歩ける義足より、転べる義足を
「転ばない義足が欲しいんです」
工房を訪れた少年は、そう言いながら一度も椅子から立とうとしなかった。
十四歳のユアンは半年前に左脚を失い、療院から支給された義足を使っている。歩行補助術式は高性能で、平地なら自動で重心を補正する。それでも彼は外へ出られない。
「転倒確率をゼロに近づけるなら、三軸姿勢制御と地面形状の先読みを――」
エリスの説明が加速しかけたところで、リンファが視線を送った。
「まず聞く」
エリスは口を閉じた。
「どこで転ぶのが怖いですか」
「どこでも。でも……みんなの前が一番嫌です。前に訓練所で転んだら、教官が義足を勝手に強くして。今度は脚だけ先に出て、もっとひどく転びました」
支給義足は使用者の迷いを遅延と判断し、歩行命令を補っていた。立ち止まりたい身体を、正しい歩幅へ強制する設計だ。
エリスは義足を調べた。性能表だけなら優秀である。だが、ユアンが踏み出す直前に力を抜く癖を無視し、一定の周期で脚を前へ送ってしまう。
「歩けることを優先しすぎています」
自分が作ってきた義肢にも近い思想だった。
「転ばない装置ではなく、転んでも怪我をしにくい装置を作ります」とエリスは言った。
ユアンは不安そうに顔を上げる。「転ぶんですか?」
「転べます。止まれます。座り込めます。あなたが出した命令以外では進みません」
試作品は、支給義足より明らかに低性能だった。出力を半分に落とし、膝にはわざと遊びを残す。足首へ衝撃吸収材を入れ、転倒を検知すると腰帯から布製の補助袋が開く。
「《安全敗北・華麗なる無傷転倒機構》です」
「転ぶ前提なのに華麗なんですか」とユアンが尋ねた。
「設計者の願いです」
「普通に訓練用義足でいいだろ」とロイドが言った。
工房裏の土の広場へ、藁と厚い敷布を並べた。ユアンは最初、椅子の縁を握ったまま動けなかった。
エリスは急かさず、制御板を彼へ渡す。
「出力はあなたが決めてください。今日は立たないという選択もできます」
長い沈黙のあと、ユアンは最小出力を選んだ。
ロイドが片側に立ち、リンファが身体の状態を確認する。エリスは自分の義足をまだ装着できず、椅子から見守った。
ユアンは立ち上がった。左膝が震える。一歩目は出なかった。
「止まっていても、装置は勝手に進みません」とエリスが伝えた。
少年はそれを確かめるように十秒、二十秒と立ち続けた。やがて右脚を半歩出し、義足を引き寄せる。
二歩目で重心が崩れた。
補助袋が開き、ユアンは敷布の上へ尻もちをついた。
誰も駆け寄らなかった。本人が顔を上げるのを待った。
「……痛くない」
「衝撃値は安全範囲です」とエリスが答える。
ユアンは自分で笑った。「転べました」
二度目は三歩。三度目は五歩。四度目には、開いた補助袋がロイドの顔へ直撃した。
「展開方向に改善の余地があります」とエリス。
「最初に人で試すな」
「安全性は実証されました」
夕方、ユアンは広場を一周した。転倒は七回。歩数は百二十三歩。どちらも彼自身が記録してほしいと言った数字だった。
「次は石畳で試したいです。でも、今日はここまでにします」
自分で終わりを決めた少年へ、エリスは制御板を返した。
義足を外して点検すると、古い膝部品の内側から白い粉が落ちた。白晶石だった。以前修理した飛行艇や、工房へ持ち込まれた旧義肢と同じ、不自然に純度の高い粉末。
エリスの表情が変わる。
「この義足は、どこで支給されましたか」
「王立魔導技術院の附属訓練所です」
部品の裏には、削り取られた製造印があった。その下に、カインゼルの研究室で使われていた術式番号の一部が残っている。
転ぶ自由を奪う義足と、動作を一つに固定する白晶石。
二つの問題は、偶然とは思えなかった。




