自由より、痛くない方がいい
工房を訪れた青年は、エリスの説明を最後まで聞いてから言った。
「それでも僕は、完全治療を受けます」
セドリックは十七歳だった。白化性の神経痛で、衣服が肌へ触れるだけでも息を詰める。絵描きになりたかったが、今は炭筆さえ握れない。
エリスは治療による感覚平滑化、停止機構がないこと、長期影響が不明であることを説明した。リンファも医学的な不確実性を補足する。
「自由より、痛くない方がいいです」
青年の声は静かだった。
「毎日、自分で選べと言われるんです。薬を増やすか、眠れないまま耐えるか、描くのを諦めるか。もう選ぶことにも疲れました」
エリスは反射的に、選択を奪う装置は危険だと言いかけた。しかし、それを口にすれば「自由を選べ」と強制することになる。
「分かったわ」
ロイドが驚いて彼女を見る。
「あなたの選択を、私は止めない。ただし、治療後に気持ちが変わったら戻ってきて。戻る方法がまだなくても、一緒に探す」
青年は小さく笑った。
「反対するんじゃないんですか」
「治療を受ける人に反対しているわけではないもの」
療院へ同行し、同意書を確認した。説明欄には治療の成功率だけが大きく書かれ、人格や嗜好への影響は「確認されていない」と一行で済まされている。エリスは追記を求めたが、担当官は現時点で証明されていない危険は書けないと拒んだ。
セドリックは、それでも署名した。
治療後、彼は震えずに炭筆を握った。白い指が紙の上を滑る。最初に描いたのは、窓から見える一本の木だった。
「痛くない」
泣き笑いの声に、エリスも笑った。
数日後、工房に一枚の絵が届いた。技術的には以前より精確だった。枝の角度も陰影も完璧に整っている。
けれど、セドリックが以前描いていた、風に曲がる奇妙な木々の癖は消えていた。
裏面には短く記されていた。
《今はこれでいい》
エリスはその言葉を否定せず、絵を壁へ飾った。今の選択を尊重することと、未来の出口を作ることは両立できる。
彼女は停止機構の設計図に、新しい条件を書き足した。
《離脱を望む理由を、審査しない》




