第9話 侵食と手紙1
朝の木漏れ日に照らされた学園まで続く石畳。ここを、何度引き返したいと思いながら踏みしめてきたことか。
今日は一段とその思いが強い。理由は簡単、二人の恋する乙女によって生み出された告白もどきの混沌があった次の日だからだ。
あの後我に返ったエリシスは、顔を赤くしたり青くしたりと自分のしでかしたことに酷く狼狽えた。煽られたとはいえ、好きな人の前であんな告白をしでかしてしまったのだから当然である。
何とか心を落ち着かせた後、改めてカイラスへ告げたのだ。
「アフロティーナ様の勢いに乗ってしまいましたが、好きというのは本当ですっ」
「五年前、庇っていただいたあの日から、その優しさが忘れられなくて、ずっと……ずっとお慕いしてました」
「アフロティーナ様がいらっしゃるから、わたしなんかじゃ勝てないと思って……諦めようとしたんです」
「でも、やっぱり大好きなんです! だから、わたしにも選ばれるチャンスをください!」
至極真っ当な告白。この木漏れ日よりも温かく、眩しい、どこまでも純粋な求愛だった。
あまりにも真っ直ぐに伝えられた告白に、カイラスは返す言葉が見つからなかった。行き着く先は同じなのに、いつもの強引過ぎるアフロティーナに慣れ過ぎて、何となく強い言葉で拒否するのが憚られたのだ。
完全に毒されている。認めたくない現実に、盛大なため息を吐いたのは仕方のないことだろう。
(……俺、前世でとんでもない悪行でも積んだんだろうか)
思わず現実逃避を行うカイラスの目に、風に揺れてさらりと舞う黒髪が映り込んだ。
「あ……カイラス様!」
「ゔぁ……」
目が合った途端、パッと顔を綻ばせ、小走りでカイラスのもとにやってきたのは、新たな悩みの種。エリシス・テンフォート伯爵令嬢である。
「ごきげんよう、カイラス様」
「……ごきげんよう、テンフォート嬢」
「朝からカイラス様にお会いできて嬉しいですっ」
「そ、そう、ですか……ははは」
嫌味も押し付けも何もない、心からの喜びに満ちた明るい笑顔に、何となく気まずくなり愛想笑いがこぼれる。これほどまでに純粋に、真っ直ぐに想われるのは慣れていない。脳裏に浮かぶは、白金色の厄災と腐れ縁である。
むず痒い空間にどうしようかと内心焦るカイラスを前に、エリシスは胸の前でキュッと両手を握り、意を決したように一歩踏み出した。
「あ、あの、もし良かったら……今日のお昼、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、あー……別に構いませんが……多分、あの方もいると思いますけど」
期待のこもった無垢な誘いに、一刀両断にする勇気はさすがになく。あえてその存在を匂わせ、向こうから諦めの言葉を引き出そうとしたのだが。
「大丈夫です! お昼楽しみにしてますね!」
「あ……はい……」
「それでは、お先に失礼します」
すごく嬉しそうな笑顔で承諾され、企みは失敗に終わった。約束を取り付けられ、満足そうに校舎へと向かうエリシスの後ろ姿に、実はあの子も中々に曲者なのではないか……と戦々恐々としていると。
「わたくしがいるのによそ見をなさるなんて、許しませんわよ」
「ゔぁっ⁉︎」
突然どアップでカイラスの視界に映り込んできた暴力的な美に、思わずのけ反った。
今日も今日とて完璧で最上級な美しさを惜しげもなく晒すアフロティーナは、「ごきげんよう、カイラス様」と嫣然とした笑みを浮かべた。
「朝から美しいわたくしに会えて、嬉しいですか?」
「そんなわけあるかっ」
「素直じゃありませんのね」
「本音だよ!」
エリシスからの真っ直ぐな好意を受けたからか。直後に受けるアフロティーナからの好意の圧が、いつもよりも色濃く感じてしまう。湧き上がりかける邪念を払うように、カイラスは「じゃあ、もう行くから」と話を切り上げようとしたのだが。アフロティーナは逃がさないとばかりに、「そういえば」と言いながらカイラスの顔を覗き込んだ。
「先ほどエリシス様にお昼を誘われてましたけれど」
「そ、それがなんだ」
何一つやましいことをしたわけでもないのに、何故かばつが悪く感じてしまい、声が一瞬裏返る。もちろんそんな動揺をアフロティーナが見逃すはずもない。さらにグッと顔を近付け、内緒話をするように囁いた。
「わたくしがいること、当たり前になりましたのね」
「違っ、あれは……!」
あの発言は断る口実で使っただけだ! と弁明しようとするも、スッと細く白い人差し指が唇に軽く触れる。そしてカイラスの言葉を遮ったアフロティーナは、魅惑的に微笑んだ。
「これからも、もっとわたくしを意識して、わたくしを選んでくださいね」
それだけ言うとカイラスの反応を待たず、「それでは、またお昼にお会いしましょう」と言い残し、自慢の白金色の髪を靡かせて優雅に去っていった。
残されたカイラスは、その背が見えなくなると手で顔を覆い、ガバッとしゃがみ込んだ。
「〜〜〜〜ッ、くそっ何なんだあいつ……!」
一瞬触れたその指に、名残惜しいと思ってしまった記憶が蘇ってくる。こちらの事情などお構いなしに侵食されて、腹立たしいのに憎めなくて。そんな自分が、心底嫌になりそうだ。
頬の熱が冷めるまで、他の生徒たちに不審な目を向けられながらもその場に留まることしかできないカイラスだった。
「ははは、大変だったようだね」
「もう勘弁してください……」
「僕に言ったところで仕方ないだろう」
学園の中で王族とそれに準ずる貴族のみが立ち入りを許された貴賓室。そんな特別な部屋の中で、カイラスは力をなくしたように机に突っ伏していた。向かいにはゼノスが優雅に鎮座し、その様子を肴に紅茶を嗜んでいる。フルーティで芳醇な香りが部屋に広がるも、荒んだカイラスの心は一ミリたりとも癒されることはない。
「まさか昨日の今日で三人で昼食を取るとは思わなかったよ。でも修羅場にもならなくて良かったじゃないか」
「……見てたんですか」
「食堂にいた全員が見ていただろうね。今やこの学園なら僕よりも有名なんじゃないか? カイラス君」
「今すぐ退学してもいいですか」
「ダメに決まっているだろう」
三人での昼食は拍子抜けがするほど穏やかなものだった。二人が牽制や罵り合うなんてことはない。ただ、二人がそれぞれカイラスへのアプローチをしただけだったのだ。故にカイラスだけが疲弊して終わった。誠に遺憾である。
ゼノスは未だ机から起き上がらないカイラスを見下ろし、おもむろにティーカップを置いた。そして長い足を組むと、部屋の空気が一段重くなる。
そこには腐れ縁ではなく、次期国王としてのゼノスがいた。先ほどまでの親しみやすい王子の姿は消え去り、王族の威厳を放ちながら目の前の腑抜けた側近候補に問いかける。
「それで、お前はどちらを選ぶんだ」
「……俺は選びませんよ。分かっているでしょう」
のろのろと起き上がって見つめてくる瞳は、四年経っても変わらない。
『選ぶこと』をやめた、ゼノスの気に入らない姿だ。
「客観的に考えろ。お前は常々平穏に生きたいと言っていただろう。ならば、テンフォート家を選ぶのが合理的だ」
「……殿下が命じるなら、それに従います」
「……はぁ。それでは意味がないだろう」
予想通りの回答に、大きくため息をつくと王族としての威圧感が霧散する。気まずげに視線を逸らすカイラスに、どうしたものかな、とゼノスは少しぬるくなった紅茶を一口含んだのだった。
「リッツバーグ様」
「……なんでしょうか?」
少し気まずい空気のまま貴賓室を後にして、カイラスは今日はもうあいつらには会いたくないと早足で寮への帰路に就いた。運良く誰にも会わず寮へ到着し、部屋へと向かおうとした時。カイラスを呼び止めたのは、学生寮の管理人だった。
管理人は恭しく頭を下げると、封筒を乗せたトレーを差し出した。
「手紙をお預かりしておりますので、ご確認ください」
「手紙、ですか? ありがとうございます」
わざわざ手紙なんて送ってくる相手に心当たりはない。首を傾げながらも受け取り、部屋へと向かう。歩きながら封筒の裏を確認して、ピタリとその足が止まった。
そこに記された差出人に、思わずくしゃりと手紙を握りしめる。
「──ッ、なんで今なんだよ……」
皺が寄った封筒に記された差出人の名前。
そこには、この世で最も見慣れた文字がある。
リッツバーグ家──これはカイラスの実家からの手紙だった。




