天才魔導技師は、失敗報告を待っている
白化地帯から戻った工房の壁には、失敗報告が並んだ。
測定器の防塵不足。探査鈴の把手。帰還籠の揺れ。仮設滑車の寿命。射出義手の巻き戻し停止。どれもエリスの名誉を飾るものではない。だが工房を訪れた依頼人は、その壁を見て安心した。
ここでは、壊れたことを隠さない。痛かったと言っても、使えなかったと言っても、持ち主の責任にはされない。
ロイドは現場試験表を作り、晴天だけでなく雨、粉塵、疲労時の項目を加えた。リンファは身体状態と停止条件を記録する。トルヴァンは交換部品を規格化し、特別な工具がなくても直せる箇所を増やした。ノアールは判断の経過を残し、成功した理由と失敗した理由を同じ重さで扱った。
エリスの仕事は減らなかった。むしろ意見が四方向から飛んでくるため、設計時間は長くなった。
「探査鈴の感度を二割上げたいわ」
「厚手の手袋で試してからだ」とロイド。
「連続使用は半刻まで」とリンファ。
「交換板を共通寸法にしろ」とトルヴァン。
「変更理由を一行で」とノアール。
エリスは作業台へ額をつけた。「天才に対する敬意が足りない」
「朝食を食べた天才にはある」
トルヴァンがパンを置く。エリスは顔を上げ、文句を言いながら食べた。
数日後、帰還籠の試験担当から報告が来た。泥でブレーキが重くなったが、使用者が手動解除を選び、予備索で帰還できたという。以前なら「設計どおり動かなかった」に目を奪われただろう。
今のエリスは、まず全員が帰ったかを確認した。
「よし。では泥除けを追加。解除を選んだ理由も本人に聞いて。勝手に自動化しないこと」
失敗報告を待つ天才魔導技師。昔の彼女が聞けば、最大級の侮辱だと思ったに違いない。
夕方、五人は封印便を囲んだ。白化災害調査委員会の印章は本物だった。だが公式台帳では、委員会の記録は事故直後の火災で失われたことになっている。
文書には、幼いエリスの名があった。
《被験体E。四肢白化、第二段階。緊急切除を実施》
処置責任者はカインゼル・ヴァルハルト。そこまではエリスも知っている。
問題は、その下だった。
《本人同意――記録なし》
《保護者同意――記録なし》
《大型固定装置への介入痕を、被験体Eの生体魔力と照合》
《公式報告から除外せよ》
エリスは紙を持つ左義手へ力を込めた。警告器が小さく鳴り、すぐに手を緩める。以前なら音を切っていた。今は、痛みがあることを認めた。
「私が事故を起こしたという意味?」
「断定できない」とノアールが答えた。「記録が隠された、ということだけは断定できる」
リンファはエリスへ、今日は読むのをやめる選択もあると告げた。ロイドは扉を閉め、トルヴァンは温かい飲み物を置いた。誰も答えを決めない。
エリスは長い沈黙の後、文書を机へ置いた。
「一人では読まない」
それは小さな言葉だったが、以前の彼女には選べなかった方法だった。
ノアールが記録板を開く。リンファが身体の状態を確認する。ロイドとトルヴァンが同じ机につく。
五人で、最初の頁から読み始めた。
公式記録では、エリスは処置の間、一度も泣かなかったことになっていた。
だが非公開記録の余白には、別の筆跡で一行だけ残されていた。
《被験体E、右腕を返してほしいと繰り返す》
エリスには、その声の記憶がなかった。




