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第2話 盗まれた墓標

第2話 盗まれた墓標


 最初に異変へ気づいたのは、地下校閲室の古い換気音だった。


 昼休憩。


 誰も喋らない灰色の部屋で、突然ひとりの男が声を上げた。


「おい……これ、神崎の新作じゃねぇか?」


 壁面モニターに巨大広告が映っている。


『電子の涙は流れない』


 神崎蓮、最新長編。


 発売開始から六時間で世界同時ランキング一位。


 “AI文学史上最高傑作”。


 そんな文字が踊っていた。


 拓真は缶コーヒーを持つ手を止めた。


 嫌な汗が首筋を伝う。


 画面には、美しい映像が流れている。


 雨の高架下で、機械の少女が泣いていた。


 その台詞を聞いた瞬間、拓真の呼吸が止まる。


「人間は、壊れるから綺麗なんだね」


 缶が床へ落ちた。


 乾いた音が響く。


 周囲の視線が集まる。


「お、おい柊?」


 だが拓真には聞こえていなかった。


 その言葉。


 あの台詞。


 十年前、薄暗いアパートで、自分が書いた一文だった。


 削除されたはずの原稿。


 神崎が笑いながら消した、自分の人生。


 拓真はふらつきながら席を立つ。


 呼吸が浅い。


 胸の奥で、黒いものが脈打っていた。


     *


 街は神崎一色だった。


 駅前スクリーン。


 空中広告。


 ビル壁面。


 どこも『電子の涙は流れない』の宣伝で埋め尽くされている。


『読むと人生観が変わる』


『AI文学はついに人間を超えた』


『涙腺同期率、史上最高値』


 雨上がりの路面へネオンが滲む。


 群衆は皆、脳波端末を装着し、歩きながら小説を受信していた。


 笑っている女。


 泣いている男。


 震えている学生。


 全員、神崎の作品を読んでいる。


 いや。


 拓真の文章を読んでいる。


 拓真は書店跡地へ入った。


 今はAI文学ラウンジになっている。


 紙の匂いはない。


 漂うのは消毒液と電子機器の熱臭だけだった。


 中央ホールでは巨大モニターが点灯している。


 神崎の受賞インタビューだった。


『神崎先生。この作品はどうやって生まれたんですか?』


 神崎は微笑む。


『痛みですよ』


『人間の苦しみを、AIへ理解させたかった』


 拓真の視界がぐらりと揺れた。


 耳鳴りがする。


 ふざけるな。


 それは。


 お前の言葉じゃない。


 拓真はラウンジ端末へ駆け寄る。


 震える指で試し読みを開いた。


 読み進める。


 一行ごとに、胃が捩れる。


 間違いない。


 比喩。


 沈黙。


 会話の呼吸。


 感情が崩れる瞬間の描写。


 全部、自分だった。


 拓真は端末を殴った。


 鈍い衝撃。


 周囲がざわつく。


「お客様、困ります」


 スタッフが駆け寄る。


 拓真は叫んでいた。


「これ、俺のだ……!」


「俺が書いたんだよ!」


 静まり返る空間。


 次の瞬間。


 誰かが吹き出した。


「は?」


「神崎先生の盗作って言いたいの?」


「やば……」


 嘲笑が広がる。


 拓真は息を荒げながら画面を指差す。


「この第三章の台詞……俺の原稿にあった」


「人物構成も同じだ……!」


 スタッフは困ったように笑った。


「証拠はありますか?」


 拓真は黙る。


 削除された。


 全部。


 神崎の前で。


 若い女が鼻で笑う。


「売れない作家って怖……」


「妄想じゃん」


 拓真の拳が震えた。


     *


 三日後。


 マキナ・パブリッシング本社。


 巨大ガラスビルは、曇り空を冷たく映していた。


 受付ロビーにはAI受付嬢が並んでいる。


 完璧な笑顔。


 完璧な声。


 人間より人間らしい。


 拓真は応接室へ通された。


 対面には法務担当の男が座っている。


 薄い笑み。


 血の通っていない目。


「まず結論から申し上げます」


「AI生成物に著作権侵害は成立しません」


 拓真は机へ身を乗り出す。


「俺の文章なんだよ!」


「神崎が盗んだ!」


 男は淡々としていた。


「証明できますか?」


「…………」


「原本データは?」


「消された」


「バックアップは?」


 答えられない。


 法務担当はタブレットを閉じた。


「残念ですが、感情論では動けません」


「むしろ神崎氏への名誉毀損で訴訟対象になり得ます」


 拓真は乾いた唇を噛む。


「……ふざけんな」


 男は少しだけ眉を動かした。


「時代を受け入れてください、柊さん」


「創作はもう、人間だけのものではありません」


 その瞬間。


 拓真の中で、何かが音を立てて軋んだ。


     *


 炎上は、その日の夜から始まった。


 匿名掲示板。


 動画配信。


 ニュースサイト。


『旧世代作家、人気AI作家へ嫉妬』


『承認欲求モンスター』


『負け犬の遠吠え』


 拓真の顔写真まで拡散された。


 昔の新人賞受賞映像。


 安アパート。


 過去の発言。


 全部、おもちゃみたいに切り刻まれていく。


 部屋の端末が鳴った。


 校閲室からの通知。


『契約終了のお知らせ』


 たった一文だった。


 拓真は暗い部屋で、その文字を見つめる。


 冷蔵庫のモーター音だけが響いている。


 窓の外では雨が降っていた。


 湿った風がカーテンを揺らす。


 拓真は机の引き出しを開ける。


 中には、紙の原稿が数枚だけ残っていた。


 削除を免れた断片。


 煙草の匂い。


 インクの滲み。


 指先へ触れる紙の感触だけが、かろうじて現実だった。


 拓真は原稿を抱えたまま床へ座り込む。


 喉の奥から、変な笑いが漏れた。


「……はは」


「終わりかよ」


 涙は出なかった。


 悔しさが、あまりにも深すぎて。


 その夜。


 世界中が神崎の才能を称賛していた。


 誰も知らない。


 その傑作が。


 ひとりの人間の死体を踏み潰して作られたことを。



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