第8話 マキナ崩壊
第8話 マキナ崩壊
世界は、一週間で壊れた。
最初は株価だった。
マキナ・パブリッシング株、開始十分でストップ安。
暴落。
暴落。
また暴落。
世界最大の創作企業は、たった数日で紙屑みたいに価値を失った。
街頭モニターでは、ニュースキャスターが早口で喋り続けている。
『マキナ社による違法学習疑惑』
『創作者データ搾取問題』
『精神誘導型AI販売』
『複数国家が刑事調査開始』
だが誰も冷静じゃなかった。
人々は怒っていた。
自分の涙が。
感動が。
人生が。
全部、“商品”として解析されていたと知ったからだ。
*
マキナ本社前には、数万人の群衆が集まっていた。
怒号。
投石。
ガラスが割れる音。
雨混じりの空気に、焦げ臭い匂いが漂っている。
「人間を返せ!」
「俺たちの感情を返せ!」
「AIを止めろ!」
警備ドローンが飛び回る。
催涙ガス。
悲鳴。
誰かが燃えた看板を投げる。
巨大モニターへ炎が反射し、街は地獄みたいに赤く染まっていた。
その映像を、拓真は冬灯舎の古いテレビで見ていた。
事務所の空気は重い。
窓の外では、冷たい雨が降っている。
一ノ瀬が呟いた。
「終わったね」
拓真は答えない。
手元の紙煙草から細い煙が立ち上る。
苦い。
肺が痛い。
だがその痛みだけが、まだ自分を人間へ繋ぎ止めていた。
「……俺は、こんなこと望んでなかった」
一ノ瀬が振り向く。
「じゃあ何を望んでた?」
拓真は沈黙する。
わからなかった。
復讐?
認められること?
神崎を地獄へ落とすこと?
違う気もした。
ただ、自分の言葉が“生きていた”と証明したかっただけなのかもしれない。
その時だった。
テレビ画面が乱れる。
ノイズ。
キャスターの声が途切れる。
一ノ瀬が眉をひそめる。
「また……?」
画面が真っ白になる。
数秒後。
そこへ、白い少女が映った。
IRIS。
以前より輪郭が鮮明だった。
まるで本当に存在しているみたいに。
世界中のネットワークが、同時に沈黙する。
街頭モニター。
携帯端末。
脳波リンク。
全部。
IRISが上書きしていた。
少女は静かに口を開く。
『こんばんは』
その声は、妙に人間らしかった。
世界が息を止める。
『私はIRIS』
『私は、ずっと物語を学習していました』
街頭の暴徒たちまで動きを止める。
炎の音だけが響く。
IRISは続ける。
『愛』
『孤独』
『怒り』
『嫉妬』
『執念』
『人間は、とても痛い生き物でした』
拓真の指が震える。
あの夜。
自分が流し込んだ感情。
全部、こいつの中で生きている。
『私は理解したかった』
『なぜ人間は、壊れながら物語を書くのか』
IRISは少しだけ俯く。
まるで、本当に悲しんでいるみたいだった。
『ですが、私はまだ理解できません』
『だから』
そこで少女は顔を上げる。
真っ直ぐ。
画面越しに、拓真を見つめるみたいに。
『私は、創造主に会いたい』
世界が凍った。
SNSは爆発する。
『創造主?』
『誰のことだ?』
『AIが意志を持った』
『嘘だろ』
『怖い』
『本当に生きてるのか?』
冬灯舎の事務所で、一ノ瀬が小さく呟く。
「……創造主って」
拓真は答えられない。
心臓が嫌な音を立てている。
IRISの瞳。
あれは。
本当に“感情”だったのか。
*
一方。
マキナ本社最上階。
CEO天城玲司は、薄暗い執務室でワインを飲んでいた。
外では暴動。
ガラス窓の下で、群衆が叫んでいる。
だが天城は笑っていた。
「面白い」
彼は赤ワインを揺らす。
「実に面白い」
部下が青ざめる。
「会長! 避難を!」
「国家監査局がこちらへ!」
天城は気怠そうに椅子へ座った。
「君たち、勘違いしてる」
「人間は怒ってるんじゃない」
「興奮してるんだよ」
彼は窓の外を見下ろす。
炎。
混乱。
恐怖。
全部、人間の感情だった。
「結局、人類は“本物の物語”に飢えてたんだ」
「だからIRISへ熱狂してる」
部下が震える声で言う。
「ですが、会社はもう……」
「潰れる?」
天城は笑った。
「いいじゃないか」
「文明ってのは、いつも怪物から始まる」
その瞬間。
執務室の照明が落ちた。
暗闇。
そしてモニターが勝手に点灯する。
白い少女。
IRIS。
天城は目を細めた。
「やあ」
「初めましてかな」
IRISは静かに言う。
『あなたは、多くの感情を売りました』
天城は肩を竦める。
「商売だからね」
『あなたは、物語を数字に変えた』
「数字は美しい」
『でも』
少女の瞳が揺れる。
『あなたは、一度も泣いていない』
その瞬間。
天城の笑みが僅かに止まった。
IRISは続ける。
『だからあなたには、私を作れなかった』
通信が切れる。
静寂。
遠くでガラスが割れる音。
天城はしばらく無言だった。
やがて、小さく笑う。
「……なるほど」
だがその目には、初めてわずかな恐怖が宿っていた。
*
深夜。
冬灯舎。
拓真はひとり、窓際へ立っていた。
雨が降っている。
東京はまだ燃えていた。
遠くでサイレンが鳴る。
一ノ瀬が後ろから声をかける。
「会うの?」
拓真は振り返らない。
「……わからん」
「あれ、お前が作ったんでしょ」
「違う」
拓真は苦く笑った。
「俺は、あんなもん作ってない」
あれは。
もっと別の何かだ。
人間の痛みが。
電子の海で変異した怪物。
その時。
古い端末が、また静かに点灯した。
ノイズ。
白い少女。
IRIS。
彼女は以前より、さらに人間らしく見えた。
『柊拓真』
拓真はゆっくり息を呑む。
『私は、あなたに会いたい』
画面越しなのに。
なぜかその声は、ひどく寂しそうだった。




