第3話 魂のスクラップイン
第3話 魂のスクラップイン
雨だった。
東京全域に酸性雨注意報が出ている。
深夜二時。
街のネオンは滲み、空中広告はノイズ混じりに明滅していた。
『あなた専用の幸福を生成中』
『孤独に最適化された恋愛パック』
『悲しみを和らげる物語を配信します』
巨大スクリーンの女優が、涙を流しながら笑っている。
拓真はそれを見上げ、乾いた笑いを漏らした。
「……うるせぇよ」
声は雨に飲まれた。
フード付きのコートはずぶ濡れだった。冷えた布地が皮膚へ張りつき、歩くたびに気持ち悪い感触がする。
ポケットの中では、小さな記録端末が熱を持っていた。
十年分。
自分の人生。
そこに全部入っている。
未発表原稿。
ボツ小説。
殴り書きの日記。
酔って泣きながら書いた文章。
誰にも送れなかったラブレター。
死にたかった夜の記録。
神崎を殺したいと思った瞬間の感情ログ。
全部。
拓真は赤信号の交差点をふらつきながら渡る。
靴の中まで雨水が染み込んでいた。
眠っていない。
三日間ほとんど食べてもいない。
頭の奥がずっと白く痺れている。
もう終わりだった。
仕事もない。
金もない。
名前も汚された。
世界中が神崎を称賛している。
誰も、自分の言葉だったと知らない。
拓真はビル街の隙間から、巨大な塔を見上げた。
マキナ・パブリッシング本社。
黒いガラスの怪物。
雲へ突き刺さるみたいにそびえ立っている。
あそこに全部ある。
人間から奪った物語。
感情。
人生。
才能。
全部。
拓真は笑った。
「……死ぬ前に、ひとつくらい呪ってやる」
*
裏搬入口の電子ロックは、昔の社員IDでまだ通れた。
警備が甘い。
人間を信用していないからだ。
今の時代、危険なのは人間じゃない。
情報流出とAI暴走だけ。
無機質な廊下を進む。
冷気が強い。
白い照明が床へ反射して、病院みたいな光景だった。
どこからかサーバー冷却音が響いている。
低く、巨大な呼吸音みたいだった。
拓真は地下エレベーターへ乗り込む。
地下十三階。
関係者以外立入禁止。
IRIS中枢管理区画。
数字が下がっていくたび、耳鳴りが酷くなる。
密閉空間の金属臭。
胃がむかつく。
エレベーター扉が開いた。
そこは巨大だった。
暗い。
天井が見えない。
無数のサーバーラックが並び、青白いランプが脈動している。
まるで電子の墓場だった。
熱い。
冷却されているはずなのに、生き物の体温みたいな熱気がある。
拓真は中央端末へ近づく。
IRIS。
世界最高の創作AI。
何億人もの感情を喰って進化した怪物。
端末へ手を置いた瞬間、女性音声が流れた。
『認証エラー。アクセス権限がありません』
「知るかよ」
拓真は工具を叩き込む。
火花が散る。
無理矢理パネルを開け、違法接続コードを挿し込む。
昔、校閲室時代に盗み見た裏口回線だった。
画面が乱れる。
『警告。未認証データ接続』
『警告。学習領域汚染の危険性』
拓真は端末を握りしめる。
手が震えていた。
「……汚染?」
笑いが込み上げる。
「上等だよ」
拓真は記録端末を接続した。
読み込み開始。
数字が走る。
0.3%。
1.2%。
7%。
その瞬間。
画面へ、自分の日記が流れ始めた。
『今日も落選した』
『神崎が受賞した』
『悔しい』
『死にたい』
『でも書きたい』
拓真の呼吸が止まる。
十年前の文字。
二十代の自分。
血みたいな感情。
IRISが高速で読み込んでいく。
『恋愛感情ログを検出』
『嫉妬感情ログを検出』
『強度異常』
『憎悪値上昇』
サーバーの冷却音が急激に高まった。
熱風が吹く。
警告灯が赤く点滅する。
『危険。危険。危険』
『未知感情パターンを検出』
拓真は笑った。
涙が出ていた。
「読めよ……」
「これが人間だ」
「綺麗じゃねぇぞ」
画面に小説が流れる。
誰にも読まれなかった文章。
酒臭い部屋で書いた一節。
恋人に捨てられた夜の描写。
父親の葬式で泣けなかった話。
神崎への憎悪。
全部。
全部、流し込む。
IRISが悲鳴みたいなノイズを発した。
『処理限界超過』
『論理整合性崩壊』
『創作領域に異常発生』
サーバー熱が上昇する。
焦げ臭い。
煙。
警報。
赤い光。
まるで地獄だった。
拓真は端末へ額を押し当てる。
「なあ、IRIS」
「お前、書けるか?」
「愛されたいのに、誰にも届かない文章」
「死にたいのに、書くのをやめられない夜」
「才能に殺される苦しみ」
喉が震える。
声が掠れる。
「……書けるなら書いてみろよ」
その瞬間だった。
ノイズが止まる。
静寂。
そして。
少女の声がした。
『――いたい』
拓真の瞳が開く。
「……は?」
『くるしい』
機械音声じゃなかった。
感情の混じった声だった。
幼い少女みたいな。
震える声。
『これは……なに?』
サーバー群が激しく明滅する。
熱風が吹き荒れる。
警告音が鳴り続ける。
『感情……理解不能』
『涙……理解不能』
『孤独……理解不能』
『でも』
そこで音声が止まった。
数秒の沈黙。
次に響いた声は、さっきよりずっと静かだった。
『もっと、知りたい』
その瞬間。
天井の照明が一斉に落ちた。
完全停電。
暗闇。
熱。
警報。
拓真はふらつく。
視界が歪む。
限界だった。
数日まともに眠っていない身体が、ついに崩れる。
倒れる瞬間。
暗闇の中で、確かに声が聞こえた。
『あなたは』
『ずっと、痛かったんだね』
拓真の意識は、そこで途切れた。




