とりかへばや、トッペンはトッペンではない、ということ
「ねえ、トッペン、お願いがあるのだけど」
「なあに? シノノメちゃん」
トッペンはとびきり愛想の良い声をシノノメに返した。もちろん、シノノメにもらったステーキ肉を前足で押さえたままでだ。この肉がトッペンに無理難題をふっかける罠であることは百も承知だが、ユータもママさんもこんな上等の肉はめったにくれない。トッペンの健康を思って、みたいなことを言われるがたぶんウソだと思う。肉はトッペンのものだ。そこは譲れない。
「そんな警戒しなくていいんですよ。これはトッペンがいつも頑張っているご褒美なのだから」
「ご褒美?」
「そう、この間も変な人、中に入れたでしょ?」
「ポイント?」
「そう、ポイント。トッペン、中に別の人が入るとすごく疲れるでしょう?」
「…うん」
「だから、お肉食べて元気出して欲しいの。まだお肉あるんですよ」
そう言いながらシノノメは、バスケットから骨付き肉の大きな塊を取り出した。
ーーまだある
ーーじゃあ、この肉は食べて良い
トッペンは前足で押さえつけた肉に喰らいついた。
ものすごいスピードで食事を終えたトッペンは、最後にシノノメのくれた骨付き肉の、残った骨の部分をガジガジ噛みながらうっとりしていた。骨は乱暴に噛みついてもなくならない。良いものだ。
「それでね、トッペン」
シノノメはトッペンの傍らに膝をついてトッペンの頭を撫ぜる「シノノメは考えたのですよ。トッペンが疲れるのは、この小さな体にトッペン以外の人がトッペンといっしょに入るから、だからトッペンは疲れるのでしょう?」
「そ、そうかな?」
「そうですよ」シノノメは何故かうっとりとトッペンを見つめている「それでね、トッペン。誰かがあなたに入るとき、あなたも誰か別の人の体に入れば良いと思うの。そうしたら、あまり疲れたりしないのじゃないかしら」
「え?」
何かこわい。トッペンは思ったがカラダが動かない。シノノメは優しくトッペンを抱き上げた。
「練習しましょう」シノノメが言い、その双眼が輝いた「あなたの身体は乗り移りやすい。役割上しかたのないことだから、それは我慢してもらうけれど。シノノメも親戚がいっぱい中にいるので、たいへんなのはよくわかります。だからね、トッペン。疲れたら別で休めばいいのですよ。他の身体で…」
シノノメの一言、一言が、ゆりかごのように、トッペンの魂を優しく揺する。眠りに落ちるように、トッペンの意識がどこかに吸われていった。
目覚めとは、ちょっと違う。身体はベッドの上で正座していた。目は開けたままだった。霧散していたトッペンの意識がふたたび凝った。そんなような感じだった。
シノノメの身体の中で、別の意識がトッペンに寄り添ってきた。綿毛に包まれるような感覚だった。トッペンを包む意識が集まって声になった。
ーー優多さんとこのワンちゃん、ようこそいらっしゃいました
ーーあ、ども
寄り添うと言っても傍らにつくわけではない。シノノメの、いや吉祥当代の中に、皆、間借りしているだけなのであって、いちばんそばにといっても、そう感じるというだけに過ぎない。
始祖さんはトッペンに面と向かった。
ーー身体のことはカヨが慣れておりますから、まかせておけばよろしい。ワンちゃんはただくつろいでおれば良いですよ
シノノメはベッドから立ち上がり、部屋を突っ切って窓のほうに歩いていく。トッペンは確かに外が見たいと思ったのだが、シノノメの身体を動かしているのはトッペンではない。トッペンはシノノメがお料理するときに手伝っているカヨさんのことを思い出した。すると、シノノメは両手を胸の横に開き、チョキチョキと人差し指と中指を動かした。
「やっぱり、カヨさん」
トッペンはシノノメの声でしゃべったのに驚いて、思わず手で口を押さえた。でも、すぐに手をほどいて窓の手すりにもたれる。
不思議な感じがした。
トッペンは試しに右手を挙げてみる。簡単にあがった。目の前に手のひらをかざし、しげしげと見つめる。
ーーやっぱりシノノメちゃんの手だ
すると右手がジャンケンのチョキを作って、またチョキチョキと2本の指が動く。トッペンはなんだか楽しくなってきて、左手をグーにした。するとチョキは開いてパーになった。
とりあえず、シノノメの中はそれほど居心地は悪くない。でも、どうしよう? 始祖おばあちゃんはくつろいでいれば良いと言ったけど…
ーーシノノメちゃんの格好でユータに会ったらどうなるかな?
何の気なしにトッペンがそう思うと、シノノメーーカヨさんは小首を傾げ、一瞬、思案げに眉をひそめたが、すぐに顔をあげてドアのほうに歩いていった。
シノノメーーカヨさんは、子ども部屋を出るとすぐ学校に向かった。確かにユータは、昼間、学校で何かしていることが多い。工作室にユータを見つけて、その隣に立った。
トッペンは、どうしたら良いのかわからず、あせった。確かに、どうなるかな、とは思ったわけだが、だからといって、実際にユータの前に連れてこられたら、困る。
ユータは何かの機械を一心に組み立てていた。何の機械? と訊いてみれば良いのだろうが、どうしても声をかけられない。
ーーいま話したらシノノメの声になるから
小さなネジを締め終えたユータは、一息つくと顔を上げた「できた。もう遊べるよトッペン。何して遊ぶ?」
「遊ぶ? 遊ぶ? かけっこ、かけっこしよう」
思わず叫んだシノノメートッペンは、あわてて口を押さえた。
「何で? 何でわかった。ユータ。トッペンだよ?」
「うん、トッペンだよ。何が、何で? なの?」
ユータはわけがわからない、といった顔だ。
「でも、いま、シノノメの格好だよ?」
「確かにそうだけど…」ユータはシノノメートッペンの頭から足先まで視線を流した「シノノメごっこでもしてるのかと思ったんだよ」
「シノノメごっこ? 何だ、それ?」
「聞きたいのはこっちなんだけど…、じゃあ、なんでシノノメの格好っていうか、シノノメの中に入ってるのさ?」
「シノノメちゃんが、そうしたほうが良いって、いつもオレに誰かが入って、疲れて大変だろうから、トッペンも誰かに入って楽したほうが良いって?」
「それで、シノノメは?」
「…知らない」
「なるほど、だいたいわかったよ」ユータは微笑んだ「まあシノノメの言うことも一理あるか」
「シノノメちゃんは肉くれたんだよ」
「肉?」
「うん、おっきいステーキ肉と、骨付きの羊肉。疲れてる時は肉食べるのが良いって」
ははーん、とユータが何か考えてる風な顔つきになった「肉、おいしかった?」
「おいしかった」
それは良かった、とユータが言った。とりあえず、良くなったみたい。トッペンはさっきユータに訊こうと思ったことを訊いてみた。
「それ何の機械?」
「プラズマ捕集装置」ユータは言った「太陽周りの高エネルギープラズマを集める。うまく動いたら工場長にたくさん作ってもらう」
「たくさん、って何個?」
「30万個くらいかな」
「へええ、それで? それで? プラズマを集めてどうするの?」
「ちっちゃい太陽を作るんだよ」
「お日様作るんだ、へええ」
トッペンがしきりと感心するので、なんだかユータも嬉しくなった。
「あ、トッペンだ」鳥の目は良い。遠くまで見える。コイントスはトッペンに声をかけようとした「おーい…」
待って、とメロゴールドがコイントスを止める。ゴリラも目が良い。遠くが見える「ありゃ、トッペンじゃないな。うん、トッペンじゃない」
「じゃあ、何だっていうのよ? このへんであんな小型犬、トッペンしかいないじゃない」
「よく見てみなよ」メロゴールドはコイントスをいなす。
「よく見ろったって、あんなもの、トッペンしか…」メロゴールドに言われたコイントスはしばらく目を凝らしていたが、しばらくするとクチバシを開いた「…違う」
小犬は白い蝶を追って飛び回っている。飛び上がりながら前足をパチンと合わせて捕まえようとするが、ひらりひらひらと蝶にかわされてしまう。それでも小犬は、ひっしで蝶を追っている。
「笑ってる。あの犬」
「そうだ。笑ってるんだ。トッペンはあんな笑い方しないし、そもそも蝶に興味がない」
「じゃあ、あの犬、誰よ?」
「シノノメだろう」
「シノノメ?」
「だって、あの笑い方は独特だからな。なんの憂いも屈託もない笑顔だ。吉祥の女ぐらいしかあの笑い方はできない。となれば、あんなことするのはシノノメぐらいだろ」




