青猫と金豹
思いの外、上手にできた。
シノノメは目の前のネコをうっとりと見つめる。
サイアミーズをベースにしたのだが、青い。実はシノノメはネコのことをよく知らない。ビジョンで見たことがあるだけだ。吉祥の敷地内にはネコはいなかったし、シノノメが敷地の外に出ることはなかったから。
だから本当のネコがどんなものなのか、シノノメは知らない。そんなわけで色はシノノメの好きな青にした。
こんな複雑なものを作るのはシノノメは初めてだった。ユータのすることを見ていたから、なんとかなるだろうと思って始めたが、ひとりではちょっと無理だった。工場長に頼もうかと思ったのだが、それだとユータに知れてしまう。別に知られたってかまいはしないのだが、なんとなく嫌だ。父に頼むのは母に知られるから嫌だ。こっちは本当に嫌だ。というわけで、ハツミ伯母様のご主人に手伝ってもらった。秘密にしていただきたいのです、と言ったら、はい秘密にします、と言っていたので、たぶん大丈夫だ。
トッペンも悪くはなかった。足は早いし、軽いからどこにでも行ける。蝶々を追いかけるのは楽しかった。でも…
樫の大木を見つけて登ろうとしたのだ。でも、トッペンの足だとつるつる滑る。幹が登れない。枝にでも取りつけばと思ったが、直接枝に飛び移れるほどの跳躍力はトッペンにはなかった。
だから、ネコが必要だ。爪がある。
シノノメは周囲に意識を飛ばし、再びネコの中に結実させる。もとの身体のほうは吉祥ズがなんとかするだろう。
青い猫は、右の前足を上げ、ひっくり返した。肉球の間から鋭い爪が、ニュッと出る。
ーーこれで良し
青猫は軽々と部屋を跳躍して窓を越え、草原へと駆け出していった。
恐ろしいことになった。
いま、青猫は楡の小枝の先で震えている。
外に出てすぐ楡の大木に向かった。満を持して幹に飛ぶと、ガシッと前足の爪が樹皮にくいこむ。さすがネコの爪。そこから伸びて一番低い枝まで行くと後はあっという間だった。すぐ上の枝に飛び移るのは容易で、息を吐く暇も惜しいほどに、ぴょんぴょんと枝を移って登っていった。最初、楡は枝も太く、青猫程度が乗り移ってもびくともしなかったのだが、枝が細るにつれ少しずつたわむようになった。それでも青猫は登るのに夢中で、ずっと、上の枝しか見ていなかった。
見ていなかったのである。
下を
てっぺんまではまだあるが、飛び移った枝がネコの荷重に耐えかねてゆわんとしなったときである。
シノノメはハッとして移ったばかりの枝にしがみついた。
そして、見てしまった。
楡の大木の根元は遥か下に霞む。
もちろん地面もだ。
シノノメは身を固くし、なおさら強く枝にしがみついた。
普段のシノノメなら別にどうということは無い。亜空間を使えば良いのだ。それで帰れる。
でも、
ネコのシノノメはそういうわけにもいかない。そもそも亜空間走破用の補助装置を身につけていない。おまけにユータもいない。だいたい木に登る程度で普通は宇宙服なんか着ないのだ。
シノノメは、そーっと前足を下の枝にかかりそうなところに伸ばした。ぜんぜん届かない。前のめりになったので、細い枝がたわむ。あわてて手を引っ込めると反動で枝が戻り、大きく枝が揺れ、幹のほうまで揺れた。
シノノメは必死で枝にしがみついた。
落ちたらどうなる?
シノノメは素のカラダに戻るだけ。でも、青い猫はそのまま落ちて地面に激突してぺしゃんこだ。
ーーこんなにかわいいのに、がんばって作ったのに
ーーもったいない
シノノメの身体が宙を飛んだ。
シノノメが飛んだのではない。
首の後ろをつかまれて、枝から引き剥がされたのだ。
首からぶら下げられた格好のシノノメは、ゆっくりと飛翔している。事情がわからないシノノメは手足をバタつかせた。首の後ろをつかんでいるものの締め付けが、ぎゅっと強くなった。
ペシン、と暴れるシノノメの前足が叩かれる。
金色の、しなやかで大きなネコの手。
シノノメは上を見ようともがいたが、首ねっこを押さえられているので頭を上げられない。暴れるたびに前足を叩かれるので、シノノメもあきらめておとなしくなった。
安心したのか、両の手、2本の金色の前脚が大きく前に伸びる。
着地の瞬間、金色に輝く足は地面をしっかりとつかみ、そのままシノノメを抱えるようにして前転した。
金色のお腹をクッションに地面に降りたので、シノノメはびっくりした以外にはこれといったケガはなかった。
地面におりたシノノメは、あわてて飛び退く。
金色の獣は何ごともなかったかのように立ち上がった。
ネコ?
いや、とても大きい。
金色の豹だ。
金の豹は近づくと、舌を出して青猫の鼻を舐めた。くすぐったい、と青猫は思った。
青猫も金豹の頬に鼻先を埋めて匂いを嗅いだ。不思議な匂いがした。
金の豹が頭を下げ、伸びをするように胸を地面につけた。前脚で、トントンと青猫の背中を優しく叩く。
おっかなびっくり、足を伸ばした青猫は、金豹の背に乗ってみた。豹の首の後ろに自分の鼻先を埋め、しっかりと前足を豹の首に巻きつけた。
青猫をおんぶした金豹はゆっくりと歩き出す。
金豹の背中から見る世界は、猫になる前にみたシノノメの世界とほとんど同じ高さで動く。それぐらい豹は大きかった。金豹の背中はしなやかで、乗り心地も良かったから、そのままでも特に悪いことはなかったのだが、豹はとても速く走る、と聞いたことがある。青猫は金豹の耳元で、えるるるぅ、と囁いてみた。
金の豹の四肢が、歩法を変えてゆったりと伸びる。徐々に脚の運びが速くなり、それにつれて肩が上下に動き出した。
スピードが上がり、上下の動きが激しくなる。青猫は振り落とされないよう、豹の首に絡みついた。
豹の走る先に灌木が見える。驚いた青猫は金切り声をあげたが、豹は意に介さず、ますます速度を上げていく。
ぶつかる、っと猫が豹の首の毛に自分の頭を突っ込んだ瞬間、ひらりと豹が灌木を跳び越えた。
跳ぶんなら先に言って、猫は豹の耳に、あうる、あうる、と苦情を並べたが、豹はお構いなしに草原を疾走していく。
素晴らしい速さで草原を滑るように走る豹、じっとしがみついていた猫は、もう手の力が尽きてきて、どうかすると豹の背中から落ちそうになる。
ーーでも、楽しい
豹はまだ走り足りないようだったが、猫のほうがもう無理みたいだった。木陰に寄って猫を下ろすと、自分も寝そべる。猫は疲れ果て、よたよたと豹に近寄ると、そのまま豹の傍にくっついた。
良い匂いがした。
そのまま青猫はすうっと、引き込まれるように眠りに落ちた。
「どうかした? あまり食べたくない?」
ぼーっとしているシノノメに、ユータが訊ねた。今日はお母さんが忙しかったから、夕飯はユータが作った。ハンバーグは好評で、他のみんながおかわりしているから味は大丈夫だと思うのだが、シノノメは半分も食べていない。
「いえ、そういうわけでは…、食べます、食べます」
あわてたシノノメはフォークを取り落としてしまった。しゃがんで取ろうとしたシノノメより先に、ユータがフォークをつかんだ。
「はい、こっち。新しいの使って」ユータが拾ったのとは別のフォークを差し出した「こっちは洗っておくから」
「あ、ありがとう」
ユータが落ちた方のフォークを持って行ってしまったので、シノノメは気を取り直してハンバーグにナイフとフォークを向けたが、やはりあのことが気になってしまう。
あのあと、目を覚ましたら楡の木の根元にいた。金色の豹はいなかった。
夢だった? いや、そんなことはない。
目が覚めた青猫は、自分の前足を裏返して見たのだ。
青猫の爪に数本の金色の毛が絡まっていた。
だから、あれは、ぜったいに夢なんかではない。




