トンガは良いところだな」メロゴールドは言った「鬼がいないし、シオンがいる。トンガは良いところだ」
「えぇー、別にここだってオニなんかいねぇじゃねぇか。ここもイイトコだぞ。ココナッツも旨いし…」
いるんだよ、とメロゴールドはシオンの話しをさえぎった。
「いる? いるって何が?」
ーー鬼が、
この星には鬼がいる、そう言って笑うメロゴールドの口許に、一瞬、牙が見えたように思えた。
それでもシオンは、いや、だからこそシオンは、メロゴールドが美しいと思った。
トッペンは、ユータとシノノメの間で飛び跳ねている。
トッペンが、ユータに飛びつこうとすると、後ろから、トッペン、とシノノメが声をかける。シノノメを向くとユータが、ぱんぱん、と手を叩くので、どうしてもそちらを向いてしまう。ユータが放り投げたボールをシノノメがつかんで高々と揚げる。トッペンは我慢できずにボールに飛びつくが、すんでのところで、シノノメはユータにトス。シノノメに返そうとしたユータはトッペンに飛びかかられて、ボールは大きく外れて草原の向こうに転がっていった。
「元気ね。トッペン」ボールを追いかけて走るトッペンを観ながらシノノメが言った。
「うん、そうだね」トッペンに転ばされたかんじのユータは土埃りをはらって立ち上がる「最近、あんまり遊んであげられないからなあ」
「ユータが忙しくしてるから、トッペンは我慢してる」
シノノメは、トッペンはいい子だから、と付け足した。
そして、ボールを追いかけるトッペンを見て、つぶやいた。
「コマチ先生は自分の名前を思い出した。それなら、トッペンも想い出す?」
「病院の記憶があるうちは大丈夫だとは思うけど」シノノメの問いにユータは答えた「トッペンは滅多にコマチ先生とは話さない。メロゴールドに遠慮してるんだと思う」
「この間、トッペンのなかに入ったときには綻びはなかった。それはそれでおかしなことだけど…」
「コイントスがいつもボクに言うんだ。みんなを幸せにしてあげて」
「それは叶わぬ望み」
「そう、幸せになる者がいれば、幸せになれない者が必ずいる」
「それは、コインの裏表だから、誰よりもそのことをコイントスは知っている」
「だから、コイントスはアタシを不幸にしろと言う」
「それも叶えられない望み」
トッペンがボールを咥えて走って来た。ユータが優しくトッペンを抱き上げる。
「トッペンは幸せかい?」ユータがトッペンに訊いた。
「え? オレ?」とまどうトッペンだったが、とくに何も考えず、すぐさま返事した「しあわせだよ。うん、とっても、しあわせ」
さすがだな、トッペン、ユータはトッペンの頭を撫ぜた「そのとおりだ。みんなで幸せになろう」
トッペンいい子ね、シノノメも寄り添ってトッペンの頭を撫でた。
ーーみんな幸せになる




