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二 乾隆六十年、正月 四川・達州

煙が上がっていた。

山の中腹から、黒い煙が細く立ちのぼっていた。炭窯から出る煙ではなかった。もっと濃く、もっと黒かった。木材が燃えるときの煙だった。

徐天徳は斧を持ったまま立っていた。

村から一里半ほど離れた山の中で、夜明けから木を割っていた。松の原木を縦に割り、長さを揃え、窯に入れる準備をしていた。日が中天を過ぎたころ、ふと顔を上げると煙が見えた。最初は遠くの焚き火かと思った。しかし次第に太くなった。次第に黒くなった。場所がわかった。方角がわかった。自分の家だとわかった。

走った。

斧を手にしたまま走った。山道を駆け下り、沢を飛び越え、畑の畦を踏み越えた。息が切れた。構わず走った。着いたときには、すでに屋根が落ちていた。

茅葺きの小屋だった。父が建て、父が死んでから徐天徳が引き継いだ小屋だった。四十年近く、雨をしのぎ、風に耐え、春も夏も秋も冬もそこにあった小屋だった。それが今、板壁が炭のように黒くなり、崩れかけていた。

妻が庭先に座っていた。

膝の上に何も持たず、ただ燃える家を見ていた。顔に煤がついていた。髪が乱れていた。泣いていなかった。

「誰がやった」

徐天徳は妻の隣に立った。

「役人だ」

妻は家を見たまま答えた。声に抑揚がなかった。

収税の役人が来たのは午前中のことだったと妻は言った。三人来た。帳面を持ってきた。今年の税に加え、去年の未納分がある、と言った。妻は払えないと言った。去年はきちんと払ったと言った。役人は帳面を見せた。数字が書いてあった。妻には読めなかった。役人は、払えないなら物で納めろと言った。家の中を勝手に探し始めた。米の甕を持っていった。冬に備えて蓄えていた干し肉を持っていった。農具を持っていった。それでも足りないと言った。残ったものを庭に積み上げ、火をかけた。燃えるのを見届けてから、家にも火をかけた。

最後に役人は言った。

来月までに残りを払え、と。

徐天徳は斧を地面に置いた。手が震えていた。走ってきたからではなかった。

達州の山中で炭を焼いて三十年になる。父から教わり、父が死んでから一人でやってきた。山の木を伐り、窯に積んで焼き、炭にして麓の町へ運ぶ。それだけの暮らしだった。裕福ではなかった。しかし食えた。妻と二人、子はいなかったが、それで十分だと思って生きてきた。

税が上がり始めたのは十年ほど前からだった。最初は少しだった。だから払った。翌年また少し上がった。また払った。取り立てに来る役人の数が年々増えた。来るたびに帳面の数字が変わっていた。去年払ったはずの分が、今年になって未納だと記録されていることがあった。抗議すると帳面を突きつけられた。確かに数字があった。ただし徐天徳の覚えている数字とは違った。

どちらが正しいか。

帳面を持っている側が正しかった。この国では、字を読める側が正しかった。

「どこへ行った」

「北の方へ」

役人たちが帰った方角だった。徐天徳は斧を拾い上げた。

「やめなさい」

妻が初めて徐天徳を見た。

「追いかけてどうする。あの人たちには後ろがある。役所がある。官軍がある。あなた一人が斧を持って行ったところで」

妻は続きを言わなかった。続きを言う必要がなかった。

徐天徳は妻を見た。煤のついた顔の下に、疲れがあった。今日始まった疲れではなかった。十年分、あるいは二十年分の疲れだった。それがずっとそこにあったのに、自分は見ていなかった。

斧を下ろした。

二人は燃え残った家の前に並んで座った。日が傾き始めた。炎はすでに小さくなっていた。板壁の残骸が時おり音を立ててはぜた。山の奥で鳥が一声鳴いた。

「趙のところへ行く」

しばらくして、徐天徳は言った。

「趙さんか」

妻は少し間を置いた。

「あの男なら何か知っているかもしれない」

趙というのは、山の北側に住む男だった。年は徐天徳より十ほど上だった。炭焼きではなかった。行商でもなかった。何をして食っているのか、近所の者はだれも知らなかった。しかし飢えている様子はなかった。時おり見知らぬ者が訪ねてきた。泊まっていくこともあった。来る者も去る者も、みな静かだった。

去年の秋のことだった。山で木を伐っていると、趙が通りかかった。珍しいことだった。趙が山に入るのをあまり見たことがなかった。二人は言葉を交わした。天気の話、炭の値の話。たいした話ではなかった。別れ際に趙は言った。

困ったことがあれば来い、と。

あのとき徐天徳は笑って聞き流した。困ることなど、そうそうないと思っていた。

妻は何も言わなかった。止めなかった。それが答えだと思った。

日が山の向こうへ消えた。空が赤く染まり、雲の端が橙色に輝き、やがてすべてが暗くなった。徐天徳は立ち上がり、斧を担いだ。

「戻ってくる」

「わかってる」

妻は答えた。家の残骸を見たまま、それだけ言った。

徐天徳は山道を北へ歩き始めた。星が出ていた。風はなかった。一歩ごとに地面が固く鳴った。焦げた匂いが、しばらくの間、後ろからついてきた。

半刻ほど歩くと、灯りが見えた。

山の斜面に小さな家があった。窓から黄色い光が漏れていた。徐天徳は立ち止まり、斧を握り直した。それから歩いた。戸を叩いた。

中で人が動く気配がした。

戸が開いた。

趙が立っていた。徐天徳を見た。顔色を変えなかった。まるで来ることがわかっていたような顔だった。

「入れ」

それだけ言った。

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