戻りたい昨日を、装置が決める
異変は、完全治療を受けた元兵士の右肩から始まった。
古傷が消え、可動域も回復している。問題は、その肩に二十年前の状態が再現されていたことだった。彼が退役後に入れた、亡き戦友の記念刺青まで消えている。
「傷ではない。俺が残したものだ」
療院側は、再生基準が事故前の健康な身体だったと説明した。刺青も古傷も、装置には修復対象として認識されたのだ。
エリスたちは基準術式の閲覧を求めた。そこには年齢、骨格、魔力循環、神経反応の「正常範囲」が細かく定義されていた。しかし、その正常を決めた本人の記録はない。
「身体の昨日を、装置が勝手に選んでいる」
リンファの声は冷たかった。
さらに、出産後の身体変化を治療された女性、仕事で厚くなった掌を元へ戻された職人、性別移行のため調整していた魔力循環を出生時の状態へ戻された患者が見つかった。病や痛みだけではない。本人が積み重ねた身体の歴史まで、誤差として消されている。
カインゼルは、個別調整を追加すれば解決できると答えた。
「なら、最初に本人へ聞くべきだった」
「苦痛の中にいる者は、正しい基準を選べない」
「正しいかどうかを、あなたが決めるのね」
対話は平行線だった。
工房へ戻ったエリスは、自分の義肢を作業台へ並べた。傷、交換跡、左右で異なる寸法。どれも事故前の身体にはなかったものだ。
トルヴァンが新しい設計補助器を運び込む。使用者が残したい身体特徴を記録する装置だった。
エリスは目を輝かせ、説明を始めた。
「これは生体履歴尊重型・過去改変防止・あなたの昨日はあなたが決める――」
「短く」
「《昨日守り》」
全員が黙った。
「……今回は短すぎる」とノアールが言う。
命名会議は珍しく長引いたが、装置の目的は揺らがなかった。消す傷と残す傷を、治療者ではなく本人が指定する。
その夜、元兵士は消えた刺青と同じ図柄を、白く滑らかな肩へもう一度刻んだ。
完全ではない線を見て、彼は初めて笑った。




